寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

東方の例大祭

f:id:kurihu:20190501141111j:plain

東京駅にて

 

令和という年号を英国では「Beautiful Harmony」ビューティフルハーモニー(美しい調和)と訳したのは驚いた。秀逸な翻訳どころではない。こんな訳されてしまえば「和を命令する」と解した私の教養のなさに愕然とした次第。何で日本人が自国の元号に卑屈になる必要があるのだろうか。

令和という時代が始まり、これからどのような出来事が起きていくのか。何かいいことでも起きないかなと。そういうわけで、いいことを起こそうかと今回は出かけた先は東方の例大祭。「・・・ホントよく飽きないっすねw」。そうやって髪を切ってくれるアンチャンにタメ口言われそうだけど、何かいいこと起きればいいな例大祭…。

東方の何がいいのかは私も正直分かりません(東方の何がいいかはこのブログのどこかに書いてある)。とりあえずノリで行ってみます。もうね、私の中では例大祭ヤマザキ春のパン祭みたいなものかもしれません。私は列に並ぶのが大嫌いなので10時30分開場の今回の博麗神社例大祭、一時間近く遅れて会場に着きました。ありゃまそれでも並ぶのか。朝っぱらから並ぶ奴らは何を目当てに早起きするのでしょうか? いつもは東ホールが会場が今回は西ホール。会場をエスカレーターで分けてあるから移動がめんどくせぇ。なんで素直に東でやれないかなぁ。ついた早々愚痴。カタログを買わないと中に入れないので買う。本来は前日にとらあたりで買っておけばいいけど当日気が変わって行かないとなると無駄でしょ? だからいつもカタログは当日買ってます。そもそもカタログなんか重いし1700円取るくらいなら小さなチケットにすればいいのになぜカタログ買わせる? 要するにアレだろ? 印刷会社と運営の癒着だろ? あーちがってたらゴメン。

今回買うのはフィギュア。まーたそれかよ。向かうのはフィギュア会社キューズQのブース。古明地さとりを買った。やっとこのフィギュアでたよ。どれだけ待たせたんだ。通常カラーはどうせ後で出るから限定カラー買った。

 

 

f:id:kurihu:20190505192903j:plain

やっぱフィギュア棚小さいなーもっとでかいの買えばよかった 

 

 

早速出して飾った。右のほうのやつね。左のほうも古明地さとりだよ。そっちはグリフォンの。表情が好きです。さとりというと幼くてジト目で何考えてんだかわかんねぇ原作の絵ではなく、穏やかなお姉さんという印象。そこが気に入りました。それとフワッと風になびいてスカートが広がり細い脚が見えるシチュエーションがグー。格好も気に入りました。

 

 

f:id:kurihu:20190505192252j:plain

 

 

どうせ東方のフィギュアなんて誰も買わねえだろう(14000円もするし)と思い、重役出勤みたいな時間で会場入りしましたが、まあ買えた。けどこの晩杯あきら氏のレミリアは売り切れなのが納得。コレ、東方フィギュアだけでなくて全ジャンルのフィギュアと比べても屈指の出来栄えでキューズQの本気であると私は思います。フィギュアバカのワシがいうんじゃから間違いないよ、たぶん。

 

 

f:id:kurihu:20190505193038j:plain

 

 

あと会社の後輩にこれあげようかと買った。後輩も東方が好きだけど一緒に行くかといったら恥ずかしいからヤダと。34で行く俺はなんなんだと思った。通常版カラ―が欲しかったけど売り切れたから限定色買う。限定色が残るというのはねぇ、変なアレンジするからだよ。グリフォンが潰れたのは気色悪い限定カラーを乱発して原作キャラの「色」というのを捻じ曲げたからだよ。原作通りの色を求めているんだよ私みたいな東方のフィギュアファンは。

以上今回が例大祭で欲しかったものです。ハァ? てめえフィギュア買って終わり? 例大祭ワンフェス間違えてんじゃねーの? と思うかもしれませんが今回はフィギュアだけが欲しくて。同人誌とかはいつもお決まりのストーリーで昔と比べて話が凝った内容の同人誌がない(イチャラブとか日常系のどうでもいい話ばかりで…私の見つけ方が悪いかもしれないが)し、音楽CDとかは…うーん、今回はいいや。しゃーなく歩いたら素敵なのが見つかったので写真に撮った。

 

 

f:id:kurihu:20190505193220j:plain

 

 

フィギュアの次はドール。フーンご立派ですね。この魔理沙、まず黒スカートの衣装のヒラヒラが凄い。どうやって作ったんだと! あと素体はMDDかオビツのかわからないがカスタムヘッドとレジンアイが最高。こんなの家にあったらエビリファイなんていらなくなるね。気になるお値段は…禁則事項なのか詳しく教えられないと。ンじゅうまん円だそうです。私も今度は常陽銀行のATMから金下ろしておくか。東方でドール系のサークルってあんまないんだね。オクで凄い値段で取引されているから誰かやればいいのに。アリス・マーガトロイドのドールなら私本気になるよ。あ、あとプーリップ魔理沙が展示されて写真撮ったけど、それ私のキモい顔が映ってたからここでは載せられないw

 

 

f:id:kurihu:20190505173238j:plain

 

 

あと公式グッズ買った。私の東方はマリアリでこれで東方が好きになった。昔はマリアリ、こればっか好きでバカみたいに買ってたよ。今は…別に…。東方も今と昔はいつまでも続くものではない。私の知り合いの東方サークルは環境が変わってもう止めてしまったり、他のジャンルに移ったり以前のようにサークルに挨拶することもなくなった。おかげでフィギュア買うだけの例大祭になった。サークルに行ったら買うのではなく、サークルに行ったら「お久しぶりですね」とサークルさんから言われるようなそんなことが楽しくて例大祭に参加していたんですけどね…。来年の例大祭は五輪関係で東京ビックサイトが使えなくなるから静岡でやります。じゃあ行かねー。私の行動範囲は狭いのはパニック障害とかあるから見知らぬ土地にはあまり行きたくないのです。でも、地方でこんな大きなイベント行うことはいいことです。これからは毎年様々な場所で例大祭とかやれば? いつも東京ばかりでつまらないだろうし。

さて、ここから下は今回の例大祭についていろいろ書くつもりでしたが、なんかあまり思ったこととそれを文章にするのがメンドクサイ。やはりもう十年以上やってると飽きてくるのかな? 今の東方は音ゲーとかゲームから派生した新たな創作という枠から東方という名が知れ渡っていくと思います。それは企業頼みの広がりですが、私としては同人という言葉の個人だけの力を集めて、つまり企業ではなく名もない人の作り手が東方を広めてもらいたいという思いです。東方は今まで企業に頼らず同人という商業色を感じさせないやり方でここまで広がった。企業と対局する素人の手作り感が親近感を与え、素人がワイワイがやがやとやってきていつの間にか盛り上がっていったのが東方の根幹だと。そこに企業が入り込むとその素人でやっていたジャンルはどうなるか? ニコニコの衰退も素人が盛り上げていたものに金のにおいをかぎ分けた運営が企業を招き入れて、それが素人のコミュニティからしてみれば興ざめだったのだろうと思う。企業のマーケティングと個人の創作とは相容れぬものだと思うのです。金が儲かるほうに皆がシフトしてしまい、儲かるモノしか作らなくなり、創作の幅が狭まってしまう。そうすると人気がなくてもそれが好きでやってきた人には「もうこれをしないと人気が出ないならばやめてしまえ」と、そうならないだろうか? 東方もスカーレット姉妹が人気だからといってそればかりが目につき現に繁盛している。けどいつまでも紅魔館組ばかり人気になっては様々な作品を通して広がった東方の多様性に疑問符が打たれる。紅魔館が人気だから企業がそれを売り出し、それをまた同人の方が真似した。結果紅魔館組が盛り上がる。私はそういう考えですが、その考えは野暮なのか? そのもやもやした気持ちが東方が嫌いになる一因です。

正直今回参加してみてあまり楽しくなかった(どちらかというとね)。好きなサークルさんはいるけど、買っておしまいだとなんだかやるせない。誰かとつながることもなくフィギュア買うことだけの今回を考えたら尚更。めんどうな性格では素直にイベントを楽しめないのかな? 体調も悪かったし、今回こんなの買って飲むことになるとは。

 

 

f:id:kurihu:20190505102344j:plain

山手線車内で飲むなw

 

写真がでかすぎなんだよ。コレ、太田胃散を水で溶かしたようなもん。飲むとクッソ苦い。おかげで食道と胃がスースーする。そこが胃のムカムカを抑えてた。今回のイベントのMVPです。

平成最後の日、街の様子を見てみる

私は昭和59年10月3日(水)に茨城県取手市戸頭の病院で生まれた。その頃生まれた当時の記憶は流石にないだろっ、なんか不気味なくらいおとなしくて夜泣きとかしない系だったという。しかしなんと3歳になっても私は言葉を喋らなかった。「あっ、あっぷ、ぷー、・・・」みたく自分の親「ぱぱ、まま」も言えなかった。心配になった母は埼玉の施設に連れて行った。そしたら一日したら言葉を喋るようになったという。私も当時の記憶が全然ないっ、が、何か黒魔術みたいなのをかけられたお蔭だろう。おかげで今では意味不明なことも喋るようになった。そんなオツムがアレな子供の私が満5歳の時昭和天皇がご崩御なされ大喪の礼をテレビで見ていた時に涙を流した。それを母はとても驚いた。私も涙を流した当時の記憶、これは確かにあった。黒い束帯の恰好をした何人もの人がとても立派な輿を担いで雅楽の曲と号砲の中、輿が動く。そこが私が涙した場面である。その後春になるまで何となく暗い気分でいて楽しみにしていたクリスマスプレゼントさえも喜ばず母は何故プレゼントしても喜ばないのと殴られた…うん…そう…。昭和天皇がいなくなった今の天皇陛下はいるけどだけどあんなこういってはなんだが陰鬱な暗い葬式を見た私はトラウマだったのだろう。そんな私の気持ちが晴れたのが秋篠宮文仁親王のご成婚の時。大喪の礼とは打って変わって晴れやかな空気だった。立派な車から若い秋篠宮文仁親王紀子さまの晴れやかな笑顔をテレビで見た時、私は気持ちが戻ったのである。その後の1993年の皇太子殿下と雅子様の結婚パレードは体の芯から震えた。特に雅子様ロイヤルウエディング姿は「これ程きれいな女性は今まで見たことない。なんていう美しさなんだと」ガラにもなく当時の私は惚れたものだった。

昭和天皇のご崩御から秋篠宮文殿下と皇太子殿下の結婚、私が平成で最も印象的な、平成と聞いたら何を振り返る? 私はこの出来事を真っ先に挙げる。

今いい年して平成の思い出を語るよりも幼いころからの感受性を伝って目や耳から入ってくる情報のほうがいつまでも一番であるといい続ける。災害の時代といわれた平成、でも私は平成という時代を災害であったと認めることは災害で亡くなった方たちを思うと大変悔しいのです。それは平成だから災害で死んだんだなということになり平成の時代という犠牲者になるということなのか? そんなのは死んだ方に対して大変失礼ですし、昭和の戦争のときだけでもうたくさんです。そうじゃないでしょ? 平成に楽しかったことや嬉しかったことがあったでしょ? 平成が災害だらけだからといってあんな晴れやかな結婚パレードまでも災害でかき消してしまうのでしょうか? 私の大切な思い出「平成」をそんな災害という言葉で締めくくらないでほしい。

前置きは本当のところどうでもいいが、今日平成最後の日街はどんな様子なのか見てこようかと外に出かけました。あんなにバカに車で轢き殺されるといいながら、まうそんな考えメンドクサイ。

 

秋葉原

なんでこんな日なのに曇り雨なんだよ空気読めよと天気を恨んだ。ここ秋葉原は天気が悪くても人が多い。いつものゴールデンウィークとは違い平成最後の日が関係しているのだろう。あいもかわらず北京語広東語が行き交う、ここは中国の租借地かと思うくらい秋葉原です。ラジオ会館は混んでいた。あまりここにいることは平成という時代を偲んでいるようではなくただたんにフィギュアやプラモに心躍らせているように見える。私も最初は冷めた態度だがフィギュアを見ると素に戻る。私も同じ穴の狢か。そんでこのドールが欲しかった。

 

f:id:kurihu:20190430184455j:plain

 

 ほんとなんの反省もしとらんな私。

 

水道橋

巨人対中日の試合が東京ドームで行われるのか人がにぎわっていた。私は別にドームの試合を見に来たのではない。平成最後だから平成最後に馬券を買ってみただけだ。はぁ…こんな日になってまで博打かよとあきれますね。一応競馬も趣味の一つとしていたから、帝室御賞典はJRAが嫌いだから買わなかったけど地方の競馬だったらと買うことにした。相も変わらずここにいるオフト後楽園の爺どもは節操もなく新しい時代を待ちわびてる雰囲気は感じられない。感じるのは金のことばかり。浅ましいな。ここにいると人間だめになってしまう気がするので最終レースだけ買ってとっといなくなった。買ったレースは「ありがとう平成特別B3三」。ありがとう平成という、まあこのレース買えば平成の私の競馬人生に区切りを打てる。

 

f:id:kurihu:20190430185738j:plain

 

7から人気馬に流す。当たってんのバーカ(一万以上の配当)。ちなみに7の馬の名前はトーホウビースト。私は東方が好きだから買ったんだよ。それ以外理由もない。あと最終八百長すんな。

 

新宿

うかれぽんちが多い印象。特になんかを求めるのではなく駅周辺を歩いただけ。なんか教養がなさそうな会話がちらほら聞かれる。マッポがなんか多い。変な事件があったからね。新宿の駿河屋にでも行こうかとしたけど、どうせ何もねえと思いやめた。とある天然石売ってる店いったり歌舞伎町見て回ったり、なんだよ平成最後の〇〇って(倫理上よろしくないので割愛)。あーあとなんか集会してたね。反天連? その辺はサイトで詳細を調べてね。私そういうの興味ないから。

中野

中央線でブーン。ここのサブカル臭は今日もいつも通り。やたらベラベラ喋る香ばしい爺が多い。あとかわいい子が多い。中野ブロードウェイまんだらけでいかにも昭和な本を見て回った。ここは新しい年号になっても昔懐かしのレトロな空間、風情は残してほしい。フィギュアぼったくりじゃねえかよ(某店)。

池袋

ここは都内で一番かわいい子が多い(ホント多いよ!?)。天気が暗くても街中は華やいでいる。まさに太田裕美の歌詞に出てくる都会の絵の具のよう。私が入りずらい店上位の池袋アニメイトに潜入。うーんピンとくるのはないなー。腐男子じゃないからか? 

渋谷

スクランブル交差点はいつもテンション高いよね。すまして都会では馴れているというような歩き方している人でも今日はなにやら意識が働いているような気が。ハチ公広場は外人の並んでの記念撮影。皇居をバックに記念撮影もいいんじゃない? 渋谷センター街を歩くと不謹慎なチャラい恰好の方は見かけなかった。空気読んでんのか? まんだらけに行ったらエレベーターがなかなか降りてこない。てかさっきからそんな店ばっか行ったりしてそれじゃいつもの休日となんらかわらないじゃないか…。

上野

桜を見に行ったら案の定散っていた。当たり前だボケ。トーハクもう閉館じゃん。7月9日の三国志展が楽しみ。なんか曇り空がこの上野公園は似合わない。この時期の上野公園はもっと、太陽の日差しが降り注いで暑いくらいで噴水が涼しげに感じられないと。マジ天気空気読めねえな使えねえな。

浅草

変な刃物振り回すのがいるから行かなかった。

品川

旅行客が間違ったテンションでいる。ゴールデンウィークだからといって浮かれすぎ。もっとなんていうか、仕方ないか。私は変わり者だから(たまにですよ)鈴ヶ森刑場跡のほうへ行くけど今日はもう日が暮れたのでスルー。デパ地下のパン買って帰った。令和饅頭みたいなのある? ないって。なんだつまんねーな、ちぇっ、。

 

東京駅降りて皇居でも眺めてみようとしたけどもう寒いし暗いしやめた。なんか平成最後の街めぐりはたんにオタクショップ巡りになりました。まさに最後の最後まで進歩がない、こんなんで次の時代を歩んでいけるのか? 否、ただ機に臨じ変に応じるのみです。何もしなくても時代は進んでいくのだからそれに従えばいいのです。そのほうが気楽ですからね。口では日本は変われ変われといってきましたが、どうも陛下が変わるからと自分までもなかなか変えられないんですね。今日街巡りして思いました。新しい時代が来るけれど、街はいつも通りの休日とその人の流れも仕草も言動も行動もなんらいつもの休日でした。陛下退位の時間を皆が共有していたとは正直思えません。それは決して悪いことではないと思います。今こうしてこれから平成最後の食事は野菜をいためてチルドのラーメンにぶっかけるタンメンを作ろうとしていますが、そうやって平成に思いをはせるのは心の中でやっとけばいいのです。

けれどもやっぱり本音を言うとこう変わっていってほしいという思いがあります。これからの日本は人々が優しくて寛容で器の大きい人たちが活躍して、たとえ平凡な能力であっても人柄の良さを最大限に尊重してそれを社会がこれまた最大限に評価してそれが人々の幸せにつながればなという思いです。それとあまり周りの目を気にせずに好き勝手やっていってもなんら口うるさく言わないような自由な社会がいいです。みんながみんな違うのにそれを統制していく社会はまず私は望みません。主体性を重んじ多様性を認め価値観を分かり合える。そんな社会を令和という年号に託していきたいと思うのです。

 

楽しみも死んでしまえば意味なし

これからの休みの日は外に出たくない。バカに車で轢き殺されるなんて御免だ。自分の命は自分でどうにかしたいのに他人に殺されるなんて屈辱以外の何物でもない。

 外に出ると事故や事件に巻き込まれる。それを覚悟のうえで人々は出かけたりするのだろうか。もしかしから明日、バカ老害が運転するプリ○スに轢き殺されるかもしれない…そうした予期せぬトラブルも頭に入れて…それを理解したうえで外に遊びに行くという…果たしてそうした考えの人はいるのだろうか…。

私はいつもそうしている。交差点で信号待ちしている時、走る車をよく見ていてるし、あまり道路に近づいて信号待ちはしていない。どこか一歩引いた位置から信号待ちしている。ビルの工事現場では常に上を向いて歩こう。涙がこぼれないようにそうしているわけではなく、ビルからこぼれた外壁が頭に当たったりしないようにするためである。駅のホームでは精神薄弱者に「逃がさんピョン」と抱きつかれてホーム下に転倒して電車で己の身体がたたきにされないように常にホームの真ん中で電車を待つ。怪しいアサシンクリードみたいなフード付きを着ている人間とはなるべく近くですれ違わないようにしている。辻斬りされるほど私の身体は丈夫ではないからだ。あとは地球の活動に注意をしたいものだが大地の揺れだけは人間にはどうすることもできない。地震とか自然の力で殺されるのは天が決めたことであり天命であるのだから、その天命に従う。

好事魔が多し。死は望むと望まないにかかわらず突然訪れるものである。それはこの連休中かもしれない。連休中の事故、果たして自分は会わないだろうとどうして言えるのだろうか? もちろん「この遊びは死ぬこともあるだろうな」と思いながら楽しむのは興がそがれる。そこにつけ込むのが死神というもの。浮かれ気分はどこか自分の命を気にも留めなくなるその瞬間が恐いのである。私は連休で人が死ぬのがことのほか嫌なのである。だから皆に注意してほしいだけである。遊びに出かけて死ぬとなれば親は遊んで死ぬために我が子を育てたことになる。それは親不孝の十乗である。

私は連休中外に出ている人の幸せそうな顔を見るのが嫌だから籠ることにしている。その外に出ている人の幸せそうな顔がそうでなくなる事故をニュースで見るのはもっと嫌である。もう事故で死ぬなんて、もうよいではないか。そんな事故に遭うくらいなら私みたいに引きこもっていたほうが長生きしようものなのに。

人を讃えるからにはとことん讃えるべき

Threekingdoms(スリーキングダム)をここ最近よく見ている。中国の歴史としてよく日本でも知られている三国志を描いた中国のドラマです。三国志はある程度の教養として知っておいてほしいと個人的には思っているが、中々三国志好きな人というのは出会ったことがなく世間は案外狭いもんだなと落胆したりもした。仕方がなく一人でそんな中国の歴史を見ることにしている。その史劇ドラマの中で特に私のお気に入りのシーンがYouTubeに挙げられていたのが驚いた。そうそう、このシーンが好き。

 

 


曹操の10勝、袁紹の10敗

 

このシーンは後漢末期に軍閥として二大勢力とされた曹操袁紹が対立し三国志の山場の一つとされる官渡の戦いに至るまでの天下分け目直前の曹操陣営の様子を描いている。曹操は世に知られた英雄だがこの時点では袁紹側の国力のほうが曹操よりも上回っていた。ゆえにさすがの曹操袁紹との戦いには迷っていた。それを曹操の軍師参謀筆頭の荀彧が袁紹に勝てると曹操に進言、またその勝てる理由を戦う前から袁紹は十敗し曹操は十勝しているのだから戦う前から勝負は決まったと断じた。その十敗と十勝とは、ものの見事に言い当て妙であり、曹操の覇業を支えたのはこの荀彧だと言って差し支えないほどの名演技だと。

私はこのシーンが大好きです。荀彧は優秀な部下として私は尊敬し、かくありたいものだと思う次第です。このシーンをもう少し詳しく見てみる。

最初に早々と戦わずに和睦すべしと唱えたのは孔融孔融はその孔という姓からみると孔子から数えて20世の孫であり、聖人孔子の子孫という家柄の出からも影響力が大変強くその孔融袁紹とは戦うなというのだから諸将は沈黙。ちなみに孔融が優れた武将と語ったのは

文官

許攸(官渡の戦い最中裏切り曹操につくものちに不遜な態度をとり曹操に殺される)

郭図(袁紹死後袁紹の長子袁譚と三男袁尚の争いの中袁譚につきその後曹操に殺される)

田豊(官渡の戦いの最中袁紹に投獄され同僚に讒言されて殺される)

逢紀(袁紹三男袁尚につき、袁家をめぐり争う袁譚の陣営に赴くも袁譚側に殺される)

武官

顔良(関羽に討たれる。関羽だから仕方がない?)

文醜(荀彧のおい荀攸の策にはまり討たれる)

張郃(袁紹のアホさ加減に嫌気がし曹操に下る)

淳于瓊(烏巣という場所に兵士たちの飯を運んでいたら曹操軍が来て打ち取られる)

孔融の評価した人物は実は・・・田豊張郃は違うだろうけど。孔融の言葉に異を唱えあまつさえ腐れ儒者と言い放つのが荀彧。荀彧は後漢王朝の臣であり名族。最初は袁紹側に仕えていたが袁紹の暗愚さを察して曹操の陣営に加わる。曹操は「これぞ我が張子房」と褒めたたえた。子房とは劉邦漢王朝創設の立役者として多大な功績を残した天才軍師張良の学でありそんな天才になぞられるほど荀彧は曹操に評価されていた。荀彧は袁紹との決戦を断固望み時には戦中曹操が弱気になった際に「相手も苦しいのだから、ここであきらめたら何のために戦をしてきたのか、負けとは戦に負けることが負けであり劣勢であってもそれは劣勢なだけであって戦にはまだ負けてはいない」と曹操を励ましその結果、袁紹軍の食料施設の鳥巣を急襲して食料を全て焼き払いそれで袁紹軍が飢餓状態に陥り袁紹との雌雄を制し袁紹死後の華北曹操は平定するに至る。

荀彧が袁紹との決戦を望んでいても曹操の周りの臣下たちが及び腰ではその臣下たちを説得する必要がある。いくら自分が袁紹と戦いたいからといっても和睦して戦わないという臣下たちの声に曹操が聞き入れてしまうのでは本末転倒。荀彧は曹操と優秀な和睦派たちといわば二重に相手を説得しなければならない。それには荀彧の知性を最大に使うことになる。戦わないというもっともな正論を根拠のない正論にしなければならないのだから並大抵の論説ではそれはなしえない。ならば荀彧は主君曹操がいかに優れて敵方袁紹がいかに愚かなのかをまるで詩を詠むような十項目にわたる優劣を説く反復論法をもって、曹操が優れているのだから勝てる、袁紹は優れていないのだから負ける。それを明快に説いた。曹操という人間がいかに優れているのか、その曹操の下に仕える人間がなぜ曹操が負けるというのだろうか、袁紹に負けるというのは曹操が才なき人間であるということである、それはありえない、曹操の優秀さを知っていながらなぜ曹操が負けると思うのだろうか。荀彧は自分以外の曹操の臣下に今一度曹操の偉大さを知らしめた。荀彧にこう言われてしまえば和睦派の臣下は曹操の才は節穴であると曹操を否定することにもつながる。曹操が優れた巨人だということは臣下全員がわかっていること、その曹操が負けるというのであれば曹操の才がないというのと同じ、そうではないだろうと荀彧は一喝したわけである。

大言を吐くわけでもない。小手先の話術でもない。見事である。和睦という正論が覆った瞬間。巨大な敵が相手でも優秀ならば打ち破れる。優秀でないと思うから和睦するという言葉が出てくるということなのか? それは曹操の才を認めていないということなのか? 荀彧の弁舌は己の心の矛盾を瞬時に見抜いて正鵠を射る。和睦派は荀彧の言葉に肝を冷やしただろう。かたや荀彧の言葉を聞いた曹操はどうだろうか。臣下にここまで自分が優秀であると自分を含めて周りに言い放たれてしまえばこれ以上ない自信となるだろう。ゆえに荀彧を第一に信頼する。曹操も戦いの賛否は決めかねていた。そんな曖昧な考えだから臣下たちに戦いの是非を問いかけた。そしたら和睦の言葉が臣下の口から出た。ああ、やはりそういうのかと曹操は残念だと思うがそれもまた最もな意見だと納得しかけた。そこに荀彧の卓説にいかに自分は優れた人間だと自負していたが袁紹の戦いだけは自分の才能ではどうにもならないのではという臆した気持ちを空に佩びる雲ひとつ残らずかき消すが如く天晴れな言葉として曹操の耳に届いた。それに曹操自身の自尊心をこうも奮い立たせて満たしてくれる荀彧には曹操も感謝感激これ程の臣下を持っていたことに曹操の優れた人材を求めたその結果として荀彧が存在したのだろう。

結局このシーンで私が言いたいのは人を讃えるならばとことん讃えてみよということ。

曹操の偉大さを讃えるのに相対的に袁紹がへっぽこになってしまうこのシーン。実をいうと荀彧の曹操のヨイショがたまらなく好きなだけである。あそこまで人を讃えるようなセリフを聞いて感動したのはthreekingdomsの荀彧ぐらいしか思いつかない。もし自分が優れた人物を褒めたたえたい時には荀彧のような言葉遣いを使いたいと常々思っている。それほどまで褒めてしまえば相手も周りも瞬時に降参するような、あのような荀彧みたいな褒め方を私はしてみたい。だが、しかし自分にはそれは難しい。あいにく素養が疎かで語彙の足りなさも相まって口下手になるだろう。口惜しい。

ん? そもそも私が褒めたたえたい人間はいるのだろうか? 私はそんな人物に実はあってみたい。曹操のようなそんな人間この世にいるかはわからないが是非ともあってみたい。

ゲーセンでフィギュアおっこどしてきた

私は茨城なので訛ってます。だからおっこどす(落とす)とタイトルをつけました。

なにがおっこどすとはゲーセンでフィギュアおっこどしてゲットしました。

ゲーセンなんてもうかれこれ、秋葉原のクレーンゲームはココアのフォルメイツぬいぐるみを取ったりしましたがもうあの手のクレーンゲームはやりません。理由は取れないからです。それと取っても置いとく場所がなくいらなくなるから。どうしても欲しい時は買いますが、どうしても金の無駄なんです。私はゲーセンはプライズフィギュアが目的でしたが今はそれも「昔の興味今いずこ」という心情です。

今日は私の生まれた茨城で車でぶらぶらしてたら若いころクレーンゲームをやってたゲーセンがあったので妙に懐かしくなり立ち寄りました。都心と田舎といったら茨城は田舎だろ? 都心と田舎のクレーンゲームはどういう設定なのか見比べてみようと。「あーなんか設定が、でもなんか取りやすそうだな、100円入れてみようか、・・・だめだこりゃ・・・」。なんだ田舎のゲーセンも都心と変わらないのか。取れる設定をきつくしないと、こうでもしないとゲーセンは成り立たないのかと思うと心寂しくもなります。そんななか、このゲームは私得意だというのがあったのでやりました。名前はファンタジアエナジーといい、穴に棒を差し込む卑猥なアーケードゲームです。私の好きなキャラが景品だったことが動機。

 

 

f:id:kurihu:20190407150537j:plain

ゲーセンってスマホ撮影いいんだっけ? ここのゲーセンモク吸いながらプレーできるぜ

 

2箇所カラにしたぜ! 金を入れて棒を動かし棒を穴の中に通せば棚に置いてある景品が落ちてゲットできるというものです。こういうゲームしてる動画とかつべにあげてみたいね。これは確立機というらしくお金を一定額入れてプレーしないとボタンで棒を動かして穴に入れようとしてもボタンをはなすタイミングに関わらず滑って穴に入らない…といわれてるが、それって違くね? 横に動かすボタンでは滑りがない。縦に動かすと棒の速度がある地点で変速するけど滑ったりはしなかった。昔から疑問だったけどこの筐体は技術があればいいだけなんじゃね? 1400円で2箇所落としたよ。私の全盛期ならば100円で一発ゲットしたよ。滑りが解除した金額に達していた? こんな場末のさびれたゲーセン(失礼)でこんな在庫処分の景品目当てにやってんの私だけだったのにこんなの他の人がやりたがるもんか? クレーンゲームは金がかかるけどこれはうまくやれば一発でゲットできるから好きだった。もしかしたらこのゲーセンではそういう滑りとか最初から解除してあったのだろうか。思えばこのゲーセンだけうまくゲット出来て他のゲーセンの筐体でやると確かに滑っていた記憶が。まあどうにかフィギュアをおっこどすことができました。

 

 

f:id:kurihu:20190407152549j:plain

 

 

実はかえんびょうりん(右側猫耳の子)のフィギュアだけを目当てにゲームをプレーしたんだ。これ、欲しかったけどどこでも2000円以上するから買わんかった。でもやっぱ買おうとしたらどこも置いてなかった。おりんついでにほかのフィギュアも取て得した。なんか別にどうでもいいのも手に入ったけど。

 

 

f:id:kurihu:20190407153041j:plain

 

 

このアスナ素敵じゃね? さすがEXQフィギュア。でも置く場所が…。便所に飾る場所あるかなぁ・・・。

それと、ゲーセンいってみて思ったことは田舎のゲーセンって活気がないね…。なんていうかゲーセンの役目が感じられない。ゲーセンが潰れているとはよく聞くがもうそういう店自体が時代遅れなのかもしれない。今の子たちはスマホゲなんだろうね。

 

今日は下妻へ花見行ってきた

今の時期は桜の季節ですね。天気予報の合間に桜の見ごろとか、桜の開花予報とかやってるけど、あれは日本だけにしかないらしいね。外国の方から見ると桜がいつ咲くのだとかテレビで放送するのはとても新鮮に感じると聞いたことがある。それだけ私たち日本人が桜を愛しているということだろう。

さて、私は桜が好きで今の時期は桜をよく見に行きます。とはいえ東京暮らしの私は大体が上野の杜とかでまあ綺麗ですがたまには別のところの桜も見たいと思いました。桜の名所はいくらでもあるのに上野ばかり見ていても目新しさはない。たまには趣向を変えてどこか別のところの桜でもと今回そんな別のところの桜を見に行きました。その場所は

茨城県下妻市にある砂沼広域公園

茨城県は私の生まれた場所。正確には取手市です。まあだから茨城の桜なんです。あんま県北とかの桜だと車で行くまで疲れるのでなるべく取手から車で行くにしたら下妻市辺りが妥当だったのです。それに下妻の砂沼の桜は綺麗だといわれてましたから。会社のほうは私の病気の関係で休職してますからなんで平日出かけられるんだとか突っ込まないでください。国道294号線を北に進みます。途中常総高速道路という80以上出すのがデフォな区間がありますが気にしない。途中変なお城が見えます(豊田城)。

そしてつきました。

 

f:id:kurihu:20190404135710j:plain

 

砂沼公園の東側の入り口でしょうか。あーやっぱり「桜やってるよー」て感じで看板出てますね。それよりも気になるのは蝶の萌えキャラいますねー。これは下妻市のマスコットキャラ「シモンちゃん」です。かわいいですねーフヒヒ。砂沼は周囲が6キロで道がきちんと整備されていてランニングにいいですね。市民憩いの場としてのんびりとした雰囲気です。では桜を見てみましょう。

 

f:id:kurihu:20190404140621j:plainf:id:kurihu:20190404140625j:plain

f:id:kurihu:20190404140629j:plainf:id:kurihu:20190404140633j:plain

 

スマホで桜とるくらいならいいカメラ買えよと思うでしょ? こんな画質ですいません。沼の道周りにたくさんの桜が植えられていて道を歩くと「あーサクラだー」となります。よく咲いていましたし平日でも車が多く止まっていて人も桜を楽しんでいました。そんな人々の笑顔が印象的でちょっと詠んでみました。

はなをみて

ひとのえがお

めにすれば

ひとのえがお

はなとおなじき

桜よりも人の表情のほうが主題となっています。同じ言葉を繰り返してくどく思いますが、そうしないと私としては感情が歌にに乗らない。花よりも人の表情を褒めてみたつもりです。なんだか桜よりもそちらのほうが印象深かったです。いいなーみんな幸せそうでと。自分は正直幸せを感じてないんですね…。

  

f:id:kurihu:20190404141640j:plain

 

えっ?! 砂沼って恋人の聖地だったの? 沼の南側にはきれいなカフェテリアがありました

 

f:id:kurihu:20190404141635j:plain


 沼の西側には砂沼サンビーチという市民プールがあります。なかなか大きくてどこかの遊園地のプールみたいで市民プールというには贅沢ではないでしょうか。高いウォータースライダーもあるよ。

 

f:id:kurihu:20190404142010j:plain

 

沼の中央に架かる橋にて。この像はなんか気に入りました。平和と人々の調和が見事に表れているようで…。

 

f:id:kurihu:20190404142334j:plain

 

橋からみた砂沼

 

f:id:kurihu:20190404142601j:plain

 

あんまどうでもいい写真か?

 

天気はいいけど風が吹いていて、その風も春風とは違い少々肌寒かったです。今頃の時期にしてはもう少し温かさが欲しかった。それと歩いていると自転車に乗った中学生の男の子が私に「こんにちは」とあいさつしてくれました。びっくりしましたね。今の時世下手に声かけると不審者情報行きで私なんてその不審者みたいなもんだから、そんな私に知らない子が声かけてくれたことは嬉しかった。そしたら今度は爺が「こんにちは」と優しくあいさつ。!? マジッ!? えーここの砂沼って挨拶するのが常識なのー!? これじゃ老害なんて言えなくなるじゃん! だから今回の花見は先に私が詠んだ歌にあるように桜よりも桜を愛する人々のほうが 印象深い。なんだかんだといって自然の美しさと人の優しさを同時に味わえたとても有意義なひと時を過ごせたことに感謝です。

帰りに地元の有名なパン屋に寄りました。混んでましたねー。駐車場がとめられない。中は西洋アンティーク調な置物があったりほんとおしゃれです。飲み食いできるフロアもあり、買ったらその場で食えます。言葉の表現が雑なのは私は食べ物について語るのが下手ですから。

 

f:id:kurihu:20190404143824j:plainf:id:kurihu:20190404143819j:plain

 

右が買ったパン。うまいです。下妻に来たら買えよ。滅多に食いもんに言及しない私がうまいとわざわざブログで言うんだからねっ。

今回の花見はこれにて。またどこか行きたいものですね。それから昔下妻の図書館を利用した時、こんなの家にありました。

 

・・・

 

 

f:id:kurihu:20190404133859j:plain

かわいいねフヒヒ。 
 

新元号

f:id:kurihu:20190401132518j:plain

 

新しい元号令和(れいわ)

新しい元号に対する感想としては最初知ったときは慎み深い落ち着いた雰囲気を漂わせ、それていて新たな時代の幕開けにこの字が使われたことに期待を抱いた。その後考えてみたら「和を令する」つまり「和を乱すな命令する」という時代を統制して政府の秩序の為なら不平分子を排除していくというこの国の自由を蝕む全体主義の訪れを感じさせては「さすが安倍博陸(私はあの首相を関白の唐名で呼ぶことにしている)、あくまでも政府に国民は従えと言いたいのか」と狂った深読みをしていた。そして今こうしてパソコンの前に座ってみたらこの新元号の何がいいのかいまいちわからない。なぜこの元号なのか? 万葉集からの由来だがこれまでは中国の四書五経から年号を提唱してきた経緯からなぜ我が国古来の歌集から採用したのか? 日本の年号は日本の出典こそが日本にふさわしい年号になるということだろう。私はそこが腑に落ちない。年号は中国の書簡から導き出してほしかった。そもそも年号の漢字こそ中国が発祥だろうに。日本のファンダメンタリズムがそうさせたとあれば今の政府の強固な自愛精神を感じる。だからこの年号はあまり好きではない。中国が好きだから中国の引用を避けた年号というが好きになれない理由かもしれない。万葉集の古来日本人の感性を年号に取り入れた先祖崇拝は支持されるべきであるとは思うのだが、いかんせんどこか心の奥底で納得しがたい。

それとこんなこというとお前はあれだなと思われるが「安」の文字が入らなくて本当によかった。恣意的な意味合いであるがやはりあの安倍博陸の文字を入れるのは腹に据えかねる。それよりも私はこの文字を年号に使ってほしかった。

仁治

じんちと呼ぶ。この文字から何が思い浮かべられるか。漢検3級落ちた私が考えたにしてもこれからの日本社会に望んでもらいたいという思いがこの文字である。そんな個人的な考えは言うだけ無駄である。けれども私が望むこの文字から私がこの世に何を望むのかは是非わかっていただけたい。。。。

私にとってどこか腑に落ちない新元号の令和。だがそうは言ってはいられない。決まってしまった以上これからこの文字がこれからの日本を表す文字になる。その文字がよかったかわるかったかはこれからの私たちを含めた日本国民の行動に託されているだろう。新元号の元に私たち国民は何を感じて何を思い何を望み何を行動していくか。令和の年号も素晴らしい年号になることは私たちの働き次第ではないだろうか。いま日本人が抱える問題をみんなで解決していこう。そうすればこの今決まった元号、大好きになるかもしれない。