寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

善人が損をする、クソ真面目が損をする「天道是か非か」

神農虞夏(しんのうぐか)
忽焉(こつえん)として没(お)わる
我れ安(いず)くにか適帰せん
吁嗟(ああ)徂(ゆ)かん
命之(めいこ)れ衰えたりと

炎帝舜帝、禹王の美しい世はたちまちのうちに世を去ってしまった
我々は何処へ住めば良いのだろうか
ああ、終わりか
もはや命も潰えることだ

遂に首陽山(しゅようざん)に餓死す

今の政治とかさねようとしたけどやめた。この歌を知るべき人がどれくらいいるだろう。違うんだ。この歌を知らないのかと無知を他人に指摘する小賢しい性格などではない。またかよ愚痴で申し訳ないが、今の世の中にふと疑問を持ってしまったからだ・・・。

これは司馬遷が編纂した史記に記された七十巻ある列伝の最初を飾る「伯夷・叔斉兄弟」が死の直前に残した歌「采薇の歌」である。ここで史記という一大歴史書については誰でも知り得ていることだとして説明を省略する。そういえばこの史記とは歴史的事実を記録されていることのほかに、司馬遷の主観的な表現も豊富であり、それが先に述べた伯夷・叔斉兄弟の列伝である。その記録とは、その人間の心の奥まで入り込み、真実を見抜き表現するかのような文学的色彩が強くにじみ出ている。人間の世界、運命について考えさせられるかのように・・・。それはおそらく司馬遷の多難な人生が養わせたものだと。では、伯夷・叔斉列伝は冒頭に紹介させたその意図とは何だろうか?
それは「信念」というものを司馬遷は大事としたのだろうと。

伯夷・叔斉兄弟は孤竹国という国の公子。兄弟の父は叔斉を後継者にと遺言を残す。大臣たちは遺言通りに弟を君主にしようとするが、弟は兄を差し置いて君主になるのは兄弟の順からすれば間違いだとし兄に地位を譲ろうとした。しかし兄は父の遺命に背くものだとし、国を出て行ってしまい、弟も君主になることを躊躇い兄の後を追って国を去る。兄弟は周の文王の高徳さをうわさに聞き周へ向かう。ほどなくして文王が亡くなり子の武王が殷の紂王を討伐することになると兄弟は軍の前に飛び込んで「父の弔いの前に大戦を行うのは親孝行ではなく、臣下の身で君主を討つのは忠義ではない」と諌める。周の兵は無礼討ちをしようとするも兄弟の信義を感じた太公望がこれを制する。武王は殷を滅ぼし周の天下となるが、兄弟は周が武力で倒したのは恥ずべきとし、周王朝に仕えることを潔しとしなかった。首陽山(場所については諸説あり)に隠れ、生涯周の食べ物は口にしないと誓い兄弟は餓死してしまう。

司馬遷はこの故事に対して「天道是か非か」という問いかけを投げかけている。世の中には悪人がはびこり、彼らは裕福になって子孫が繁栄している。一方控えめな善人が災いに遭い、天寿を全うしないことがあるのは、果たして善人味方なのだろうか・・・天は常に善人に味方するものなのか。司馬遷は天に味方されなかった善人たちの記録を残すことで正道のなんたるかという根本的な問いかけには心打つものがある。
伯夷・叔斉兄弟は潔白者すぎだ。賢人は常に先を見越して危険を避けるすべを心得ている。凡人は機に臨じて変に応じる。それなのに兄弟は自らの信義の為に自滅の道をたどっていった。中にはそんな意地を張っていなければよかったのではと考える人もいるだろう。だが、私はそうやって考える人間は信義の意味を知らぬたわけだと思ってる・・・。

私が思うに今の社会は筋を通すだけでは成り立たず、時には優しさを利用し使い捨てるようなあこぎなやり方で事を成そうとする。いい人が、クソ真面目な人が控えめ過ぎて覇気がないと思われ、周囲に対する受けが悪く評価がなぜか低い。対して多少素行が悪くても活発な振る舞いをしていれば共存社会に見事に順応する。信義もないくせになんでこんな人が評価されるのだ。善人の信義を煙たがる人間でもある。ふざけるな。これは私が今まで働いてきた中や世相で感じたことだ。世の中にはきれいごとでは片づけられない出来事もあるだろうし、それは承知している。だけど、正直者が馬鹿を見る、正しいことを行う人が不幸に会うことはどうも我慢できないし何気にヘコむ。だから私はちょっと前に職場で周囲が青ざめるくらい(後で同僚がこんなこといっていた)怒鳴りました。本当なら耐えるところなんだろうけど、私も激情なんだなとおもった(それにしても偏屈で気難しい)。

私が伯夷・叔斉兄弟のように振る舞うのは難しいとわかった(おそらく信義のつけ違いだったのではと指摘されるかもしれないが)。こんな振る舞いが今の時代に反映していないのではと思うとやりきれない。私なんかはいいから、無骨で控えめでクソ真面目な逸材が不幸になれば、それを同情してあげて評価してくれるような・・・そんなものは甘えなのでしょうか?