寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

無職が人を殺しそんな無職を育てるその責任とやら

でた久々の凶悪事件と囃し立てるつもりはないがもういい加減分かればいいと感じる

埼玉県飯能市で3人をハンマーで顔面を打ちつけて殺害した事件。

そして犯人は40歳無職。

これだから無職はと軽蔑する必要はない。

この事件は無職が原因で引き起こされたものであると感じる。

人間働いていれば周囲のことなんて気にならなくなる。ブラックまがいなところではなく週5で7時間でも働ければいい。それでこんな凶悪な事件はなくなる。せめて窃盗や煽り運転で逮捕されるくらいで人を殺したりはしない。

人間働かないで生きていくといろいろなことが気になり始める。周囲の音、人からの視線、そして思い込み…。これらは結局ヒマで仕方がないから引き起こされる。仕事していない分周りの人間に関心が向いてしまうのである。確かな根拠はないがある程度私見に過ぎなくても精神疾患の私が思うことである。

 

 

 

 

※自分もこんな立場だから他の人間とは違った視点かもしれないことを了承してほしい。

 

別に無職でもアニメでも漫画でもソシャゲでもしていれば多少気にならなくなるが、これがなんの趣味もない人間であると、好きなこと打ち込めることがないと神経が過敏になりちょっとのことで落ち着きがなくなる。人間とはヘンナ生き物であるといえる。

人は食わねば生きていけない。その生きていくための食い物をどのように手に入れるか。それは金を使って手に入れる。その金はどう手にするのか。働いて手に入れるのである。この人間の一番の基本ができていないのである無職は。その当たり前ができていない人間がまともなはずがない。働かなければその時間が長くなるほど精神病になる。精神がやられるとまともに空気を吸うのでさえも難しくなる。そうなると生きていても仕方がないのである。だから自分の人生を終わらすことに躊躇がないのである。

無職だから事件が起きたただそれだけである。

そして、犯人は何も人格破綻者でも生まれながらの精神病者でもない。宅間みたいな小学生でありながら生きた猫をストーブに放り投げたりする生まれたときから天が見放したほどの人間でもない限り本来はごく普通の人である。頭もよくサッカーも得意な普通の人間だったのだろう。ただ宅間と共通箇所がある。家庭環境の悪さである。どの犯罪心理学の著書にも幼いころの家庭環境の不備がその後の犯行の第一の始発点となってしまうとのこと。日本の死刑囚のほぼすべてが育った環境が悪い。虐待は当たり前で育児放棄に加え貧困、学習環境の劣悪さ…。この犯人の本来の家庭環境はよくわからないが家族は犯人を残して出て行ってしまったとのこと。そうなると家庭環境の不備の一つであろう。所詮人とは誰かの理解や助けがなければうまく人間が育たないのである。それを行うのは家族であり使命でもある。

その無職にさせた原因は家庭環境だと断言する。うまく人間を育てなかった父母という家族のもとにそんな人間が社会に出でもうまくいくはずなく職にありつけない。無職の原因は家族が・・・残念ながら偉そうに言うが家族に原因がある。なにがあったか知らないが勝手に残して出ていくその根性は許せないし犯人の心情察し余る。

虐待とか社会問題になっているが、当たり前である。人間を育てられなければこれからも死人が出てくる。人を育てるというのはとてつもない責任を負うのである。今の日本人は子育てができない軟弱な人間が多い。うちは虐待していないから大丈夫ではない。お前は店や交通機関で騒いでいるわが子を周囲にこれみよがしに叱ることができるか。周囲の大人に迷惑かけた時に子供を泣かせるほど叱りつけプライドを押し殺して平謝りできるか? 日本は豊かさを手に入れた代わりにその豊かさに甘え昔ながらの貧しくとも守り抜いてきた理性・道徳を失った。自分勝手に育ててきたツケがこの様である。

私は犯人よりも犯人の家族が許せない。そしてそんな無職をなんの気にも留めない周囲の空気。行政はそんな無職にもう職をあてがってやれ。使えない人間かもしれないが使わざるを得ない。無職にさせておくことがどれほど社会問題になるのか? たかが15万の給料も紹介できない国ならばもういっそ共産国家を望む。無職だからと差別する資本主義社会なぞキタチョンのミサイルで滅ぼされてしまえ。

何故人を殺したのかを論じるよりも人殺しが出にくい社会を築き上げることが先である。そうした政治を望むのであるが、自公は問題にしない。子育て支援よりも貧困家庭に支援しろ。topixラージ70とかに勤めている家庭の生意気そうなクソガキに金を渡してもただ肥えた豚になるだけで亡国の国策に過ぎない。「将来有望な家庭の子供ならば支援のし甲斐がある、貧乏人は麦を食え」と言わんばかりのその根性、反日の元である。