寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

人を讃えるからにはとことん讃えるべき

Threekingdoms(スリーキングダム)をここ最近よく見ている。中国の歴史としてよく日本でも知られている三国志を描いた中国のドラマです。三国志はある程度の教養として知っておいてほしいと個人的には思っているが、中々三国志好きな人というのは出会ったことがなく世間は案外狭いもんだなと落胆したりもした。仕方がなく一人でそんな中国の歴史を見ることにしている。その史劇ドラマの中で特に私のお気に入りのシーンがYouTubeに挙げられていたのが驚いた。そうそう、このシーンが好き。

 

 


曹操の10勝、袁紹の10敗

 

このシーンは後漢末期に軍閥として二大勢力とされた曹操袁紹が対立し三国志の山場の一つとされる官渡の戦いに至るまでの天下分け目直前の曹操陣営の様子を描いている。曹操は世に知られた英雄だがこの時点では袁紹側の国力のほうが曹操よりも上回っていた。ゆえにさすがの曹操袁紹との戦いには迷っていた。それを曹操の軍師参謀筆頭の荀彧が袁紹に勝てると曹操に進言、またその勝てる理由を戦う前から袁紹は十敗し曹操は十勝しているのだから戦う前から勝負は決まったと断じた。その十敗と十勝とは、ものの見事に言い当て妙であり、曹操の覇業を支えたのはこの荀彧だと言って差し支えないほどの名演技だと。

私はこのシーンが大好きです。荀彧は優秀な部下として私は尊敬し、かくありたいものだと思う次第です。このシーンをもう少し詳しく見てみる。

最初に早々と戦わずに和睦すべしと唱えたのは孔融孔融はその孔という姓からみると孔子から数えて20世の孫であり、聖人孔子の子孫という家柄の出からも影響力が大変強くその孔融袁紹とは戦うなというのだから諸将は沈黙。ちなみに孔融が優れた武将と語ったのは

文官

許攸(官渡の戦い最中裏切り曹操につくものちに不遜な態度をとり曹操に殺される)

郭図(袁紹死後袁紹の長子袁譚と三男袁尚の争いの中袁譚につきその後曹操に殺される)

田豊(官渡の戦いの最中袁紹に投獄され同僚に讒言されて殺される)

逢紀(袁紹三男袁尚につき、袁家をめぐり争う袁譚の陣営に赴くも袁譚側に殺される)

武官

顔良(関羽に討たれる。関羽だから仕方がない?)

文醜(荀彧のおい荀攸の策にはまり討たれる)

張郃(袁紹のアホさ加減に嫌気がし曹操に下る)

淳于瓊(烏巣という場所に兵士たちの飯を運んでいたら曹操軍が来て打ち取られる)

孔融の評価した人物は実は・・・田豊張郃は違うだろうけど。孔融の言葉に異を唱えあまつさえ腐れ儒者と言い放つのが荀彧。荀彧は後漢王朝の臣であり名族。最初は袁紹側に仕えていたが袁紹の暗愚さを察して曹操の陣営に加わる。曹操は「これぞ我が張子房」と褒めたたえた。子房とは劉邦漢王朝創設の立役者として多大な功績を残した天才軍師張良の学でありそんな天才になぞられるほど荀彧は曹操に評価されていた。荀彧は袁紹との決戦を断固望み時には戦中曹操が弱気になった際に「相手も苦しいのだから、ここであきらめたら何のために戦をしてきたのか、負けとは戦に負けることが負けであり劣勢であってもそれは劣勢なだけであって戦にはまだ負けてはいない」と曹操を励ましその結果、袁紹軍の食料施設の鳥巣を急襲して食料を全て焼き払いそれで袁紹軍が飢餓状態に陥り袁紹との雌雄を制し袁紹死後の華北曹操は平定するに至る。

荀彧が袁紹との決戦を望んでいても曹操の周りの臣下たちが及び腰ではその臣下たちを説得する必要がある。いくら自分が袁紹と戦いたいからといっても和睦して戦わないという臣下たちの声に曹操が聞き入れてしまうのでは本末転倒。荀彧は曹操と優秀な和睦派たちといわば二重に相手を説得しなければならない。それには荀彧の知性を最大に使うことになる。戦わないというもっともな正論を根拠のない正論にしなければならないのだから並大抵の論説ではそれはなしえない。ならば荀彧は主君曹操がいかに優れて敵方袁紹がいかに愚かなのかをまるで詩を詠むような十項目にわたる優劣を説く反復論法をもって、曹操が優れているのだから勝てる、袁紹は優れていないのだから負ける。それを明快に説いた。曹操という人間がいかに優れているのか、その曹操の下に仕える人間がなぜ曹操が負けるというのだろうか、袁紹に負けるというのは曹操が才なき人間であるということである、それはありえない、曹操の優秀さを知っていながらなぜ曹操が負けると思うのだろうか。荀彧は自分以外の曹操の臣下に今一度曹操の偉大さを知らしめた。荀彧にこう言われてしまえば和睦派の臣下は曹操の才は節穴であると曹操を否定することにもつながる。曹操が優れた巨人だということは臣下全員がわかっていること、その曹操が負けるというのであれば曹操の才がないというのと同じ、そうではないだろうと荀彧は一喝したわけである。

大言を吐くわけでもない。小手先の話術でもない。見事である。和睦という正論が覆った瞬間。巨大な敵が相手でも優秀ならば打ち破れる。優秀でないと思うから和睦するという言葉が出てくるということなのか? それは曹操の才を認めていないということなのか? 荀彧の弁舌は己の心の矛盾を瞬時に見抜いて正鵠を射る。和睦派は荀彧の言葉に肝を冷やしただろう。かたや荀彧の言葉を聞いた曹操はどうだろうか。臣下にここまで自分が優秀であると自分を含めて周りに言い放たれてしまえばこれ以上ない自信となるだろう。ゆえに荀彧を第一に信頼する。曹操も戦いの賛否は決めかねていた。そんな曖昧な考えだから臣下たちに戦いの是非を問いかけた。そしたら和睦の言葉が臣下の口から出た。ああ、やはりそういうのかと曹操は残念だと思うがそれもまた最もな意見だと納得しかけた。そこに荀彧の卓説にいかに自分は優れた人間だと自負していたが袁紹の戦いだけは自分の才能ではどうにもならないのではという臆した気持ちを空に佩びる雲ひとつ残らずかき消すが如く天晴れな言葉として曹操の耳に届いた。それに曹操自身の自尊心をこうも奮い立たせて満たしてくれる荀彧には曹操も感謝感激これ程の臣下を持っていたことに曹操の優れた人材を求めたその結果として荀彧が存在したのだろう。

結局このシーンで私が言いたいのは人を讃えるならばとことん讃えてみよということ。

曹操の偉大さを讃えるのに相対的に袁紹がへっぽこになってしまうこのシーン。実をいうと荀彧の曹操のヨイショがたまらなく好きなだけである。あそこまで人を讃えるようなセリフを聞いて感動したのはthreekingdomsの荀彧ぐらいしか思いつかない。もし自分が優れた人物を褒めたたえたい時には荀彧のような言葉遣いを使いたいと常々思っている。それほどまで褒めてしまえば相手も周りも瞬時に降参するような、あのような荀彧みたいな褒め方を私はしてみたい。だが、しかし自分にはそれは難しい。あいにく素養が疎かで語彙の足りなさも相まって口下手になるだろう。口惜しい。

ん? そもそも私が褒めたたえたい人間はいるのだろうか? 私はそんな人物に実はあってみたい。曹操のようなそんな人間この世にいるかはわからないが是非ともあってみたい。