寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

俗世への厭悪

皓天舒白日 霊景耀神州       
列宅紫宮裏 飛宇若雲浮
峩峩高門内 藹藹皆王侯
自非攀龍客 何為欻來遊
被葛出閶闔 高歩追許由
振衣千仞崗 濯足萬里流

皓天(こうてん) 白日(はくじつ)を舒(の)べ、霊景(れいけい) 神州(しんしゅう)に耀(かがや)く
宅(たく)を列(つら)ぬ紫宮(しきゅう)の裏(うら)、宇(う)を飛(と)ばして雲(くも)の浮(う)かぶが若(ごと)し
峩峩(がが)たり高門(こうもん)の内(うち)、藹藹(あいあい)として皆(み)な王侯(おうこう)
自(いやしく)も龍(りょう)を攀(よ)づるの客(かく)に非(あら)ずんば、何為(なんす)れぞ欻(たちま)ち來(き)たりて遊(あそ)ばん
葛(かつ)を被(き)て閶闔(しょうこう)を出(い)で、高(たか)く歩(あゆ)みて許由(きょゆう)を追(を)はん
衣(ころも)を千仞(せんじん)の崗(おか)に振(ふ)るひ、足(あし)を万里(ばんり)の流(なが)れに濯(あら)はん

西晋、左思 「詠史八首」第五首

明るく晴れた空に白日が輝き、その霊光は神州の大地を照らす。
天子の皇宮には建物が連なり、高い屋根は雲が空に浮かんでいるようだ。
峩峩(がが)としてそびえ立つ門の中には、王侯貴族たちがいる。
出世を願って権力に媚びへつらう輩でもなければ、どうしてこんな場所に機嫌を伺いに来ようとするものだろうか。
せめて、自分は葛(くず)の粗末な服を着て城門から出て行って、俗世を高く踏み越えていき、隠者である許由の足跡を慕いたい。
千仞(せんじん)にそそり立つ山の岡の上で衣についた俗塵をふるい落とし、穢れた足は万里の河の流れが洗い清めてくれるだろう。

私が政治を嫌うのはこの漢詩が好きであるからである。政治という俗物に口を挟むなかれ。己の俗物を恥じよ。

この漢詩は詠史といい、詠史とは過去の歴史に思いを述べることをいう。そこには、具体的に存在する史跡とは関係なく、史書の記録、伝承に基づいて、意見を述べ、いわば、歴史を借用して今現代を述べるわけである。詩の前半は立派な建物に住まう王侯貴族と彼らに取り繕って出世の糸口を掴もうとする野心家を描き、「攀龍」とは龍(ここでは皇帝)に接近して権勢を手にしようということである。しかし、詩の作者である左思は権力に媚びることを嫌悪して、貧乏くさい衣服に身をまとい、洛陽の西の門である閶闔門を去り、隠者の許由を慕い、彼のあとに私も続いていきたいとしている。許由とは伝説の皇帝である堯の時代の隠者であり、堯から天子の位を譲るといわれたときは断固として拒否し、「くだらぬことを聞いたものだ、実にけがわらしい」というのだろうか。潁水(現在河南省を流れる川)の河の水でけがれた言葉を聞いて汚くなったであろう己の耳を洗い清めたという。

この詩の最後の「衣(ころも)を千仞(せんじん)の崗(おか)に振(ふ)るひ、足(あし)を万里(ばんり)の流(なが)れに濯(あら)はん」は中国の雄大なる自然を背景にした壮大かつ幻想的であり、それでいて、俗世に対する嫌悪感というものがまざまざと見せつけられ、それは増悪の怒りにまで膨らんでいる。そして、そこまでして言い切るほどの隠者のような生活というのは、なにも慎ましくひそひそ隠れて枯れたように暮らすものではなく、俗世の雑音を嫌う、俗物に決して自分は身を委ねたくない、委ねるくらいなら死をも覚悟するだろうという生粋な反骨心を称えるものであるといえるだろう。許由という史書に記された人物を取り上げ、彼に対する評価を通して自己の主張を表現している。詩人にとって歴史とは、己の意見を公表する契機にもなり、材料でもある。また、自身の思想においても歴史を拝借して語るものでもある。この詩は、このような詠史詩の特徴をよく示しているまさに模範的な作品である。

いや、それ以上に、権力を含めた政治といった俗世というものがいかにくだらぬものかというものを我々に訴えることに関しては、ことに痛烈なメッセージでもある。

一体私は何を言いたいのかと、この詩を見習いつつ、「人の患いは好んで人の師と為るに在り」という言葉の如く、政治いうものに対して減らず口を叩くくらいなら、少しは俗物を感じては、それを恥じるべく、慎ましくしていろというわけである。それをもって徳行となす。故、最も純なり。今の社会はネットという安直な利器が、そうした俗物をさらに俗物としている。そんなもんから少し離れて、家では文学を音楽を芸術を楽しめば、いかに俗物に身を置くことへの嫌悪感というものがわかるというのならば、私と性格が合う。友達になってください。

そしてここで一つの疑問。では、どうして、左思は俗世、ひいては政治というものに見向きもせずに俗物としてそれを嫌ったのか? それは考えてみるとよいでしょう。私の場合は、ですねえ。タイピングする手が腐るようで嫌になってくるのであんま語りたくないのを仕方なしに。何故、政治に嫌悪感を抱くのか? 政治とは表と裏の顔のギャップがこれでもかというほど凄まじい。表は崇高さを謳いながら、その権力というものの煌びやかさ。裏はどす黒い何か。この裏というのを断片的にでも見てしまった気がしたら(それが何なのかといえば、政治家の自殺等)、私みたいになってしまうのです。以上です。大した理由でもないでしょうが、別にいいです。自分でも寂しい性格してると思う。こんなのと一緒にいてもつまらないだろうと軽蔑していただければ、少しは気が晴れる。

最後に一言

「政治などくだらぬことじゃ」