寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

私が気にする横山三国志の名言

歴史を好きになったきっかけは、漫画日本の歴史なるものだ。別に歴史が好きでなかった。歴史を漫画で綴っているから好きになっただけだ。子供にとって漫画とは印象に残るものである。それは字しか書いてない本よりも漫画という最大の武器、絵があるからだ。絵は人の感情を刺激する。字だらけの本を見ても文字を読んで理解するよりは、直截的に漫画のような絵を見て理解したほうが知識というものが頭の中にスラスラと入りやすい。子供というのは自身の見たその瞳の奥に印象を強く受けるものである。百聞は一見に如かずというように目で見た印象というのは幼い記憶として感情形成に大いに培われる。そう考えるから漫画というのは子供にとって大変趣向の高いものである以外にも感受性を養うためにも大変に教養として優れているものだと考えるわけである。

文字よりも絵

私は子供たちに漫画を読めと言い聞かせたい。漫画というのは単にサブカルチャーなんかではなく、大衆娯楽なんかでもなく、人を創るべきものだと考える、一種の人間形成に必要不可欠な宝物であると断言する。だから子供には小難しい字ばかりの本を読ませるのではなく、絵から様々な感情を読み取れるであろう、人間の視覚から脳に至るまでの情報能力処理を発達させるであろう、漫画ばかりを読み与えるに越したことがない。私は夏休みの読書感想文推奨みたいなくだらない児童文学図書なんて燃やしてやりたい。そんなもん読ませるくらいなら下ネタでもうんこでも登場する漫画を子供に読ませたほうがいいし、現に子供だってそっちを好むだろう。子供が喜ぶほうを私は与えてあげたい。私は子供の頃は漫画ばかり読んでいた。なぜなら文字を読んでもつまらないからだ。本は大嫌いだった。本には絵がないからだ。絵が面白い。字はつまらない。だから漫画が好き。それ以外に文字だけの本を嫌う理由が浮かばない。

さて、前置きがウザくなったところで。私が子供の頃読んだ思い出の漫画、というかバイブルとしてあげるのは横山光輝氏が描いた三国志である。この本がなかったら、今の中国史好きな私はいなかったのではないか。いや、歴史としてでなく人間ドラマとしてもこれに勝る漫画は曹操そうそうないだろう。だからだ。今なお知名度が抜群なのは自明の理というに他ならない。横山三国志は子供が読んでも理解しやすく、また大人になって読んでも感慨深げになる。最近この漫画を読みだしてからいつも思うのはセリフ回しが巧みであり、印象に残りやすいと本当にそう思う。だからネットでもそんなセリフを引用してたりネタとして使われるのだろう。だからだ、そんな横山三国志の私なりに名言というか印象に残るのを挙げてみようかと。それではどうかお付き合いを。それとこれはあくまでも横山三国志としての思いであり、正史とかその他の列伝を含めての、それとはわけ隔てていることをご承知で。

国は人をもって基となすという。玄徳は国を失ったがその基はまだ我にある。民とともに死ぬならそれもまた本望

これは主人公であり、のちの蜀の君主劉備のセリフ。この言葉をきいて私は劉備が好きになった。劉備荊州劉表に身を寄せて新野の城主になって幾年。その間に敵対する曹操は巨大化し、もはや劉備や義弟、配下の力ではどうにもならなかったとき、ようやく諸葛亮を得ることができた。軍師となった諸葛亮劉表の死後、荊州の主になり曹操に対抗せよと進言するも、劉備はそれは自分を信頼してくれている同族である劉表の裏切りであり信義に反するといって頑として頷かなかった。曹操が攻めてきたとき今いる新野を捨てて民百姓とともに逃げようとする劉備。しかし民を引き連れて曹操の侵攻から逃げるのは容易ではなくこのままでは曹操に追いつかれて討ち果たされてしまう。民を引き連れているから進軍の速度が上がらない。このままではやられてしまう。義弟関羽が心配するのも無理もない。関羽は民を置いてきぼりにして我々だけでも急いで逃げないかと劉備に言ったその時のセリフを最初に挙げたい。

この言葉を読み取っても三国志劉備が善といわれる所以は察するに余りある。それよりも印象深いのは、民とともに死ねるのは願ったりかなったりだと毅然と言い放つその心底。私は身震いし、心の中に深く刻み込まれたものだ。

元来、国というのはまず国に人間がいなければ成り立たない。当たり前すぎて説明するのもバカらしいが、そんな国の基である国民を蔑にする君主のどこが好きになれるだろうか。きわめて一般論的であるが、自然と起りうる正当な感情だろう。戦争でもそうだ。「一将功成りて万骨枯る」とあるように誰のおかげで今の地位があるのか。そんなことも知らずに人の上に立とうとする人間を私は嫌う。だから劉備が好きだ。私ももし君主ならば部下と共とともに殺されるよりも国民と一緒に死んでいきたいものである。それは実に恵まれた死に方なのではないか。滅びの美学とは痛切なものではない。死に方にも天晴れなものだってある。劉備の覇業を支えたのはそんな民を純粋に愛してやまない天の与えた資質。それが存分に表れているセリフは絶対に外せない。

俺はもう一人の民も持たぬ国王だったのか。水の一杯も恵んでもらえぬ国王だったのか。そこまで人の心は離れていたいたのか

セリフは袁術。察するならば、前述の劉備のセリフと対極にあると考えていいだろう。袁術漢王朝の名族の出というよりも、利己的な野心家と断言するのか。そういうのも、袁術漢王朝があるにも関わらず自ら皇帝を僭称した経緯だろう。そんな男の政は当然暴虐そのもの。袁術は自分の領国経営が破たんしたと悟り、曹操と伍する勢力になった仲の悪かった兄袁紹を頼る。そのために大勢を引き連れて袁紹のもとに向かうのだが、そこを徐州の牧である劉備に蹴散らされる。曹操から借りてきた劉備5万の兵の前に袁術の兵は無力だった。これでもかとさんざんに痛めつけられた袁術は甥の袁胤とともに生死を彷徨っていた。ようやく民家を見つけて水が欲しい助けてほしいと民に迫ったが、民は水をためていた瓶を袁術の前でわざとこぼして「水がたった今なくなった。自分には血は少しは残っているが、今度は俺の体を切り刻んで本物の血まで飲むつもりか?」と凄まじい嫌味というのか辛辣すぎる言葉を吐く。この民の言葉をきいた袁術の断末魔みたいなものがそれ。

袁術三国志の中でも悪として捉えられている。皇帝僭称はもとより、名門の出というプライドばかりが強く、自己中心的で、結局自分しか愛せなかった。だから領民から死にそうな頼みを聞いてもらえなかったと。劉備は民を愛した。袁術は民を愛せなかった。民をどう扱えばよいのか。子供でも分かるような結末が直に伝わるセリフではないだろうか。これ以上言うのも面倒だが、しかし袁術のこのセリフを見て感じたこと。それは袁術ほど寂しく、心貧しい生涯を送った男はいないだろうと。それ故、印象に残る。人間とは誰もが聖人君子のように振る舞えというのは理想であって現実的ではないし、そんな人間は面白みもない。だからと言って袁術はどうなんだ。私は哀れだと思う反面、人間の弱さをこれ程まであらわにするものなのか・・・それも一人の人間としての個性だろうと。三国志に登場する人物は個性がある。ことの良しあしは別としてそれを読み解くだけでも三国志は面白い。

ああ偉い弟だ。呉の臣として私の立場は苦しいが兄としてうれしく思う

セリフは諸葛瑾諸葛瑾はあの劉備の軍師にして蜀はおろか三国志のキーパーソン諸葛亮(孔明)の兄である。ちなみに瑾は呉の重臣である。魏が中華を統一するにあたって、呉とついに対決する。その前に、魏の侵攻にほうほうのていで逃げた劉備に対して孔明は呉が魏と戦うように仕向けるため単身呉の説得に赴く。巨大になった魏を呉に叩いてもらい、もし呉が魏に勝ったらその隙に劉備荊州を奪う算段だ。呉の重臣たちは魏と戦うことを恐れていたが、呉の君主孫権は懐刀、周瑜の魏と開戦すべしという強い言葉に魏と戦う決意をする。・・・が、孫権は内心不安だった。それを孔明は見透かしてしまう。周瑜がそのことを知ったときは自分よりも先に君主の心境を当ててしまう孔明の底知れぬ才能に恐れを抱き、孔明を殺害しようとする。そのことを重臣の魯粛に話すと「そんなことしないで兄の諸葛瑾を使って呉の臣下になるように説得してもらえば」と。こうして諸葛瑾は弟の孔明を説得するのだが・・・伯夷・叔斉の兄弟愛を説いた諸葛瑾だったが、孔明にうまく丸め込まれてしまう。三顧の礼を知っていれば兄の頼みであっても絶対にこれだけは譲れない。孔明が忠義の士であることは言わずもがな。諸葛瑾孔明を説得できなかった。その際孔明がいた家の門に振り返りながらつぶやいたセリフ。

そのころは魏と呉が戦う赤壁の戦いの前とあって漫画の中でも盛り上がるところ。そんな熱い展開を前にして何といってもこのセリフから最初に伝わるのは、偉大すぎる弟を持つ兄のとしての哀愁として私は見る。誤解しないように。諸葛瑾自身も多大な功績があるわけで、決して愚兄賢弟といいたいわけではない。単に弟に言い負かされたからそう思っただけである。それと、違う国に使えたからには家族といった私情を重視するよりもその国の政を優先せねばならない政治家の非情な運命に心を察するものがある。これは家庭よりも仕事を優先する仕事人間の心理みたいなものだろう。諸葛瑾孔明から劉備に使えてみたらと逆に持ち掛けている。それを諸葛瑾も真向に否定している。どちらも仕事を取ったのだ。現代で言うと家族を顧みないと言われるかもしれないが、それは凡人の真理であって、国を背負う人物にとっては利己的で浅はかな考えであるかもしれない。国家に忠義を尽くす。家族以上に護るべきものがある。国家のために死ねる。そうでないと「温厚誠実」、「徳行は最も純なり」といった諸葛瑾の評価も後世からの尊敬もなかっただろう。

兄弟愛よりも国の為という非情な手段も必要だとしても、それとは別に一種の清涼感漂う別の視点もある。使える国は違えども、それが原因で兄弟の仲が引き裂かれたわけではない。国家という枠を超えて弟を褒め称えた兄には情というのはしっかりと存在していた。のちに劉備孫権は対立するが、孔明と瑾は兄弟の仲までは悪くはならなかった。歴史上血を分けた兄弟が対立するのはどうしても存在してしまう。ことに三国志でもそれはある(袁紹の跡目争い、劉表の跡目争い、曹丕曹植の不仲)。なんだこの兄貴、実は情愛は決して失うことはないんだな。それが伝わるのが「ああ、偉い弟だ」なのである。とても清々しくて兄弟の仲を私に心配させないような愛情ある弟への言葉にホッとするのである

若き日桃園に誓いを立て苦労を共にすること三十年・・・関羽の仇討は男の約束としてやりたいのじゃ

関羽が呉に殺され、同じ義兄弟張飛とともに宿願だった関羽の弔い合戦の為、劉備は呉と戦争をすることになる。それには孔明をはじめ、多くの臣下が反対した。劉備孔明関羽の弔い合戦には反対なのか? と問いかけると、孔明はそうだとと返事した。その孔明に対して劉備が反論したセリフである。このセリフにはあの言葉巧みな智謀の士でさえも何も言い返すことは出来なかった。劉備の並々ならぬ信念にあの孔明がたじろいたのだから、いかに劉備関羽の関係が特別なのものだったのかよくわかるはずだ。

桃園とは桃園結義、つまり劉備関羽張飛は生まれた日は違えども死ぬときは同じ日を望まんとする義兄弟の誓いを立てた。それなのに、劉備の義弟関羽は呉の名将呂蒙に首を討たれた。それが何を意味するか。死ぬときは同じ日という誓いを果たすことができなかった。それよりも兄弟以上の決してちぎれるものではない友情「断金の交」を天に背いてでも裏切ることは出来ない。弟を殺されたら兄がその仇を討つ。三国志はただの歴史ではない。人間ドラマがある。それがあるから、歴史なんて興味なくても三国志という歴史に惹かれる人が出てくる。歴史ではない、人間の熱い思い。しかし、弔い合戦などという今呉と戦うのは私情であって皇帝とは国家のために動かねばならない。孔明の天下三分の計に背反することが明らかな対呉戦争。それなのに国のことよりも己の友情のために戦いを選択した劉備。私個人の考えではあるが、戦での死は仇とせぬのが戦の掟であり、計略に落とすも落とされて死ぬのも戦なのだから、仇など捨てる事ではないのではと。だが、やっぱりだ、私みたいな考えだと三国志がドラマチックでもなんでもなくなる。そんなの劉備の魅力をなくすだけだ。だからだ、劉備だからこそ関羽の仇討はしなければならないのだと。横山三国志のこの場面を読んだ人はどう感じるだろうか? 無謀な対呉戦争反対という孔明の正論は読み手をを納得させても読み手を感動させることはないのではと思う。常に正論とはドラマと対極に位置する。劉備玄徳という男の魅力がわからないのであれば、三国志を語る資格はない。

あの蒼空の極みはいずこであろうのう

印象深い数ある横山三国志のセリフの中で最も、一番好きなセリフです。五丈原での諸葛亮のセリフです。

もう何も言うことがありません。私はこれで泣く。漫画で泣いたのは数ある中でもこれぐらいにしか思い浮かびません。よって、説明とか不要です。

それを・・・それをたった一日で・・・・たった一日で捨てられますのか

蜀二代目皇帝劉禅の子劉シンのセリフ。諸葛亮亡き後の北伐遂行を引き継ぐ姜維は度重なる魏との戦に明け暮れ、蜀の国力を疲弊させる。蜀国内では宦官黄皓による政治の壟断により政治は大いに乱れる。国力を失った蜀に魏は蜀討伐を実施する。姜維の剣閣での奮戦もむなしく、別ルートから侵攻した魏の名将トウ艾により蜀は滅亡寸前においやられる。成都では劉禅をはじめこれからの将来について評定する。主劉禅は魏に降伏して生をむさぼる道を選んだ。そんな父に対して敢然と立ち向かったのが劉シン。劉シンは最後まで戦うことを主張し、もしそれで負けてしまっても戦って死ぬのであれば蜀の建国者劉備もその心意気に許してくれると・・・。劉禅はそんなの無駄だと一喝するが、劉シンはこれまで蜀を建国したもろもろの英雄たちに対して降伏することは、死んでいった英雄に対して申し訳なさすぎる。国の為に死んでいった者があまりににも哀れすぎるから降伏はしないでくれ、戦ってくれ父上。そんな感情を爆発させたセリフである。「捨てられますのか」の主語は蜀建国者達のプライドといったものだろう。降伏してプライドを捨ててまで生きようとする劉禅の決断はあながち間違ったものではないだろうが、やはり先帝たちの蜀建国の苦労を考えると義理に欠けるわけだ・・・。

これ程熱く、激情に満ちたセリフは横山三国志を読破してみて他に思い浮かばない。横山三国志はそれほど感情をあらわにする描写よりも、淡々とセリフを述べていくのであまり熱さは感じられない。それ故にこの劉シンのセリフは悲壮というよりも熱さを感じる。そしてなにより、「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあるように、死ぬべき時に死ねなければ、それは不忠義に他ならない。いつでも死ねる勇気を持つこそが正義なのである。日本にはこんな武士道なるものが存在するが、それにあてはめてみれば劉シンのセリフは清く正しく澄み切っている。国が滅んで自分が生き延びるくらいなら死んだほうがはるかにまし。国に殉じるとは己の魂の救済なのである。それを否定されたからには憤死したくもなるものであり、劉シンは蜀降伏を前に妻子ともども死んでいってしまう。三国志は多数の英雄によって物語れる。そんな英雄がつくった国も滅んでしまう。何て言う無常さなのだろう。あれほど死を賭けて築いたものがあっけなく消えてしまう。魏も呉も蜀も結局誰かに滅ぼされてしまう。英雄たちの血と汗がにじむ努力は結局は無駄に終わったのではないだろうか。そう考えるとやるせない。三国志とは儚い夢に過ぎなかった。劉シンはそんなことを認めない、認めたくないために滅亡がわかっていても戦いたかったのだろう。

セリフの「それを・・・それを、たった一日で・・・・たった一日で」という反復法には魂を揺さぶられる。読み手に対して感情で訴えていることに、このコマのセリフはつい息が詰まる思いになる。

一通り挙げてみました。もちろんこれ以外にも語りたい名言はあり、ここで終わるにしては少なすぎると自分でも思います。それをあえて数を絞ることで、それゆえに本当に自分の中で心に響くものであるのは間違いなく自信をもって紹介できました。「むむむ」「何がむむむだ」というような一見してコントみたいなセリフは私はあまり好きではありません。語感の面白さだけで深みがないからです。それよりもセリフに込められた奥底を読み解いて自分なりに考えを抱きたい。そんな名言を紹介したつもりですが、果たしてどうだったか。自分でも語彙のなさから伝わりにくかったと思うかもしれません。しかしこれだけは言える。自分がどういう風に感じたかは関係なく、横山三国志は誰もが読んでも面白いといえる最高の漫画であることを明言しておこう。