寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

なぜだと疑問に思う前に、周りは気づいてほしかった

私は人の気持ちは見当違いで判断してしまうことがあり、よくトラブります。この文もそれが含まれているかもしれません。だからそれを承知の上で読んで下さい。
小島貞博調教師が死んだと知った時はまだ若いのに。そう不思議に思った。病気してたとは思ってなかった。
なぜ人が自ら殺したりする行為にガキの頃から疑問に思っていた。だから、精神医学だとか、そんな原因を突き止めたくて本にその答えを縋ってみたりしている。なぜ小島貞博調教師が死んでしまったかは、そんな私のちゃっちいような精神医学だとか心理学の入れ知恵された頭で語るのはとても失礼かもしれない。第一、周りでどんなことが起きてたのか全く知らないのだから、そんな知識で語るほうがナンセンス。でも、私は小島貞博調教師はそんじょそこらの調教師などよりも人間的に共感が持てた。調教師の腕とかでなくて人間的に。
小島貞博調教師は騎手時代に親父以上の契りを結んだ故戸山為夫調教師の師弟関係は競馬をある程度知っている人には知れ渡っていること。古風で昔ながらの古い人間としての生きざまはドラマテックな深い愛情として戸山氏と小島貞博氏とは今では珍しいくらいの関係だった。生前、戸山調教師は自分の預かる馬には弟子の小島貞博騎手と小谷内秀夫騎手にしか乗せなかったらしい。戸山調教師はそのことを事前に預かる側の馬主に念を押してたという。どうしても馬主が弟子ではなく他の騎手を乗せて欲しいというと、「どうぞすぐに転厩して下さい*1」と戸山調教師は答える。義理人情などという考えが利益追従型社会では大きな足かせとなるのだろうか。うまい騎手を乗せることがリスクが少なくなり結果につながるのか。小島貞博騎手はトップジョッキーでない中堅どころの騎手だった。それでも戸山師は弟子のために自分の馬の手綱を握らせ続けた。弟子に対する反論には戸山師が食って掛かった。身を挺してでも弟子を守り抜く。ミホノブルボンにはこんな今はもう忘れ去られし人間関係を築いていたホースマンの元に誕生した。こんな人間ドラマの主人公としてのミホノブルボンを私は羨望の目で見る。そして戸山師はミホノブルボンが二冠馬になった翌年に亡くなった。その訃報を小島貞博騎手はレースがあり、すぐにでも駆けつけられない悔しさから布団をかぶり夜が明けるまで泣いていたという。
そんな小島貞博氏は調教師になってからは、騎手を育てて愛情のもとに自分の預かる馬を託すというような、それは戸山師の魂を引き継ぐようなことを言っていたのをどこかの競馬雑誌で見たことがあった。今でいう師弟関係などというものは戸山、小島貞博の関係から比べたらどうしても霞んでしまう気がする。私がこの関係を羨むのは、戸山師は自分の弟子の小島貞博氏のことを何が何でも外部の批判から守り通す。自分の弟子を批判したらそいつのことを思いっきりぶん殴ってやるような人情。自分の身を顧みず、弟子のためならなんでもする。そんな気をもった人間は果たして今の日本社会に存在するのか、いや、私が生きていた中ではそのような人物はであったことないし、いないと思う(ただ、三浦皇成騎手が落馬した際、馬主がそのことを蔑にするような発言したことに河野調教師がキレたという出来事もあるが)。だからそんな人間味のある戸山師とそれについてくる小島貞博騎手が古臭いながらも今の世の中ではとても新鮮に映る。そんな師弟関係で育ったんだから、「義理と人情」「筋を通す」ことを知らない糞みたいな人間にはまずならない。それが、今ではそんな人間でも「利益を出せれば」、「能力があれば」それを黙殺、もしくは問わないという、糞みたいな資本主義の歯車として尊重される。私は人間が最大限に評価されるすべは「人望ないし人徳」と「人の情をわかる」であり、頭のよさとかそんなのは屁とも思っていない。話は逸れるが労働基準法を遵守させることとともに、職場の上司の糞人格を治させることがブラック企業というレッテルを剥がすことになるだろうと。。。
もしかしたら、今の競馬の内部はそんな義理も人情もない無機質な現代社会の悪しき風上(なんというか市場原理主義みたいななにか。私はそれを嫌う)に染まりつつあるのだろうか。だとしたら、小島貞博氏にそれをやり過ごすことは自分にとっても辛かったのではないだろうか。むかつく人間にコビを売るような自分の気持ちを滅してでも営業に走らざる得ない調教師稼業なんて小島貞博氏に絶対に似合わないだろうし、私もそんなことはしてほしくない(まぁ、稼ぐためには仕方がないけど・・・)。それにもし、批判とか喰らったら、もう身を挺して守ってくれる師はいないのだから。自分でその理不尽さみたいなものは受け入れていかなければいけない。言い訳もせずただ黙ってしまう武骨さがありそうで、これも辛いだろう。
私は小島貞博氏は死んだのではなくて殺されたのだと思う。戸山師から何を学んだかで古風な考えの人が、人の情を知らない、私欲ばかりで目先の能力だけを過剰要求する競馬会があったなら、それに対応することに折れてしまったのだと・・・。自殺する人は私から見れば心が優しい人間だ。何を自殺を美化するのかという批判は受け付けない。情で語るからこう言う。優しい人を悪い人が殺した。ただそれだけだ。誰が悪いかは私は知らない。ただ悪い人がいて小島貞博氏をいじめてたと思う。
でも、いろいろな意味でいやならやめてもよかったと。その選択が追い付かなかったのはなんだろうか。これでは戸山師も激怒してしまうだろう。誰か周りが気づいていれば。濃い人間関係がなければ周りは自殺の予兆には気づかず、「なんで・・・」といったどうしようもないセリフを吐くしかないだろう。戸山師みたいではなくとも、人を気にかけてくれる人情を大切にする同じような人間が一人二人周りにいれば(いたのだろうかもしれないけど・・・)死ぬことはなかったと思います。

*1:「競馬スーパーヒーロー」宝島社 p110引用