寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

戦争が悪とされる理由みたいなの

ところでなんで戦争はいけないこととされているのか?

そりゃ人が死んで壊されて人が死んで悲しくて人が死ぬ悲しい出来事だから戦争は嫌われるのだと。

ではなぜそんな嫌われる戦争を昔から人間はやってきたんだと。

戦争は悪ではなく手段の一つに過ぎない。それに戦争は国の歴史をつくってきた人類にとっての無くてはならない存在だったはず。

アレクサンドロス大王カエサル、ナポレオンとこれら世界の偉人は戦争をして名声を成してきた。何故忌み嫌われた戦争をしてきた人間が英雄と呼ばれるのだろうか? 戦争は人の命を奪う破壊行為ではなく外交の手段と国を繁栄させるための手段として用いられたに過ぎない。それが今では戦争の行為自体を正当化してはいけないという風潮である。いったい昔の戦争と今の戦争と何が違うのか? 人権意識の向上から結局戦争は人の命を奪うから悪だということか? 確か昔は死刑でも生きたまま腹を裂き腸を引きずり出す解体刑をしてきた国が死刑を廃止している。昔の価値観を変えたのは人権意識の芽生えとそれは人類の歩みにおける発展だろう。戦争も昔は手段の一つとして用いられてきたが結局戦争なんてなくなればいい、対話して解決していくべきで昔のように暴力で解決すべきではない。これも人類の発展の賜物か?

私は違うと思う。戦争はしてもいいのである。昔から戦争は人類とともに歩んできた普遍的なものであり今更なくすことなんて出来ない。その証拠にどの国にも軍隊がある。つまり戦争が悪ならば軍隊なんていらないはずなのにいることは戦争とは結局必要だからである。悪でないとは言わないが必要悪である。

何故戦争が悪なのかは、それは戦争に関係のない民間人が戦争で殺されるからだ。戦争に参加していない軍人でもない武器を持って攻撃してこない民間人を殺すから戦争は悪なのである。

戦争は兵士と兵士の戦いであったはず。ナポレオンはアウステルリッツで戦ったときそこに民間人を攻撃していたか? していない。民間人を攻撃していなければ戦争してもいいのである。だからナポレオンの戦争はいいのである。ナポレオンは兄をスペイン王にした際にそれに反発したスペインのゲリラを掃討するにあたりそれらを虐殺しようとしていた(ゴヤの絵が有名だが)。戦争で軍人ではない人間が殺されたからナポレオンの戦争も一概に褒められたものではないと思うが、違う。武器を持った民間人まがいのゲリラは殺しても構わないのである。正規の兵ではない民兵であっても武器を持てば兵士であるから戦争の参加者である。だから虐殺されても文句は言えないのである。そうやって20世紀初頭まで戦争は容認されていた。

それなのに、そんな武器を持たない人間を殺すから。戦争に参加していれば殺されても仕方がないとあきらめもつく。戦争に参加していない別に敵兵を攻撃しない非力な民間人を殺す、何故殺す、そいつはお前にとって危険なのか、殺す理由はなんなんだ? それも大量に。敵国の人間だから民間人でも殺す。民間人とゲリラの区別がつかなくて殺してしまう場合もあるがその判別さえもどうでもよくなり開き直って東京大空襲みたいないつしか戦争とはそうなってしまった。

それと戦争が悪とされるのは一度に大量の死傷者が出るからである。

人が死ぬのが戦争では当たり前だがその限度が過ぎるのである。昔はよかった。戦争をして人は死ぬがそれほどでもなかったから。今と比べ昔の戦争は規模が小さいから悲惨な現状が伝わらなかった。それが重火器の発達とともに死者の数が増えだし第一次世界大戦では昔と比べ死者の桁が振り切って壊れて砕けるほどに至った。流石にこれだけの死者を出せば戦争だからと割り切ることのできる人間だけでは済まされなくなる。死者の数が多すぎて国が成り立たなくなる。こんな思いするくらいなら今一度話し合いの場を設けてみてはと国際連盟が設立される。それなのに第二次大戦がおこり大量の死者が出た。冗談じゃない戦争なんて悪だとなる。昔みたいに貴族の内ゲバで騎士が突き合ってるだけで領民は蚊帳の外で南北戦争みたいに戦争を実際見物できる代物ではなくなった。こうなればクラウシェビッツのような戦争の定義も書き換えられる。戦争は外交の手段ではなくその手札を切ったらあとはどれだけの死者が出ることになるのかと怯えるだけの悪魔の所業であると今人類は学んでしまったのである。

ミサイル一つで国が壊滅。こんなこと昔の戦争にはなかった。なかったから戦争を認めてこれたし、できた。人類の発展は戦争も発展してしまった。戦争が発展してしまった以上もう仕方がない。人類の発展は進むなれど退行はない。こうなったら騎士、武士どうしで槍で戦ったり大砲ぐらいに留めておいてアサルトライフルは使わない。戦争に参加できる兵士を決め大量に兵士を戦争につれてきてはいけない。昔みたいな戦争をすればいいではないかというのは、今の豊かな生活を捨てて石器時代みたいに人類は洞穴で暮らせばいいのではないかと言うようなものである。だからこれからも戦争は進化して大量に人を殺す技術も生まれるだろう。戦時条約とか言って核兵器等兵器禁止を盛り込んでももう遅い。結局現代の戦争を認めるしかない。ただこれだけは言える。

戦争で戦争に参加していない民間人を殺さなければ戦争なんて勝手にすればいい。

民間人の建物を壊すな、焼くな、巻き添え食らうような無差別に爆撃するな、民間人の所有物を略奪するな、危険だからと言って勝手に殺すな、レイプするな、理性を保て、お前の敵は敵兵だ。民間人ではない。これが徹底されないから、出来ない馬鹿だから戦争は悪なのである。馬鹿と呼ばれようが民間人を殺すのはその国の戦争の士気をなくすためである。だからそれは人道に反しているのだとわからないのだろうしわかっていてもあえて無視する。だからそんなことする戦争は悪なのである。実にまわりくどい。