寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

「競馬」俺的読んでおいて損はないこの一冊

競馬とは一般大衆からみるとギャンブルという要素が強いだろう。しかしこのギャンブルは十分に物書きの題材にはあまりある代物である。ゆえに、競馬に関する書籍の中には時としてギャンブル以上として昇華される書籍が多々ある。
サラブレ9月号にて「今からでも遅くない読んでおいて損はないこの一冊」という企画があった。私的にはこういうのは興味深いことなので、丁度本を読む機会が増えていたから私もこの企画に便乗してみたくなった。これはいつものオ○ニーとして受け止めてもかまわない(笑)。



馬敗れて草原あり 著 寺山修司

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杜甫の詩が私の感受性に染み渡るなら、春望の詩体を引用したかのこの書籍に興味を抱くのは必然だったのだが・・・。前衛歌人としての清冽な叙情を持つ寺山に競馬とは何だったのかと気付かされた。なんだ、競馬とは馬券を買ってるのではなく、自分の人生を馬券に投影してそれを買っているんだ。人の長い人生、走り続けなければならない。それではまるで人生とはサラブレッドの宿命みたいではないか。そんな人生の歩みと同じサラブレッドの走る様は競馬場で、今自分の人生はどの競馬をしている馬に当てはまるんだろう。あっ、今日の私の人生はあの馬と同じだ。私はあの馬の今日の走りの期待から自分の人生を重ね合わせたくなるかのように。それは自身の人生の応援のために馬券を買ったんだ。そして結末は・・・。
人生こそが競馬の比喩というその言葉は恐ろしいくらいに競馬の愛情にあふれている。残念ながら寺山修司ほどの競馬への愛情を思い詰められる人物はいないだろう。そりゃそうだ。私なんて論外だが、今、寺山修司がいない世の中、寺山のような人物がいたならそれは嘘臭いだけである。なぜなら寺山修司はたった一人しかいなかったのだから、競馬という寺山の人生は終わったのだから。



競馬解体新書(上、下) 著 大橋巨泉

競馬解体新書―サラブレッドとファンのために〈上巻〉

競馬解体新書―サラブレッドとファンのために〈上巻〉

大橋巨泉は競馬に関して大変な理想主義者であったと。競馬を単に金を賭けるだけで成り立たせるようなギャンブルとしてのあり方を嫌い、競馬を文化としてスポーツとして一面を持たせたがろうとしている。それは暗に今現在、ギャンブル色を出さずにフレッシュな俳優を使いトレンディー路線をひた走るJRAと相通じる物があるようなそんな気が。大橋氏は競馬をギャンブルとして汚く見られるのが悔しかったのでは? そのアンチテーゼとしてこの氏の著書はそれを物語っている気がしてならない。
しかし、それは時として理想論ばかりで現実との折り合いをつけられなくなる危うさもある。大レースに出走するために海外のレースに習いステークスマネーを結構払うべきという氏の主張には何故海外の事情を日本に取り込もうとするのか。流石海外かぶれと済まされず、高額なステークスマネーは出走する側に何故そうするかの説明はできるだろうか。俺やだよ、そんなことで小頭数になりかねないジーワンレース。とはいえ、大橋巨泉の競馬はやっぱりそうなのだろう。ギャンブルのドロドロした雰囲気を払拭する文化、スポーツとして成熟された物だと。それをあの昭和時代から気付いていたのは意外と驚愕することなんじゃないかな?



それでも悲しき日本競馬 著 関口房朗

それでも悲しき日本競馬―世界の常識、ニッポンの非常識

それでも悲しき日本競馬―世界の常識、ニッポンの非常識

古い書籍が続いたからわりかし新しいこの書籍はこのブログでまた紹介になりますか。馬主としての著者についての顛末は多く語る必要はない。この著書では要するに日本競馬の閉塞感が嘆かれています。関口氏はあの見た目印象からそんなものに嫌悪を示すのは容易ですが。例えば、関口氏はマンハッタンカフェを売ってもらえなかった。どんなに金を出すからといっても売ってもらえなかった。何故か? その頃の関口氏は馬主としての地位がそれ程でもなかったから。なるほど、競馬がとびきりの実力社会でも競走馬市場にはレイシストなのか。関口氏は「海外のオープンさが好き。そういうほうが性に合ってるんですわ」(「海外競馬vol5」東邦出版)といっていたのもそんな経緯からきてるのだろう。
しかしながら、著書で関口氏の言うような競馬の新自由主義感触の市場開放は中小の生産者達の見放しに繋がる恐れもあるのだが。それは否定と捉えるとして、今の日本競馬の閉塞感はこの著書の物語る通りだと感じる。私個人で気になった関口氏の馬主の地位向上の言及について。馬主はあれだけの財産を持っているのだから表に出てくると目を付けられるからどうしても裏方にまわざるを得ないのだが、せめて優勝インタビューしてそれを後日新聞に載せるくらい出来ればいいのに・・・。私は馬の持ち主がどんな感想を抱いてるのか気になるタチでね。



競馬の文化誌―イギリス近代競馬のなりたち 著 山本雅男

競馬の文化誌―イギリス近代競馬のなりたち

競馬の文化誌―イギリス近代競馬のなりたち

私も競馬にいたって海外競馬かぶれみたいな時があった。ちなみにこの書籍は競馬を介してイギリスという国柄を紹介する世界史的なジャンルと感じるので、イギリスの歴史や文化を別の視点から捉える事への面白さから是非お薦めします。私は今は権威が失墜したと言われる英国セントレジャーに対する思いとして、英国のクラシックの中で最古の歴史を誇るから権威の失墜はあり得ないことだとしている。歴史は長ければ長いほど趣を感じさせる。そんな競馬としての伝統、格式、優雅さが印象に残りし、16世紀から成り立つ近代競馬発祥の地イギリス。そんなイギリスと日本の競馬の違いを比べてみるのも面白いかもしれない。
というか競馬の大衆的文化性はイギリスは貴族とともに。日本は大衆とともに競馬発展してきたのだから、その点日本のほうが大衆競馬としては完成されているだろうと思う、が貴族を主体としたイギリス競馬だから品格ではどうもイギリスには勝てそうにないね。ロイヤルアスコット開催のロイヤルエンクロージャー(ロイヤルファミリーが競馬観戦したりするまさに貴賓席な区域)こそがイギリスのこれこそ競馬だという概念をまざまざと見せられるその気品と華やかさが、日本の競馬にも求めてみたくなってしまう時が時々ある。


さて、競馬に関する書籍とはいわば、たくさんありすぎて紹介として選ぶとなると悩んでしまう。競馬を純文学として捉えるのであるなら宮本輝氏著の「優駿。(間違えての紹介かもしれないが競馬ライターとしてでもある畠山直毅氏の著書、「この一秒」はここで推させて下さい)。また、なんとなくゴシップ的競馬関係者の知られざる裏話には高崎武大氏著「こんな騎手」、「チキ911調教師ほどステキな商売はない」。あまりにもアングラ視点で本編に記されているような競馬の灰色を楽しみたければ別冊宝島1073「競馬『裏』事件簿」藤田伸二騎手著の「特別模範男」は義理と人情、筋を通すことへの痛快さから読み終わった後気分爽快になった(笑)。なんと語りたくなることだろうか。ちなみに本の価値を決めるのはそれぞれ個々の自由なので今回紹介した書籍で共感して欲しいとは露とも思わない(と思う・・・)。ただ私が紹介したかっただけであるのだから。もしかしたら「的はずれじゃねーかよ」というのがあるかもしれない。その時はごめんなさい。