寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

コロナに祟られた一年

是非は只だ多く口を開く為なり

中国の俗諺。もめごと、いざこざは口数が多ければ起こること。口に出さなければ何事も平穏に過ぎていくからむやみやたらに口を挟まないほうが良い。

去年の今頃この言葉を目標にしてきたが無駄だった。世の中の出来事にどうしても口をはさみたくなる。それで解決もしない。つまり口に出しても無駄であるのに口に出してしまうジレンマ。コロナで物申すもその自分の意見と世間の認識のズレみたいなのを垣間見てしまうと何故わからないんだとストレスになる。コロナで自粛する人、しない人、人それぞれの価値観がある。人の価値観を押し付けるのは確かによろしくない。しかし、感染が収まらない中外に出て飯食ってその時が楽しければどうでもいいという身勝手で無責任な人間につい口をはさんでしまう。当然聞き入れることもなく、それで会社でも孤立した。

こんなにひどい一年は2011年以来。それも時間が過ぎていけば徐々に回復していく希望的観測はできた。地震津波で街を壊滅させられたが元に戻ることができたのは人々の類い稀な努力の結晶だろう。未来を目指して頑張れる。壊滅した街もまた作り直せばいい、そう考えることができたから、だから災害にから立ち直ることができる。しかしコロナはどうだ。どうすれば収束するかという気配が感じられない。つまり未来が見通せない。こうすれば感染がなくなるという希望が見いだせないからどう頑張ればいいかわからない。ワクチンを開発してもすぐに変異してしまえば無駄になりいつまでも外へ出歩くことを禁じれば経済の損傷が激しくなるし、人の欲望は無理に抑えようとしても無駄なのは渋谷スクランブル交差点のライブ映像を見てもよくわかる。ウイルスとの共存は半ば諦めと見て取れるのでそれは努力でも希望でもない。いつまでこんな時代が続くのだろうという胸の中での諦観。コロナから人々が立ち直ることは来年以降の課題である。いつまでも東京の病院をひっ迫させて看護師を辞めさせるような事態はどうすれば断ち切れるのか。是非は只だ多く口を開く為なり。そんなことに口をはさんでも仕方がないならば私は渋谷スクランブル交差点へ出かけよう。

一年を振り返る

・今年一年を振り返ってはドールというものに心躍らされた一年だったと思う。フィギュアなんかその魅力はドールに劣っていた。来年もこのドールと共に生きていこうと思う。

・賭け事をしなくなった。地方競馬の馬券はオフト後楽園で買っていたがコロナが影響してそれっきり興味がなくなった。競輪もそう。代わりに家で楽しめる漫画とか映画とかYouTubeとかとりわけホロライブに一時期ハマった。YouTubeで他人のゲーム実況を見るのは面白い。コロナの影響がある中こうした動画サービスが私の中では需要が高い。広告がウザいがアベマも見たりする。

・病気がまたひどくなった。躁鬱病が激しい。気分の波があり過ぎる。あまりそれを会社で出さないようにしてきたが、やはり無駄だった。一時期の感情で今までの努力が無駄になる。社会で生きていくにはもう少し自分を自制できなければいけない。とは言えそのために薬に頼るしかない苛立ち。

・図書館に行って本を読むのが好き。コロナの影響で本の貸し出ししかできず館内で本を読むことができなくなったのが、もうそうしても仕方がないのか知らないが椅子に座ってゆっくり本を読むことができたから楽しい。これと似た現象がゴーツーだろう。コロナだから禁止にするとしてもその娯楽を奪われた悲しみはわかる。読む本は宇宙関連、建築、工学系…

 

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FGOをプレイしてた影響か各国の神話(画像はイシュタルね)。

鬼滅の刃はとてもよい。まず主人公の優しさに惚れた。あれだけ人のために尽くせるのであれば私なんてゴミみたいなもの。人々は炭治郎を目指してもらいたい。映画はまだ見てない。とても映画館へ行くことは私には無理。あとでDVD出たら買うか。

・紅白でもでるYOASOBIの夜に駆けるという曲に感動した。これほどロマンチックな恋愛感情を綴った歌は過去の名曲を思い出そうにも見受けられない。恋愛は儚くも美しいものであるのだということをあの曲は指し示している。SKE48のソーユートコあるよねという曲だがあのダンス、ケンロップダンス、あの足のステップの軽快さは見ていて気持ちいい。STU48の思い出せる恋をしようはサビの部分の裏声になるあの声は感傷的な美しさだと思う。もっと評価されていい。これくらいだろうか一年を通して気になった曲というのは。

・オリンピックが中止になったら来年は開催されるか。それに関連したコミケ開催とかはもはやどうでもいい。昔は目を輝かしていた創作という言葉はコロナでどうでもよくなった。コミケももう私の中ではどうでもいい存在なので東方とともにおさらばしようかと。

Twitterをしてよく自分が嫌いになった。私はSNSにたいへん向いてない。

・風呂に入って「死にてー」とくだらない独り言を毎日いう一年だった。

茨城県の太洋村という場所で安い一軒家を買って別荘としてそこでだらだら過ごそうと考えて現地へ行ってみたがあまりにも錆びれて汚い(失礼)ため幻滅してやめた。

・コロナ影響下でもその人「ゴミ」は5月の頃の秋葉原はマジで人がいなく世紀末状態だったがそれも9月ごろから喉元過ぎて熱さが忘れていた。11月の週末は人がごみごみ。文句言っているわりにてめえも出歩いてんじゃねーかよ。

以上を一年を振り返って見た。来年もコロナに祟られる一年になりそう。もうどうすんだよこの国。自分はコロナで生きるか死ぬかチキンレースしてるという認識。これじゃ気疲れするよ。来年もおもいやられるなこりゃ。