寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

華族とはなんであるのか

華族と聞くとその高貴なる血族を思い浮かべる・・・。
突然に「富よりも権力よりも上回る存在とは何だと思いますか?」と問われたらなんて答えれたくなりますかねぇ。
私はそれは門地、つまり家柄ではないかと侃々諤々に。
貧乏人が頑張れば富を得ることは可能である。奴隷が王様になれることも世界の歴史を見ていけば珍しくもなんともない。ただ、唯一富も権力も誇っても、生まれながらにしてその存在を宿命づけられ、死ぬほど努力しても得られないものが家系の良さないし家柄だろう。権威や富をも一線を画するに先祖からの受け継いだ高貴なる血脈。それが華族という推測の域ほどの印象というものである。そんな家柄を誇るであろう華族が明治期、日本が近代国家に歩みだすために歩調を合わせていたかどうかなど実は歴史上おぼろげながらにしか見えてこないし、その実態も薄く感じている。それは華族という言葉で語られていないだけで華族という知識の不足だろう。だからこそ小田部雄次著「華族-近代日本貴族の虚像と実像-」(中公新書)を紹介してみようかと。

著書は華族という存在とはどのようなものであったかをこれほど詳しく通暁、記されたものはそうそうない。それゆえ、私の文書で語るには荷が重い・・・(無理スンナ)。著書の章ごとにどのようなことが語られているのかを簡略的に見ていこうとする。それもややくだけた口調で。
まず序章だが、華族というイメージを講話するために鹿鳴館を取り上げて華族という存在が語られる。鹿鳴館とは外務卿井上馨不平等条約改正の欧化政策の一環として建設された社交場。いわば欧州かぶれを見せつけて日本が近代化をアピールするものである。問題はつい先ほどまで和服を着ていた日本人がきらびやかなドレスを着て踊りましょうということなどできるもではなく、まず、鹿鳴館でダンスのレッスンを受けることから始まる。日本がいかに欧州的な所を諸外国に見せつけようとしてもこれでは本末転倒であり、そのことはフランスのビゴーも諷刺している。そのうち鹿鳴館で行われる社交界は乱痴気騒ぎみたくなり、本来の目的を逸脱して井上馨の外相辞任で欧化政策は下火していく。華族というイメージは華やかで洋装してダンスを踊りきらびやかさを連想させる。それを具現化したのが鹿鳴館であると綴られる。ただ、鹿鳴館の歴史をみれば急速な西欧化により駆け足して転んだ滑稽な華族を思い浮かべてしまい、華族というのは結局意味のない特権階級なのだろうというイメージをこの序章で持ってしまいかねない。そういう印象を抱かせているのならば、著者は華族という特権階級に否定的に捉えているのだろうかと勘ぐった。しかし、そんなの書きだし方の工夫であり、華族という存在を事実に沿って冷静に分析してあるので安心した。

一章は華族の成立について。華族の起源は江戸幕府以前の公家社会の公家の地位「清華家」から用いられた言葉である。昇殿を許された公家である堂上家や諸藩の大名は明治に華族としての地位が確立された。そのような経緯を事細かく記してある。ここで華族の序列である公、侯、伯、子、男とその叙爵には大づかみというか、あいまいなものであった。たとえば江戸時代下級武士の出自である伊藤博文と堂上羽林家(大納言を極官とする公家)とでは旧来その家格は羽林家が圧倒してたが、華族制ではこの家格が否定され同格もしくはそれ以上に伊藤家の華族としての地位が確立されている。実は華族というものは家柄の良さ以外にも討幕運動、明治政府樹立の勲功を考慮したものであり(勲功華族)、このことは成り上がりの勲功華族と旧来の名門公家とはたして同格に取り扱ってよいものなのか、華族という高貴な家柄という言葉の自己矛盾として時の伊藤博文も苦慮していたそうだ。新時代の論理で序列化していることが窺えてくる華族の叙爵と言える。また、勲功華族以外にも神職、僧職にも爵位が与えられたが、過激なことを言うと坊主に爵位なんて俗っぽくて華族とは奢侈というイメージからそれこそ生臭坊主を連想させて嫌である。坊主は坊主、神主は神主で俗世界の爵位というものは無縁であるという考えが華族制度を考えだ岩倉具視伊藤博文には思いつかなかったのだろうかと思うのだが(神職華族の誕生理由は明治政府の天皇神格化からくる神話、神道の正当性を確立するために。僧職華族は皇族、五摂家の姻戚関係が考慮されて)。話題は変わり、華族の特権として皇室との藩屏となるべく、皇族婚嫁の相手方として華族がその資格を有するほか、世襲財産の制定、貴族院の構成、学習院への入学などが目につくものか。爵服の着用はいかにもそれらしい特権意識の表れとして見て取ることができる。

二章は選ばれた階級として華族の全貌であるが、その第一項目に華族という存在を赤裸々に綴ってあり必見である。まずは公、侯、伯、子、男の華族の存在はどれくらいであったのかが記され、詳しくは巻末の付録である華族一覧と並行してみてみるとよい。それと華族の財力だが、旧大名の諸侯華族は数万、数十万石級の領地を所有していたことからその財産とたくさんの金禄公債を受領し裕福であったのに対し、公家華族は公家最高格の摂関家でさえたかだか二千石とされ、旧来堂上家の数百程度の石高(中には百にも満たない)では華族という体面と格式を維持できず爵位を返上する家があった。本書には公家華族の借財が記載されているのはなんとも博識だが、個人的にはあまりピンとこない。
二項目には華族会館学習院の設立について。華族会館とは華族の貴意、格式、教養を高めるための西欧風結社である。その成り立ちが記されている。学習院とは今なお学習院という言葉は耳にするが、その設立理念には「高貴な者にはそれにともなって大きな義務がある」というノブレス・オフセリージュの言葉のごとく、日本の最高の教育機関であったことを伺わせる内容であった。また、華族の文弱に憂えて岩倉具視を中心に軍務教育の一環として陸軍予備士官学校を設立した。だが華族という業務を放棄して軍務につくことへの批判、健康や能力不足からすぐに廃校になったことに、やはり華族には華麗できらびやかな印象から戦場の血なまぐさい風景は忌憚されたりしたのだろうか。国の為に血を流したくないのであれば、皇室の藩屏たるやの信念は崩れてしまうと感じてしまう。
三項は華族の銀行の十五国立銀行華族牧場について。ともに華族の財産を保証するもので概要の説明。
四項は明治期の華族批判について。華族という特権階級への批判は「無為の徒食者」というのが大方のイメージだろう。福沢諭吉華族という存在について、華族を軍務につかせ国民の先頭に立たせることが国民の敬慕を得られるとし華族を肯定するものであった。皇室と連なる崇高な家柄として国民の憧憬を集め模範となるようにと説いている。井上毅爵位の公、侯、伯、子、男は古代中国の言葉であり、それを日本に適用するのは国風を蔑にするのであり、貴族という言葉も欧州を指すのであり日本らしくない、とまあこんな理由で華族制を批判した。それ以外の反対の理由に「功ある人は爵がなくても世の指針となるし、爵がないほうがかえって庶民と隔絶されないから彼らを導きやすい」述べる以外はあまりにも語感というものに拘わりすぎて抽象的で説得力がないと感じたものだが。結局政局のごたごたから井上は華族令に賛成していく。板垣退助はその華族制度に明確な反対を掲げたことはよく知られている。自由民権運動の立役者であるから至極当然と思える。板垣の意見書にあった「皇室の藩屏とは何ぞ」には笑った。確かに具体的にどうすれば藩屏になるのか記されていない標語みたいな言葉だから鋭い指摘だ(冷静な突っ込みを想像すると吹く)。「上御一人、下万民の絶対的制度の外に、更に華族なる中間の階級を設けて、特に皇室の藩屏に擬するが如きは是れ強いて国民と皇室の間に鴻溝を画し、以て両者の親愛を隔離する所以」(111p引用)と述べた「一君万民論」は板垣のイデオロギーをまざまざと見せつけられた。板垣退助華族制度の是非を問うために八五〇名の華族に質問状を送り回答が三七あった。華族の否定に反対したとしても質問状に回答があったことに板垣自身は感謝したという。むしろ、返事がなかった華族に対してはボロクソに言ってる。板垣退助は伯爵に叙任されたが、それも明治天皇の意向には逆らえないとして渋々受けたもので子には爵位を継がせなかった。

・・・さて、こんな調子で第三章、四章、終章と続けていくとぐだぐたどころかこちらのやる気がもうない・・・。その後の章に記されていることがらを箇条書きに。
華族はヒマと金があるものは自分の趣味に没頭できる。趣味が高じて学識者として名をはせたものがいる。
・いままであまり知られていない朝鮮貴族の全貌について。※どの歴史書籍もない記述は驚かされた。
・日清日露戦争の勲功で華族に叙される軍人がたくさん出てきて、華族の肥大化が始まる。
華族の議会、貴族院華族の地位、ひいては既得利益を守るため時の指導者と対立し抵抗勢力となった。日本の近代史は民衆の権利拡大で語られることが多いが、実は貴族院政党政治を動かしていたことの裏の顔。
・不況により華族の経済基盤の瓦解。伝来の家宝を売り渡さなければ凌げないほどの経済的逼迫。
・リベラル的な思想を持つ「革新華族」の登場と「十一会」グループ。
西園寺公望華族に対する政治的見識と日本の展望。
華族のスキャンダル。庶民は華族という自分と異風な存在からスキャンダルについては関心の度合いは高かった(今でいう芸能人のスキャンダルで騒ぎだす国民性は昔も今も変わらない?)。
・情勢不安の中、軍部の台頭と近衛文麿の登場。それに続く昭和の戦争。
・戦後の華族制度の廃止。GHQ華族制度自体は取りつぶす動きは示しておらず、日本国内から制度の廃止が高まったものである。当初は一代限りの華族を認めるという事案も「国民一律平等」の下、当時の政党勢力の総意で華族制度が廃止された。

以上

この「華族」という著書。かなり内容が濃い。ゆえに一朝一夕にはブログで語れなかった(というか、レビューのやり方、もう少し簡素に記せないのかよオイ)。さて華族という言葉に対する私の思いは、本書で語られた沢田牛麿勅選議員の「君主国に華族は付き物で、純良な風俗であると思う。存置したほうが国風に合う」(293p一部引用)と同意見である。自由主義社会形成を目指していた戦後日本の時流からは華族なんぞ前年代の遺物に見え、時代にそぐわない存在というのは納得できても、由緒ある高貴な血脈に敬意と畏怖の念を持つ私にとって華族に対する憧れからその存続を認めるもので制度廃止がまことに遺憾である。とはいうものの、結局人間の内に秘めたヒエラルキーアレルギーからそんなのは糞の役にも立たぬものだという言葉に何も言い返すことはできない。華族の肯定は趣味的なもので具体的な必要性といった提示などできはしないのだ。
ただ、戦争に負けた経緯、トラウマから、何も知らないで戦前の体制に与する華族令なるものに関心を持つことは違和感として受け止めタブー視するようでは、まず華族という存在を知っておけ。だから本書を推す。歴史を評価することは何も万民が異口同音するものではないとする前提はもちろん、日本近代史に埋もれつつあった華族という視点から、新たな考察をしたうえで語っていただきたく思える次第である。

華族―近代日本貴族の虚像と実像 (中公新書)

華族―近代日本貴族の虚像と実像 (中公新書)