寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

人を殺すくらいなら自分が死ねというのは愚かな考え

急きょ会社のパソから書き込むこととなった。それだけムカつく物言いを聞かされたから。

年号が変わってもこのような事件が起こるようならば依然と何ら変わっていなかったことがとても悔しい。もはやさまざまな事件について何も感じなくなっていたが、今でもこのような事件が起こることに対しては今一度どのような経緯がもたらされての犯行なのか。ここでは簡略に語りたいが少し長くなる、私の思いを語る。

神奈川県川崎市登戸で小学生らが男に刃物で襲われた。男はその後自害しその事件性は凄惨を極める。道路に流れ出た大量の血をテレビで見た時は今一度過去の大事件を振り返りもした。この男の犯行理由は社会に対する恨み、憎悪、これでかたずけていいと思う。社会が自分に対して何やらひどい仕打ちをしたのだという自己中心的かつ身勝手な思い込みが年々蓄積された結果このような顛末を招いた。人は何故人を殺すということを本で読み漁り、図書館ではそれ系の犯罪心理学の本をまず手にとっていた時期があった。私が述べるに、これまで幾多の通り魔的犯行は社会に対する恨みが原因である。レッサーパンダ帽殺人も池田小殺傷も秋葉原通り魔もすべて紐解くと自分が誰からも認められない、その認められない経緯が社会にあると断言し、社会で生きている人間に対し牙をむける。おそらく今回の事件、もう犯人が死んでいるので動機の解明が不可能になったが、類似する事件から今回の事件を照らし合わせてみれば、やはり犯人は社会に対する恨み憎しみを持っていたのだろう。自分が不幸だから死ぬ、死ぬならばこんな自分にした社会に対して恨みを晴らして死のう(拡大自殺)。その社会の恨みが小学生に向けられた。

ここで残念な意見というのがでてくる。「自分が自殺するくらいなら、だったら一人で死ね、他人を巻き込むな」と。私に言わせれば自分が教養のない愚か者と言っているようなもので大変いたたまれない。私は人並みの教養はあると自負するがバカである。その私から教養がないと言われてしまうことを恥じよ。犯人については社会が自分を認めたがらないと私が代弁したが、その認めない社会というのが「一人で死ね」と冷酷に言い放つ犬畜生共である。もし、困っていたり辛いことがあれば社会は手を差し伸べてあげるべきなのである。何かしかできることはあるだろうと、その困っている悩んでいる辛くしている人にメッセージとして送ることが大切ではないか。

それを卑しくも「死にたいなら他人を巻き込まず黙って一人で死ね」というメッセージを送ることはどうなのか。やはり社会は自分に対して何もしてくれないんだなと己を責め続け、そうしているうちにそんな冷たい社会に恨みを持ち、人を殺して人が死んで終わってしまう。その人が人を殺したことは自分の身勝手な理不尽な動機もさることながら社会に冷たくされた恨みが遠因が絶対にある。ことにこのような通り魔殺人のような見ず知らずに人に襲い掛かる人間はその傾向がとても強い。間庭充幸氏の著書「犯罪と日本社会の病理」のなかで、日本の犯罪とは、同調社会からうまく融合、溶け込めなかった人間が自分の居場所を失ったがために、その、自分を受け入れてくれなかった社会に対してルサンチマンを抱き、最後には自殺するか爆発する、と記している。そもそも社会がそういった人々を受け入れてこなかったから起こり得るもので、それこそが社会の病理であるという氏の考え方は「社会が悪い」という外罰的な態度として若干懐疑的になりはするものの、心情的には物凄く伝わることだ。

「助けてという前にちゃんと努力したの? それ、自己責任だよ」

こんなことを平気で言い放つ日本だから「一人で死ね」なんて平気で言い放てるのである。こんな空気が今でも令和に残っていることが私は首を切り落としたいくらいに腹立たしい。自分が大切にされなければ他人なんか大切にしない。だからあの51歳は人を殺したのだろう。自分が大切にされないから他人なんか大切にしなくてもいいと思ったから人を殺せるんだろ。「一人で死ね」と言い放つ犬畜生の言葉を聞いたから「なんでそんな冷たいこと言うんだよ。普通どうしたんだと話だけでも聞いてくれてもいいだろう」。私が犯人ならまずこうやって裁判で述べる。苦しんでいる、辛い助けて死にたいという言葉を話してみれば「一人で死ね」と言われて恨まない人間がいるだろうか? もし自分も辛く生きているんなら「俺も辛いんだ甘えるな」ではないだろうに・・・少しくらいは話でも聞いてあげれないものなのだろうか? 他人を思いやれない他人に耳を貸さない厳しさをはき違えて屍に鞭打つ愚かで身勝手な日本人が増えれば増えるほどこのような事件が多くなるとまず断言しておく。

日本人はキリスト教的博愛精神があまりにもなさすぎると思う。みんな自分だけよければ他人がどうだろうと知りはしない。乞食に物乞いを頼まれても気持ち悪い汚いと言って立ち去るのが日本人の「美徳」なのだろう。何が美しい国日本だと。殺人は到底許せない。私が被害者の遺族ならば犯人の墓を破壊する。それは遺族だけですればよくて、その関係のない人間は何故この人は人を殺したのだろうかと今一度冷静に考えてみてはどうだろうか。そして冷静に考えた結果、「一人で死ね」。そんな人間私はいう。

「お前こそ死ね」