寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

何故ドールが好きなのか?

4月7日にNHKドキュメント72時間という番組でドール趣味を持つ愛好家とそこに集うドールショップの日常を探るという内容が放送された。

同じドール趣味を持つ私からはドール趣味というなじみの薄いこんな趣味もあるのかというような実に感慨深い内容を把握するには十分すぎるものであった。

しかし番組が終了してふと感じたことがある。

「何故この人たちはドールが好きなのだろうか?」

私はドールは好きだがドールを取り巻く界隈とは少し距離を置く。それというもの同じドール趣味の人間同士、温度差を感じてしまうからだ。

いわゆるドール好きのノリが私と会わないのである。ドールを「娘」と形容するその界隈の習わしがいささか苦手である。ドールはドールであり玩具である。娘という人間の分身と思うまで私はドールに愛着を今でも持てない。今回のドキュメント72時間もそんなドールを我が子のように可愛がるという方々ばかりであり、とてもガラスケースに何か月も同じ服を着せさせて放置している自分とはドールに対する価値観が違ってくるだろう。趣味において価値観が違う者同士が語り合うことは難しいと思うしトラブルの元になる。これは別の界隈で身に染みた。だから私はドール界隈の方々とはつながろうとも思わない。ドールとは表では華やかだが人々のドールに対する価値観は驚くほど多様でどす黒くもあるしドールの接し方ひとつで揉め事も起こる。そして意外とつまらないものなんだなと熱が冷めてくるものかもしれない。

この番組に出てきた方たちは何故ドールが好きなのだろう? どうすればそれほどドールを愛することができるのだろうか? 

私は幼いころから姉と妹がいてそいつらの影響で男よりも女の趣味を見る機会が多かった気がする。姉はシルバニア、妹はリカちゃんと幼いころからドールみたいなものは目にしていたが男ながらそれらが魅力的に思えた。が、さすがに自分もそんなものは欲しいとは思わなかった。

その後家を離れ一人で暮らすとアニメ等自分の趣味を楽しんだ。フィギュアも大学生のころ始めていた。私がドールに注目したのは東方のチルノのドールである。チルノがドールになっていたから、いわばキャラでドールが好きになったくちである。好きなキャラクターだからそのフィギュアを買うみたいな感覚でチルノのドールを買っただけであり、いわば東方グッズの一部として別にドールが好きになったから買ったのではない。幼いころに思ってたようにドールは姉、妹がもつ女のモノであるという考えは崩れていなかったし今でも崩れていない。

私がドールが好きなのは好きなキャラクターがドールだったからそのドールを買っただけに過ぎない。何か運命の出会いというようなものや、もう一人の私というたいそうな思想も何もない。だから私のドール愛は薄っぺらいのである。可愛いから綺麗だからただそれだけでドールを好きになるのならばフィギュアでいいはずである。もう少しお金をかければドールという楽しみが分かってくるだろうとドールにのめり込もうとした。しかし、どうしてもドールを可愛いという感情から「娘」であると呼べるほど好きにはなれなかった。ドールを外に連れ出して野外で撮影するようなことは到底私にはできなかった。そこまでしてドールを可愛がれなかった。何故なのか? フィギュアはどんなに高くてもガラスケースに飾っておくし、多くのフィギュア愛好家はそうしてる気がする(YouTubeのフィギュア愛好家を見て)。ドールのようにスケールフィギュアを外に連れ出して撮影してるフィギュア愛好家なんていないかもしれない(ねんどろいどは割かし野外で撮影されてるが)。フィギュアは野外撮影しないのに何故ドールは撮影するのか?ドールは日本人形みたいに玄関や部屋に飾っておくものだという固定概念があり何故野外に出してまで撮影する? 飾っておいて見て楽しめばいいのでは? という疑問がある。これでは野外撮影するドール好きとは「ソ・リ」が合わないだろうし先に述べた他のドール好きと「ノ・リ」が合わないである。 結局私はドールというものを見下しているのかもしれないしドールが好きでないのかもしれない。

何故ドールを娘と呼べるほど好きになり外に連れ出せるほどドールが好きなのか?

ドールを持つ私の素朴な疑問である。

それとドールは男よりも女が持っていた方がサマになるというか、もし男がドールを持つのならば好きなキャラクターがドールになっているのが欲しい。それならばキャラクター愛作品愛に駆られたファンとしての消費行動として見て取れるし、男なのにドールなんてという偏見を聞かなくてすむし、やはりドールは女性の象徴として存在してそこに男が立ち入るのは野暮なのではという疚しさを覚える。ドルクに入りずらいのも女性の下着コーナに野郎が入り込んでいるように感じて実に気にしてしまう。私は結局キャラドールみたいなのがしっくりくるのである。そしてこんなキャラクタードールを一体でも手に入れればもうドールというものは私の中で完結できる。

 

 

 

 

これが本当に私が欲しかったドールでありそれ以外は正直いらない。

私が好きなドールを手に入れたとき本当にドールが好きであると胸を張って言えるのに…