寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

散弾銃で暴れて立てこもるその愚かな人間へ

news.yahoo.co.jp

 

長野の中野という地で女性をナイフかなにかで刺した後通報で駆け付けた警察官二人を至近距離から散弾銃で襲いその後立てこもるという恐ろしい事件が起きた。

これまで出来事や事件に対して関心は持つがブログで語ることもなくたいてい次の日には興味がなくなった。WBCでさえそうだった。

それなのにどうもこの事件が何か言いたくて仕方がないのは自分のくだらない承認欲求かはたまた素で興味を抱くことなのかわからない。

そもそも猟銃を手にするそれは、猟銃を持つこと自体がそんなものを持つのなんてよほど余裕がないとできないことだろう。つまり金銭的な余裕である。貧乏人には銃を持つという発想はない。そんなものを持っているのはただの負担ではないか? 獣を撃つことは金持ちの道楽ではないか? 金とヒマのあるものに許された特権みたいに考える。

では金持ちならどうか? 誰があんな物騒なものを持ちたいと思うだろうか? そんなもんより車とかもっと他の趣味にお金を使う。これは極めて偏見であるがそもそも動物を撃ち殺す行為自体が前年代の古臭い趣味であると思うし、そもそも戦後の意識の高まりの中動物愛顧の観点から野蛮というほかない。動物を仕留めたその姿には生々しく散弾銃でやられた動物の血を見る羽目になる。これが私はたまらなく嫌である。残酷なものであると。

そんな残酷な狩猟を行う、それは貧乏人でも金持ちでもなく極めて特異に映る。その猟銃を持とうと思い立つことが。動物を撃ち殺す人間として見るのだからハンターという類は私は嫌いである。動物を撃ち殺す残酷な人間がこんな事件を起こしても何ら不思議ではないというのが正直この事件の感想である。いくら害獣として人を襲う熊イノシシといえどそれをやるのは汚れた家業という自覚があれば私は納得する。単に銃の魅力に見せられそれで獲物を捕らえたいという昔気質な思想であったならば私はついていけない。

銃を持つとタガが外れたときにこうなるだけ。それを防ぐとしたらいい人間が銃を持たなければいけない。・・・そんないい人間ばかりが銃を持つわけではないだろ。その時はいい人間でも後から悪い人間になるのは今まで幾多の犯罪史を振り返ればわかることだろうに。この事件、端にそこの銃があったから起きた出来事だろう。包丁だけだったら警察官二人は死なずに済んだかもしれない。散弾銃という趣味を否定したくはないが否定したくなる瞬間である。

このような事件を防ぐのはできるはず。散弾銃の弾を許可なく個人が持つことを禁じるのである。必要に応じて警察に申請してそこで初めて警察から弾をもらう。そのときに警察が同行する。つまりイノシシ熊が出没したとき以外は猟銃使用ができなくする。北海道で野生動物の増加から人に被害が増えだすその対策からハンターに対する規制緩和は致し方ないとしながらも、そもそも銃を持って動物を殺すなどという動物権利というものに疑問を抱かない人間ならばその人間の気質に最大限に注意した上で銃を持たせてほしい。

そしてこの三人を殺したバカについてだが、その家庭環境からして甘やかされてたボンボンの類だろ。甘やかされていたがゆえにこらえが効かず感情的になりやすく極めて自己中心的な行動として死刑が相当である。が、死刑とは強盗殺人強姦放火と自分の快楽、利己を究極的に追求したことによる報いでしかなしえない刑なので、今回のような快楽でも利己にも属さない病的な憎悪を抱く感情表現の果ての凶行となれば精神疾患を割り引かれ、特権階級に属していれば忖度から懲役30年ぐらいかと。ただ、警察官の殺害に至っては国家治安維持に対する挑戦であり事の成り行きはどうあれ国家への反逆と捉えられる(渋谷暴動事件を例に)。警察を害すればヤクザならば死刑になるし(工藤会抗争)、その例は一般人でも変わらない。国の治安を守る警察を殺す罪の重さはとてつもなく、国家反逆に当たると日本の司法は判断するだろう。私は警察を二人も殺した、それほどの殺意に驚きを隠せない。

これはもはや警察は仇を討ってもいいだろう国家を乱した醜悪な殺人鬼には頭に銃弾を放つ、それが犯人にしてやれる最善の策であり本人もそれを望んだ方がおさまりがいい。