寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

麒麟がくるの本能寺の変って結局何だったの?

大河の麒麟が来るが終わったようで。明智光秀という人生とは何だったのかをしっかり表現できたのでしょうか? 私は最初の頃見てたけど飽きてやめた。でも描き方が難しかったんじゃないかな? 光秀の前半生は記述がなくてミステリアスで斉藤氏に仕えていたのも僅かでその後信長の上洛にひょっこり顔出してきて「なんやねんいきなり出てきて」ってな感じで丹波平定して本能寺の変起こして土民に殺され終わり。これだと光秀が歴史に名を刻んだのが信長自害させたことに尽きるし、それ以外は別に・・・。だから本能寺の変に至るまでの伏線を幾重にも張り巡らせて本能寺で信長討つことの正当性を視聴者に訴えて本能寺の変でこれまでの伏線回収のカルタシスを得るのがこの大河に課せられた使命だと思う。私は最終回は見てないが会社の同僚から内容は聞いた。

どうも天皇家や将軍家を中心にした国を今一度作り直そう。だけど信長が怪物になりそれらを滅ぼそうとした。帰蝶こと濃姫が光秀に「信長が怪物になったら(古今日本の伝統的権威の破壊する信長を指す)即座に葬れ」と密命を受けていた光秀がそれに従った。

てことは本能寺の変の真相は帰蝶密命説?

麒麟が来るとたいそうな出だしだがその麒麟とやらは古来の権威の復活を意味するものだったのか。今一度天皇中心とした国づくりをと明治の王政復古の大号令を280年早く行おうとしたのか。光秀が待ちわびた麒麟とは天皇という名の復古主義であったのか。うーん光秀は「この世に麒麟が来なければ俺が麒麟になればいい」という男ではなかったわけか。だったら光秀が望んだ麒麟であるとされる天皇家や将軍家が日の本にとっていかに大切に護らなければならないモノであるのかを作中で描かれていたのかな?

最初のほうしか見てなかったからそれも知らんけど。やっぱ光秀が死ぬところまで丁寧にやればよかったのに本能寺の変で終わったらこの光秀という人物が何を本来望んでいたのかあやふやになる。そして何より旧態依存の権威は例えそれが日本に根を下ろした伝統であってもその権威で国を治めていくことはもう難しくだから応仁の乱が起る。こうなれば変えるべき岐路に迫られているから既存の権威であった将軍家を潰した(天皇家については言及はひとまず置いといて)信長に賛同する私にとってこの光秀の大河、私が最後まで見てもつまらなかっただろう。

さてと、歴史が嫌いな私(ホント歴史が嫌いで昔は好きだった)がチンケな御託を述べたところまだまだ続く。そもそもなんで光秀は信長に逆らったのか? それについては歴史家にとっての永遠のテーマでもあったし浅野内匠頭は何故吉良に切りつけたのかというテーマなどと並んでよく語られ考察されそこから歴史に楽しさを見出すもの。何せ日本一の実力者を殺そうとした理由が今でも不明なのは何かヘン。誰か一人でも光秀に「何で謀反起したん?」と聞いてそれを書物で残しとけよ。そういうのがあったけど戦争で紛失したとか? では史実で光秀が主君信長に謀反を起こした理由についていくつかの説があるのでテキトーに紹介。ちょっとwiki参考するね。

 

・信長にパワハラされた

信長という男はコワい。「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」と謳われているとおりコワい。逆らうと荒木道糞の親族は皆殺し。こんなコワい上司についてた光秀は甲州武田氏を滅ぼした際に光秀が「(武田氏を亡ぼせたのも)我らも骨を折った買いがあったというもの」と酒の席で発言したのを信長が「何テメーのお蔭とかほざいてんだ!! 俺がこの信長様が武田を滅ぼしたんだ!! 粋がんなハゲ!! 」と言って(こんな言い方ではないが)他の武将が大勢る前で扇子で光秀のハゲ頭を叩いて足でボコったことが恨みから本能寺の変に繋がった。割かし知られた説である。武士とはメンツに生きるもの。その武士が大勢いる前でボコボコにされるのはとても恥ずかしいからね。そもそも双方の性格が合わないわけであって…。

・光秀が家康に出した食事が腐っていてそれを知った信長にモラハラされた。

パワハラとかモラハラとかその砕けた言い回しは私なりの色なのでご了承を。信長の同盟者の徳川家康が信長ん所に遊びに来た際、信長は光秀に家康の接待を命じた。だけど光秀は「んなもんもっと下っ端にやらせとけ」と不満だった。そんで家康にどんな料理出すのか光秀の下を訪ねたとき台所に腐った魚を信長は見つけると「んな腐った魚を大切な友である家康殿に出すなんててめえ何考えてやがる」とモラハラされた。それで光秀キレて本能寺の変の伏線。

・光秀の母を信長が見捨てた。

光秀が丹波攻略中に丹波の国人波多野氏に「自分の母を人質にするから降伏してくれ、身の安全は保障する」といってこれに波多野は応じたが信長に波多野は殺された。それを知った波多野の家臣は激怒して人質にしてた光秀の母を殺した。光秀にとってはまさに寝耳に水。まさか波多野を信長が殺すとは思わなかったし、だから母を人質に出すことができた。光秀の母なんてどうでもよかったんだと言わんばかりに信長の光秀の配慮を無視した行動は後に本能寺の変の伏線になる。

・長曽我部を思っての行動

これは井沢元彦氏の独自の考察(氏の著書「逆説の日本史」参照)。四国の大名長曽我部元親は当初は信長と友好関係で信長は長曽我部の外交を光秀に任せていた。しかし同じ四国の大名の三好氏との外交を担当してた秀吉の発言権が大きくなりそれにつれて信長と長曽我部の関係が悪くなる。信長は三好氏を支援して長曽我部を討つに至った。これに長曽我部と信長の橋渡しをしていた光秀はメンツを潰され、ひいては長曽我部にせめてもの償いとして信長を討つことを決めた。井沢氏はその事件で最も得をした人物が黒幕であるという習わしを元に考察している。長曽我部を討つために信長の三男信孝と丹羽長秀が大軍を用意して準備万端だったものが本能寺の変でその計画も頓挫して長曽我部は救われたばかりか四国統一までこぎつけているしこんな都合のいいこと偶然にしては出来過ぎている。もしかしたら長曽我部が光秀に信長討ってくれと頼まれ光秀がそれに答えたからだという。

・光秀が天下を望んだ

戦国の世は下剋上。家来が主君を滅ぼしのし上がるのが乱世の習いとされた。光秀にもそんな欲が出てきた。光秀は毛利討伐の指揮を自分にしてよと信長に直談判した。が、拒否されてそれは秀吉に任されてめーは秀吉の援軍になれと信長に言われた。あんなサルの援軍なんて俺のプライドが許さないと光秀激おこ。そのうち連歌の会を開いて連歌師でもある里村紹巴出席の席で光秀が詠んだ

「ときは今 あめが下知る 五月かな」

「とき」とは光秀の出自土岐(土岐氏)。「あめ」は雨のことで雨は天から降ってくるものでつまり天を指し転じて天下を意味する。「下知る」は雨が滴る(したたる、雨が滴り落ちる)と詠めるが下知るとは命令の意味。「五月」はそのままの意味で5の月。この歌の意味は

「この光秀に天から天下をとれと命が下った」

と。つまり光秀は自ら天下を望んだがためにこの歌を詠った天下取りの決意の証。5月に詠んだ歌はすぐ6月に決行された。主君の裏切りは光秀自身の欲によるものとされている。

・朝廷黒幕説

天下統一を進めるにあたって信長は新たなる秩序を生み出そうとしていた。旧来の政治体制ではいずれ日本は乱れてしまう。これからは古来からの伝統権威を否定して信長は新しい権威、秩序を作ろうとしていた。それは信長自らが日本の主となるということ。これは簡単に言うと中国の皇帝みたいになるということ。それを裏付ける出来事があった。信長が上洛の際に足利義昭から副将軍、管領にしてやるという打診をされたが信長は断ったのである。信長は副将軍なんていう義昭の家来になることを否定したわけだがこれは旧来の権威の否定でもあり信長の家臣たちは驚いた(秀吉も驚いたとされている)。幕府の権威を否定するのはまだいい。しかし朝廷まで否定するとなると…。朝廷は信長の功績をねぎらい信長を権大納言兼右近衛大将に任じさらに右大臣に任じたが信長は高い官位をすぐ返上して散位のままでいた。朝廷の官位、それも大臣職や武家が渇望してやまない近衛大将の地位に固執しない信長の態度に朝廷は不気味さを覚える。ならばもっと地位の高い関白や太政大臣、また幕府開設に不可欠な征夷大将軍の打診を信長に伝えるが信長からの返事がないまま本能寺の変が起こる(三職推任問題)。信長が朝廷の官位に関心を示さないのは朝廷事態に関心を示さないということで、それは天皇家軽視の現れであると朝廷側は受け取った。信長は御料地を回復させたり表では勤王家に勤めているがいずれは足利義昭みたいに朝廷を用済みにするつもりだと天皇家を滅ぼし新しい王朝を打ち立てようとしているから朝廷の官位に無関心なのでこのままでは天皇家が信長に滅ぼされる。朝廷の公家たちは陰謀を企て信長に近くて朝廷を篤く敬う光秀に白羽の矢を立たせる。お前の主君信長は天皇家を滅ぼそうとしている。それは日本を滅ぼすというもの。古来日本の成り立ちは天皇家に由来するのでそれを滅ぼす信長は天下の大悪人。自ずと始末しなければならない。密命を受けた光秀は信長を葬るために本能寺に向かう。

・暴君討伐説

信長は天下統一に当たってかなり残酷なことをしてきた。浅井朝倉の当主を髑髏杯にしたり裏切った荒木氏の一族を皆殺しし、長島の一向一揆で降伏を申し込んだ信徒を鉄砲で蜂の巣にしたり、延暦寺の僧たちを生臭坊主として焼き殺したりいくら戦国の世とはいえ信長の苛烈な行いに家来たちはついていけなくなった。信長の古参の家老であった林秀貞は昔信長を裏切った経緯を蒸し返されて追放されたり最有力家臣であった佐久間信盛も大した功績をあげていないという理由で追放されいかに重臣であっても信長の虫の居所が悪ければ追放、もしくは切腹されるのではという恐怖が光秀や秀吉は抱いた。特に光秀は延暦寺焼き討ちの際に女子供まで切ることはないと信長に嘆願したが信長は誰であろうと切れと光秀に命令してとてもこの人にはついていけない、この人が天下を取るならば世の中は恐怖に苛まれるとその後の未来を悲観して同僚家臣共々示し合わせて信長を謀殺した。秀吉が中国大返し出来たわけは秀吉は光秀と共謀してたから。しかしそれならば何故秀吉は共犯の光秀を討つのか? 主君殺しの光秀が生きていたら他の大名に示しがつかないばかりか主殺しになんて従うものかとそれまで従ってきた大名が離反し世の中はまた応仁の乱再来となるやもしれぬ。それならば光秀は自ら大悪人となり秀吉に討たれることで使命を全うしあとの天下のことは秀吉に任せようと。節義ある光秀ならではの発想である。

 

なんだよーWikipediaやけに様々な説が語られてるじゃねーかよ。これじゃこのブログの出番なんてねーな。もともと大したことないブログにせよWikipedia見たほうがずっといい。これら幾重にも様々な説が取り立たされていますがどれもが当時の資料から読み当たるにあたって信憑性は限りなく低いもしくは否定されつつある。結局本能寺の変は未だかつて謎のまま。学者どもが好き勝手言っているに過ぎずまさにオカルトレベルなのです。にしても光秀謀反の理由を書に残してないのはやはりおかしい。噂好きな公家どもは日記を書くのが大好きであんな大事件公家ども興味抱いて日記に記すだろ。紀伝道とか家業にしている堂上公家ども、歴史を後世に伝えるためにお前らいるんだろ。それを記さないなんて怠慢じゃね? みっちゃんが理由教えてくれなかったのかなぁ? やっぱ歴史に残せない都合が悪いことがあるから本能寺の変についての記述がないんだろ? やましいのかな? 何か知られたくないのかな? 信長を殺した黒幕が誰なのか? 歴史とは都合が悪いことはぼかして書いてるかそもそも記さないのがデフォ。だとしたら信長暗殺はじつに都合が悪い何かだろ。そもそも本能寺の変って結局何だったの?

麒麟が来るという大河はいかにして本能寺の変を招いたその理由それだけに着目してほしかった。鉄砲手に入れて浮かれている光秀とかいいから、岡村、堺正章なんて出さなくていいから、その時代にしては不自然なくらい鮮やかな着物の色とかは別に気にしないから、信長を討ついかなる理由が示されていなかったとしたらこの大河の評価は低いと思うのですが。いやいや、本能寺の変の真の理由とかやっちゃったらこんな理由じゃないとかいって自称歴史通がNHKに抗議するかもしれないと考えて、それを恐れて特定の人間どもに配慮した結果、具体的に謀反の理由を描かなかったんだろうか? だとしら麒麟が来るの本能寺の変についてあれこれ言うのはむしろ野暮なことだろう。うるせー人間に気を遣うのなんてほんとまじうぜーからな。だから「うっせーわ」という歌がはやるんだなぁ。