寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

ああ、また競馬から少し距離を置きたくなるのか・・・

4月26日にてオフト後楽園で浦和競馬の馬券を買った。チンチンにされたが、久々に地方競馬というものを満喫できた気がしてよかった(負け惜しみじゃないよ)。そして春の天皇賞に意識が移って発表された枠順をみてガッカリした。メイショウウズシオがいない。おそらく穴馬になるであろうこの競走馬を買おうとしていた私の気勢を挫くことになるとは。2010年メイショウドンタクの時は悔しい思いをしたから、同じ冠名にその幻想がふと蘇りワクワクしたものだったが、またハナズゴールの時と同じように・・・萎えた。もう馬券買う気がなくなりつつある。もう穴馬はクレスコグランドにすることにした。そんなふと大外枠の三冠馬の名を見たとき、ふと嫌なムカつく思いが頭を駆け巡った。
オルフェーヴルが前走阪神大賞典で逸走したことに。あの阪神大賞典オルフェーヴルが二着入線失格降着にならないことに。
直線でオルフェは斜行しヒルノダムールの前に進路を塞ぐ格好となった。ヒルノダムールは首をあげて怯んだような仕草は決して小さくはない。幅寄せというよりは前を横切られて進路をブロックされた悪質なものだと思い、オルフェーヴルと池添騎手には申し訳ないが失格が相応しい。あれだけ致命的な逸走から二着になったその人馬の努力をはく奪される心中を察したものだった。
着順変更には至らず。。。そうですか・・・。思えば去年のJCDでも最初のコーナー曲がる際にトランセンドがトウショウフリークの前を横切ったことがあったが、あれもあれで済まされた。正直いつまでも過去のことをぐちぐち言ってるような自分は鬱陶しく嫌われると思っている。だけど、私は筋が通らないことが大嫌いだから・・・。筋が通らないとは私自身の勝手な強烈な思い込みなことを先にことわっておく。
サラブレ5月号の88pにてこのレースの裁決について言及されている。なぜ、オルフェーヴルは失格にならずにすんだのか。解説すると長くなりそうなので簡単に。
オルフェーヴルヒルノダムールの進路を妨害したことは確かだが、あの時ヒルノダムールはもう前のギュスターヴクライ(1着)やナムラクレセント(3着)を交わせるだけの脚はない。不利を受けても受けなくてもヒルノは4着だろうしなんてことはない。
レースはゴールするまで続いている。それを直線の途中だというのに着順がもう大勢決してるとなぜ言えるのだろうか。ゴールするまでわからない。もし「不利を受けなかった」ら、ヒルノダムールが急に力尽きたであろうナムラクレセントに肉薄し、もしかしたらハナ差交わしていたかもしれない可能性は1%もなかったといえるほどの自信なのか。競馬という確率を否定した個人的な判断が裁決に影響していたのか? 神じゃないんだからそういった尺度で捉えるのは私はやめて欲しい。
ならば問う。JCにてブエナビスタが1着入線失格で2着になっとき不利を受けたであろうローズキングダムは明らかにブエナビスタを交わせる脚はなかった。おそらく不利を受けなければ1着だったと言い切れる? 私なら不利を受けてもローズキングダムはあの脚じゃ1着になれなかったから着順を変更するには至らず「ローズは2着でよし」となる。おそらく裁決の人にはブエナを交わせたローズの光景が頭に浮かんだのであろう。その想像力、私には及ばない。
いや、その前に交わせる脚がなかったどうこうよりも、ラフプレー自体は裁決に問われなかったのだろうか。池添騎手に10万円罰金がその報いなのか。裁決に怯えて騎乗ぶりが委縮するような馬鹿な真似はしないだろうし、池添騎手の騎乗は勝ちたいという気持ちが伝わってくる。その気持ちは絶対に否定しない。しかし、それと法律とでは非情な振る舞いをするしかない。私には騎乗停止4日間が妥当と思ったものだ。
4日間の騎乗停止なら馬も降着にしなければならない。しかし降着にすると被害を受けたヒルノダムール4着だからオルフェが4着に降着ということになるかも。複勝でさえ馬券を外れさせるのだからオルフェの馬券を買っていた人に対しては体裁が悪すぎるし、馬券購入客に愛想尽かされてJRAのイメージが悪くなり次の春の天皇賞またはクラシックでの売上に影響がでてくるかもしれないから、オルフェ―ヴルを降着にするのは得策ではない。
これまでも不可解な裁決にムカついてきたものだが・・・そんな損得勘定で正義を捻じ曲げ、事なかれ主義はさすがお役所体質なのか。私みたいな下司の勘ぐり野郎がいるからあらぬ疑い抱かせて嫌な気分になるのですが、それは誤解ですか?
どうせそんなぐたぐた文句いってても、最後には馬券買うんだろ。金という魅力に憑かれた人間にはこれくらいでは競馬が嫌にならないだろうというJRAの打算、驕りがあるのでしょうか?だから私なりの感じ方として不可解な裁決が続くのでしょうか? 昨日の怒りも明日には今度のレースで頭いっぱいになっているほどの私ではない。思い出したらこのJRAにささやかな反抗として春の天皇賞は馬券買わない。オルフェーヴルの走りが実に楽しみだ。
何が正しくて、何が駄目なのか疑心暗鬼。公正という言葉の内外を鑑みて今のJRAにはそういうものを見いだせない時が多々ある。が、もし売上を気にしてまでの採決が続くのなら虫が良すぎる。それだったら私の心情としては・・・
競馬ファンなめんな
※補足
今回触れたサラブレ5月号での記事「最近の裁決を考える」で裁決についての回答を手掛けた裁決担当の方は丁寧に解説していますので、そういった善意は否定しません。ですが、裁決法を構成要件に該当させる項目みたいなのを設置しておきながら、裁決自体には主観的な意味合いも含まれていたと思います。その内訳をもう少し鮮明にして頂きたいとは思いました。