寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

チャイコフスキー「スラヴ行進曲 op.31」

今日はわずかながらの時間ではあるが、雪が舞い降りてきた。冬の象徴でも私の住む茨城では雪が降ることが珍しいと個人的に思うもの。しかし、雪が降ると寒い。そんな寒空の中の雪を当たり前のように目にするだろう、ロシアの大地は。寒く凍えたロシアの地にも、そんな凍えを熱き情熱として曲に奏でれば氷雪の大地もその勇壮な旋律に心を熱くさせ、寒さなぞはどこ吹く風。そんな気持ちにさせるだろと今回はタイトル名の曲を語りたくて。
チャイコフスキーにいたっては、私が第一に挙げたくなる作曲家です。よくテレビのCMでもチャイコフスキーの曲が使われるのは旋律自体が耳になじみやすかったり、感情表現の振幅を巧みに操るリズムの凄さがあるから当然か。例としたら記憶にある限りだと・・・
管弦セレナード第一楽章≪スタッフサービス
バレエ組曲くるみ割り人形」 トレパーク(ロシアの踊り)≪花王花王ハイター≫
花のワルツ≪どっかの紅茶かなんかの飲料商品のCM(忘れた笑)≫
バレエ組曲くるみ割り人形」 あし笛の踊り≪ソフトバンク/犬のお父さんのアレ≫
ピアノ協奏曲第一番変ロ短調作品23 第一楽章≪トルタというお菓子≫
※間違いがあったら指摘してくださいね
くどいかも。チャイコフスキーの音楽は甘美かつメランコリックな旋律が挙げられるが、そんなイメージとは裏腹にごつごつ武骨で骨太な音楽的イメージを与えるのが「スラヴ行進曲」。曲の成り立ちには当時の国際情勢が影響している。1876年にセルビアオスマントルコとの戦争が起こった際に、セルビアキリスト教徒がオスマン軍に殺害された事件が発端となる。その事件はセルビア人と同じスラヴ民族としてロシアは黙視してはいけないとしてセルビア義勇兵として援軍を送った。チャイコフスキーの友人であるニコライ・ルビンシテインはこの戦争の負傷兵慰問募金のための慈善演奏会をチャイコフスキーに提案し、それにチャイコフスキーが応じた。かくして作曲された行進曲はスラヴ民族を讃えるかのごとく、民族的主題を持つ勇壮かつ雄大な管弦楽である。曲には南方スラヴの民謡のメロディーを主題として用い、同1876年11月、モスクワでルビンシテイン指揮によって初演、熱狂的な成功をおさめたとされる。
まず最初の変ロ短調の重苦しいファゴットヴィオラがイメージするチャイコフスキーの楽曲と一線を画する気がするだろう。中盤になると明暗とりまぜたスラヴ風の主題が出てきだす。それはあたかも戦争の不安と激しいまでの戦意ではないかと。チャイコフスキーの音楽への感受性があたかも繊細な心から激情の人に豹変している。内気でメランコリックなイメージが先行していれば、この曲の旋律にチャイコフスキーの裏の顔を見た気がしてならない。まぁ、私はそう思うのだが・・・。終盤のクライマックス、コーダーの奏でるすべは、このオスマントルコとの戦争に対するセルビア、ロシアひいては「スラヴ民族」の勝利を高らかに謳いあげていると言えるだろう。余韻など残さずはっきりとそれを分からせるかのように曲はきっぱりと終わる。
この曲はまるでプロパガンダといってしまえばその効果は絶大だったらしく、チャイコフスキーはこの曲に対する観衆の熱狂ぶりを手紙で妹に伝えている。作曲に当たっての経緯から、音楽にナショナリズムを加えるから、観衆が熱狂するのは民族の誇りがあれば当然のことだろうなと、ふと思う。
近代ロシア音楽の父と呼ばれる先人グリンカは「作曲家が音楽を生み出すのではなく、民衆の作り出したものを音楽家は芸術としてまとめるのだ」と語ったそうだ。チャイコフスキーもそれをしっかりそのことを理解していると・・・。民衆の思いが、たくまずして生みだした民謡は民族の主体となりえるものの一因としてとらえ、ロマン派が成熟してナショナリズムを意識するようになった19世紀後半。ロシアではそのような自国の民族主義を取り入れた新しい音楽様式の「ロシア国民楽派」というようなこだわりはチャイコフスキーには希薄だったらしく、チャイコフスキー自身は西欧的な音楽を目指していた「西欧派」と呼ばれ、それゆえ古典的、通俗的といわれたりもする。だが、スラヴ行進曲を聴いてみてもそれは西欧的なものでなく、スラヴという民族的な様相を示すものであり、安易に西欧的だというその創作態度を批判できるものではないと感じる。というか少なくともスラヴ行進曲は民謡、民族舞曲が伝えるロシアの人々の心みたいなのをチャイコフスキーの芸術に自然なかたちで生かされている気がするのだが。
また、特定の民族による形成を主張し対外的に自民族との差異を主張するためにもこの曲、「スラヴ行進曲」は有効に働いたのではないか。ロシア的作品というよりスラヴ民族的作品として、スラヴ行進曲の作風のスケールは実に大きいと私は考えてる。ロシアという枠を超えているし・・・。



もう、作曲家については野暮なのでこの辺でおわり。ようつべでいい演奏を選んでみたつもり。是非聴いてみては↓