寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

理由もない殺人者に対してはこうなっては厳罰が望まれる

※屁理屈は嫌いなので感情で書き込みました

人は人を殺す。その人殺しが捕まりそうだと。茨城県境町一家殺害事件は捜査の続報もなく迷宮入りに差し掛かろうとした矢先、茨城県警の有能さを讃えるべきだろう。犯人らしき男が捕まった。捕まった。それだけですめばいが、果たしして男は何の目的で人を殺したのかその理由が知りたいところ。人を殺した過去は戻せないのだからもういい。その理由だけ教えてくれればそれでいいが…。

 

そもそも人はなぜ人を殺すのか報道されるような殺人の理由は

 

・憤怒、怨恨などはよくある理由だろう。人を憎くて仕方がないというそういうたぐいは理解できる

・最近はよく親が子を殺すその理由は子育て育児の悩み子供の煩わしいさなど。あと介護疲れによる殺人。身勝手だが心情的には理解できる

・生活的貧困などは何時の時代にもつきまとう。貧すれば鈍するという言葉は今後時代と共に解決策はないものだろうか? 職を失い食うことに困って人を襲って金を奪う。許しがたいことだがその経緯に至る点は現代社会の病床として我々も解決の糸口を探るべし。

・痴情のもつれは人間の感情があるが故だろう。愛の形は人それぞれでその形が異物であったに過ぎない。感情の高まりで人を殺すことはじつに人間らしい。性的欲求は人間の欲の権化でもある。そう言った殺人理由をなくしたければまず人の感情をなくさなければいけないがそんなものは無理である。業が深い人間には私からはむしろ憐れみさえ感じる。

精神障害等という心の制御不能からなる精神的側面。いわゆる「気が触れた」というものは津川事件など重大事件に多くみられる。池田小の事件や秋葉原の通り魔という社会的な怨恨が理由でもその本来の成り立ちは人の精神が壊れた様子が鮮明である。

 

果たして今回の事件のその人を殺したという殺害理由は上記に当てはまるか? おそらく最後の項目精神なんたらだと思われるが精神に異常をきたして犯行に及んだのだろうか? なにかとてつもない心的外傷ストレスがあったのだろうか? どうもそんな感じではない。勿論デマも含まれるくだらない5chの書き込みを読ませてもらったがこの事件背景をあぶり出し殺害理由はおそらく

人を殺したいから殺したただそれだけの理由で人を殺したのだろうと。

たぶんだが殺人の理由はこれだろうか? 数時間前に犯罪心理に関する著書を読んで調べてみたがこの事件の殺人理由は本読んでもわからんかった、バカだから。そして結局これは快楽殺人だったんだなと。人を殺すのが楽しいから人を殺す。ただそれだけの理由で。にわかには信じがたい。人を殺すにしても何か目的か理由があるだろ。殺したくて殺す人間がいるのか。いるんだな。昔は「人を殺してみたかった」というふざけた理由で人を殺したガキがいたんだから(キレる17歳)。今回もソレ系だろう。こうした人間の心理については神戸児童連続殺傷事件についての著書に詳しいのでそちらをどうぞ。もうすでに長いが語ると長くなるからね。

精神が病んしまったがゆえ人を殺したのではなく人を殺す因子があってつまり人を殺すことを約束して生まれてきた人間が人を殺したに過ぎない。人権なんて気にせず言わせてもらうがこれは人のエラー商品であり病院で廃棄しなければいけなかった。不良製品を世に出してしまうことの迷惑さはリコールや自主回収の報道から見てもわかるだろう。残念ながら人間にも当てはまる。猫を虐待して瓶詰して見せつけるその時点でもう一生精神病棟なのである。そんなことするの酷いとか感情を抜きにしてそうでもしないとこれは性格が治るものではない。せめて強烈な向精神薬で攻撃的な人格をズタボロにして廃人にしなければいけないものである。これは人の人権どうのこうのではなくそれが本人の為になるのである。池田小事件の犯人も少年の頃に猫をストーブに入れて燃やしたりしていた。動物虐待は殺人者のよい指標になるのだから早期に防がなかった周りの人間に責任ある。その周りの人間は名士だか何だか知らないがボンボンとして甘やかされてしつけもされずに野放しにした親。これ以上言うと言葉が汚くなるのでやめとくが。小田晋氏はこのような少年手が付けられず更生は不可能。だから精神病院で生涯を終わらせるほかないとある著書で記しているがまったくその通り。

だがそんなことは親は甘やかして育てた子の縁なんて切れないからこうなるまでなあなあだったんだろうな。ヤダな名士とか金持ちの家系って。金があるからとか偉いからとかで罪を見逃れるという概念が未だにこの日本社会に蔓延っているんだんな。むしろ金持ちとか名士ならば周りの手本になるために罪を犯したら真っ先に裁かれるべきだろ。ホント平等に裁けよ法治国家じゃねぇのかよ日本は。そしてね、この事件の言いたいことは…私は菊田幸一氏みたいなバリバリの死刑廃止論者であったし瀬戸内寂聴が死刑賛成派に言い放った「殺したがりのバカども」にも共感した。けれど年を取ってなのかしらんが死刑に対する価値観が変わりつつある。特に人を殺すことが好きで殺したというふざけた理由にはだったら私もその犯人殺してやりたい。

 

人を殺すにしても何かしら理由があれば救いはあるが

目的もなく殺したいから殺すために生まれてきた

そんな人間に人としての尊厳があるとは到底思えない

性根が腐りきるまで甘えて育ててきた親が許せない

首をつらせなければ天下に示しがつかない

もし罪を裁くとしたならば人の心があるならば首をつらせなければ

人間としてこれ程の屈辱はない

人を殺すことの愚かさを死んでわからせるしか、それ以外に道はない

生まれてきた自分を恨みながらしんでいけばいいではないか

 

※追記

人を殺すような人間にするかしないかは親の育て方次第である、そんな気がする。生まれてきた時に精神的障害があるにしても親の育て方工夫一つで殺人者になることを防げるはずである。殺人のいきさつは裁判でいつも家庭環境と親の教育が焦点になっていてこうした背景を鑑みて罪を決めているそんな節が私には窺える。だからこそ親の子に対する教育は重大な使命であると。放っておけば子供は勝手に育つそんなのは戦前とか昔の出来事であって今の人間はそれだけ複雑化されてきているのだろう。それは社会が複雑化したから人間も複雑化していく所以ではないか。結局は人の人生はその親が作り出す。自分の人生は自分だけではない、親も関わってくる。これは私の私見であるがどうなのか? だとしたら教育は時として人を悪魔にを変えてしまう何とも残酷なものだなと。