寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

ギャンブルという金に心を乗っ取られるのはなぜ?

岡田尊司氏の「インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで(文春新書)」という新書を読んだ。この著書ではネトゲスマホが現在の阿片としきりに強調している。というか断言してる。「ネトゲスマホなんて単なる通信機器、娯楽品だろ。阿片と同列に語るほうがおかしいだろう」というような反論を許していない。「デジタルヘロイン」と言うからには、ネトゲスマホ使用の身体的・精神的有害さは学術的な研究からも立証されているとする。よく残酷なゲームを子供の頃からやらせると将来殺人とか起こす犯罪者になるという感情的、表面的に断言をしてしまうような意見があったりするのだが、ことにネトゲに至っては犯罪者になるのではなく依存症という日常生活に支障をきたす、いわば「廃人」を生み出す要素に何の疑いの余地がないという著書の絶対的指摘がある。なにもステレオタイプとか主観的に物事を思い込みで語っているのではない。久々に本気の考えを読んだ気がした。

さて、著書の中で少し気になった点が依存症の実態である。依存症とはギャンブルを例に出してみると、ギャンブルに勝ち、お金を得る報酬を一度覚えてしまうようになると、次に大負けしてお金を失って報酬が得られなくても関係なくなる。勝とうが負けようがとにかくやり続けたいと思うようになり行為自体が目的と化し、それが報酬になっている(報酬系の倒錯)。パチンコとか年間150万は絶対に負けるものなのになんでパチンカスはそんなもんにいつまでも付き合ってしまうのか? 負けると知りつつも金をぶんだくられる養分から何故脱却しないのか? 疑問だろ。

こうした無限ループに陥ることは行動心理学の「変率強化」というオペラント条件づけがあるらしい。

変率強化とは報酬(パチンコの場合は金)がもらえるかどうかが、いつも一定しない状況におくことにより、その行動を強化するというものである。パチで千円で五万勝つこともあれば五万負けることもあるような報酬が変動する状況の中にパチンカスは強く惹きつけられるものなのだ。報酬がもらえるかもしれないという期待と、それが裏切られるかもしれないという不安の間で揺れることが、むしろ行為の依存を生み、ついには報酬に関係なく、その行為を繰り返すことが目的と化し、病みつきとなる。

とにかく賭けつづけたくなるのもその行為自体が報酬となってしまう。

これは「なるほど」と思った。これはパチンコに限らず競馬とかにも思い当たるフシがある。競馬は趣味だからと言いながら競馬で勝った負けたと騒ぐのは、要は競馬が好きとかでなくスリルを楽しんでいるだけの、いわば金に憑りつかれている症状。たまにならいいが、「毎週土日になると馬券買って、それでも飽きたらず地方競馬まで金を回す。そんな金を無駄にするような行為死ぬまで続ける気? いかれてるな」という私の疑問を明確に答えてくれたのは変率強化という無間地獄に陥っている悲しい人間の業というものだったということがよくわかった。今まで「人は人」だからと考え、競馬に夢中になる人に対してさして気にも留めなかったものだが、競馬拝金主義ともいえる諸所の言動とかにそろそろ嫌気がさしてきたから。まぁ、パチンコも競馬も余剰金(小遣い)の範囲内で収めてやればいいけど・・・どうもギャンブルしか興味ない人間とか人間として下に見てしまうし、腹立たしいから性根の悪いこと言ってしまった。

こういう依存の原因は適応障害があげられる。幼いころに対人関係が不備だったり、家庭内の事情が不安定だったりするとそれを代償する手段として大人になって耽溺的な行為、すなわちギャンブルをするようになるというらしい。ギャンブルにはまる人、はまらない人とは、つまり精神衛生が優れているかそうでないか。優れていればギャンブルなんてしたりしない。そうでなければ・・・。

ほんと余計なお世話だよ。自分でも口うるさくてたまらん。