寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

勝手に大河の名場面(風林火山編)

コロナでコロコロされてはたまらんと休日には引きこもって(以前からだが)何か部屋で楽しめないかと今やってる麒麟がくるという大河を見たりした。斎藤道三と息子の義龍(実の息子でない?)が問答起している回を見たが正直よくわからない。そもそも斎藤道三とかよりも三木道三のほうがピンとくる。一生一緒にいてくれやでいいじゃん、何争ってんだこのバカ父子は。

私はただ権力者同士の争いにすぎず、領民を思いやることもできない戦国大名とか嫌いです。佐倉惣五郎大塩平八郎田中正造らを尊敬して帝の土地を勝手に横領するヤクザまがいな暴力集団の頭を好きになれません。そもそも歴史自体が過去のどうでもいい出来事に関わるような学問は嫌い。過去から学び未来に生かすのが歴史だと高校の先生が教えていたが、歴史なんてただの興味関心から好きになるだけでただの趣味であり実社会には不必要。

そんな歴史嫌いな私が珍しくよく見てたのが山本勘助を主人公とする風林火山千住明作の勇壮なOPは変なコメディーを入れてこない(真田丸の真田兄弟が将棋崩ししてるアレ)正統派な作品であると顕著に物語るもの。ストーリもよく作り込まれているし、村上義清との戦いはこちらから図書館で調べてみたくなるほどに興味深いものだった。GACKT演じる上杉謙信は人間の悪しき欲を毛嫌い神仏に生きてこそが真の正しき道という史実に残る清廉ながらも自らを毘沙門天の化身だと公言するナルシストを誇張したような演技がよくできていて素敵だと思った。どちらかと言うとこの大河、謙信のGACKTばかり語りたくなる。そんなこんなでこの場面はないものかとYouTubeで探してみたら見つかった。やっぱりこの場面おさえてあったか。見つけた時に嬉しくなった。

 

 


風林火山 GACKT謙信 CUT#35

 

伊豆相模の国主北条氏康は川越野城戦で古河公方関東管領上杉氏ら率いる大軍を智謀と勇気で破り関東に覇を唱える。それまでの領地を北条に奪われた関東管領上杉憲政は越後の長尾景虎を頼る。景虎(のちの上杉謙信)は憲政の要請を受け北条討伐に向かう。景虎の威風の前に関東の氏族は景虎に従いついには北条氏康の居城小田原を包囲するに至る。しかし堅城で名高い小田原の城と名将氏康の奮戦もありいかに戦いの天才景虎でも攻め落とせずにいた。硬直が続く中、景虎に付き従っていた忍城主成田長泰が離反したとする知らせが景虎陣営に届く。景虎に忠義を尽くすとした長泰は妻で人質の伊勢までを残して帰ってしまうことに景虎の心中は怒りに震えていた。そこに伊勢が兵によって景虎の前に突き出され伊勢にこのような裏切りが続く限り戦いは終わらないと伊勢に怒号を浴びせる。そんな景虎の言葉に伊勢は・・・。

私は戦国時代は女も戦っているということをこの場面から読み取れる。戦国時代に女性に人権はない。大名の娘はもっぱら政略結婚のためにあり、時には人質として体よくつかわれてきた。そんな人であるのにモノとして扱われてきた戦国時代の女性にも男たちとも戦ってきた。この大河の場面の井川遥演じる伊勢は夫のプライドを守った。動画でもあるように夫の成田長泰の祖先は源氏の総大将として誰もが知る源義家でさえも馬から降りずに礼をかわすほどの、そんな無礼なことも平気でできるほどの名門とされていた。景虎鶴岡八幡宮関東管領に就任して街を練り歩くと関東の諸将はみなが景虎の乗る輿に跪いている中、長泰だけが先祖の古例に法り馬上から景虎の行列を眺めていた。そんなことは知らない景虎「何故平伏せぬ」と怒り長泰を馬から引きづり下ろし衆目の前で棒のようなもの(?)でうたれた。これが長泰離反の伏線である。また長泰の仕打ちを目にして景虎と言う男に関東の諸将も愛想をつかし長泰と一緒に景虎の元から離れだす。

伊勢の戦いは長泰とその先祖の誇りを守ること。そのためならば命を奪われても本望。ただ許せないのは人のこともよく知らない癖に自分は神仏の加護を受けていると自惚れして大言を吐くこと。夫のメンツをつぶされたのならば妻がその敵とばかりに景虎のメンツをつぶして見せる。これこそが戦国で生きる女の戦いである。「神仏を熱く敬うあなた様がこうも人の心(長泰が何故馬上から降りなかったのかを考えようとはしない)に無知であったとは」、「(それなのに裏切ったという事実だけで打首にするような自分を神仏だと疑わない人間)神仏が人を手打ちになさいましょうや、天罰とは所詮人間の驕りに過ぎますまい」と気丈に語る伊勢の言葉は景虎の痛いところをよく突いた正論。伊勢も最初は景虎のことを尊敬していた節があるから景虎を素晴らしい人物だと信じていた自分が情けないという失望が怒気を含み、人の心も知らない人間だったというもう一つの失望が涙として伝わる涙目の演技は息を呑む。それにしても自分を完璧な人間だと思い上がる景虎に対して伊勢の冷や水ぶっかけは強烈である。これが出来なければ女は男と戦うことはできない。何も槍や刀や弓だけで戦うのではなく言葉で戦う戦国時代もあるのかと感動したのがこの場面である。

景虎は伊勢の言葉は神仏が宿った言葉であり、伊勢の言葉こそが神仏そのものであり自分の過ちを気づかせてくれた。伊勢にこんな言葉を吐かせてしまったのは自分の罪であり長泰はじめ関東の諸将が自分の元から離れたのは当然の報いだと己の罪を認めた。この時のGACKTのなんとも哀愁に満ちたセリフとそれを示す表情が今見ても涙を誘う。人はなかなか自分の過ちを認められないもの。特に自分を正義と信じて疑わない人間なら尚更。そんな間違った正義を正せる人間は今の世の中に実在するだろうか? 私はダメだな。凡人のできることではない。

ただ、これは上杉謙信だから道理が通るもので別の武将だったら・・・。

たとえば信長だったらこう言うだろう。

「名門が大切ならば何故足利は衰退した? 何故三管領は他人に国を奪われた? 四職は今やその家名さえ保つのに精いっぱいで将軍連枝の今川はわしのような被官ごときに討たれたのだぞ。この戦国は力こそすべて。名門だろうが何だろうが力なきものは滅びる宿命ではないか。ならば今は力のある者に従っていればよいのだ。先祖の威光だけで飯が食える世の中なぞとうの昔に潰えたのだ」

とか言って伊勢を一喝するだろう。謙信は関東管領とか将軍家とかに拘わっている旧態依存の復古主義者だからそういう名門というものに敬意を示すから伊勢の説教が効いたわけで。

もしかしたら価値観の問題であり、何が正しいのかはわからないものなのではないだろうか? でも結局天下人として国を再度立て直そうとそれができたのは強いと言われていた上杉謙信ではなかったこと。その理由がそんな古めかしい古代の習慣を大切にしていたからだと思う。それとは反対に寒門だろうが何だろうが猿でもなんでも秀吉を重宝したり足利義昭からの副将軍打診も蹴るような権威秩序に捉われず常に新しい価値観を導き出した信長って実は凄いと思う。権力者は嫌いだが、何かを目指して生きてきた権力者は好き。ただそれとは別に自分の信じる義を貫く姿勢を生涯忘れなかった謙信にも心を打たれる。最初に言っていた戦国大名が嫌いと言うのはこの二人以外のことであるのであしからず。