寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

朝倉とかいう格闘系ユーチューバーの発言の余波について

ブログってホント廃れたよな。Twitterでいいじゃん。ブログは文才ない奴がやっても面白くない。ただ長い文章でオナニーしている寂しい実態がこのブログの正体。にしても何も書かなくてもアクセス数があるのが地味に複雑。いったいこのブログに何を期待しているのかが自分にはわからない。好きなこと勝手に書くのも空しいだけだし、Twitterでフォロワーと馴れあっていたほうが絶対楽しい。ブログは文才ない奴にとってくだらないツールでいい加減本格的に廃れたほうがいい。

13日朝倉未来が戦って負けたという。

テレビよりもはるかにマシなYouTubeを見ていればこの人の動画を見たりもした。昔不良で喧嘩が強くてそれで格闘技をやってYouTubeでも有名になった。彼の動画は確かに面白かった。それは素人というか一般人を交えて格闘をレクチャーする、そのプロだけのものとされた格闘が一般人を通して動画で伝えられことに親近感というか格闘というストイックさよりもエンターテイナーに特化した動画内容には格闘とはこんな身近にあるモノなんだなと、格闘の小難しい解説するよりもまずはわかりやすく格闘の技を自らが実践して体を動かしながらの紹介が頭に入りやすくて屁理屈臭くなくて見ていてわかりやすく視覚で見る分にはよく企画されているなと考えさせられる時もあって楽しく見れた。時々イキっていて不快な時もあったがこれが彼の色なんだと認めればなるほど確かに有名になるワケだとも思った。

だがもう格闘家なのかユーチューバーなのか二足の草鞋を履くにしてもそのYouTubeの活動は格闘家としてのトレーニングや努力みたいなものの足かせになるのではと思った。素人を相手してマウントとっても仕方がないしと思っていた矢先に負けた。当然だと思った。最近は格闘よりもYouTubeのほうが好きなんじゃないかなと。その証拠に格闘とはあまり関係ない自分語りも初めてうわー余計だなと。それが例の「いじめられるほうにも原因ある」だ。YouTubeのほうが格闘よりも儲かるから自分語り。格闘以外の動画でそういう色が一瞬でも出たら私はあんたの格闘が見たかったのに余計なことをしたものだと大変残念。そんなんだから負けたんだと思う

ただこれとは別に彼の言動について周りの反応にちょっと気になった。いわゆるいじめ自己責任発言みたいなものだが、私はこの朝倉未来の彼の考えは確実に間違っていると思う。いじめられる理由があるならばいじめてもいい? そんなもんでいじめていいという正当性は果たしてあるのだろうか? これは学のない無教養さをさらしただけなので議論するのも実に馬鹿らしい。それでもそう言いたければ勝手にどうぞと私はこんな態度を示しては面白くても結局チンピラの頃と何も変わらないのではと幻滅したしもう動画を見ないと決めた。彼なりの色を出したくて無知をさらしたのであり失笑されるにしても反論することはじつに馬鹿らしい。なのに・・・この発言を取り消せとばかりにネットで叩かれたことはいささか狭量ではないか? 彼の考えは彼のものであり他者から言われてあらためることは、それは発言に自由がない監視社会であり閉鎖的で価値観の多様性を許さない息苦しい社会。そんなにこのバカの発言に真に受けるバカが多いことにこれまた幻滅した。

いじめは加害者が絶対に悪い。彼もそれは言っているではないか? それなのにその彼の言葉の意味を本質を理解しようとした結果がその発言は許せないというわけか? いつからネットの中ではこうした自分の考えとちょっと違うと許せない認めないという狭量な人間が増えたことか。

いじめはいじめられる側にも原因がある

ああそうなんだお前がそう思うんなら勝手に言ってれば

それで流せないのはこの国の人間ってどれだけ自分の正義に酔いしれているんだと不気味で不快である。いじめられた人間としては許せないのだろうが物事は分別付けて考えられないのって正直どうなの? バカだのクソだの言うだけならともかく相手の意見を一切跳ねのけ相手の人格を否定してまで相手の考えを殺しに来るこんな相手の発言を一切許さないで弾圧するってもしかして独裁国家にあこがれを抱いてるか、そんなのは冗談としても他人の意見を認めさせないというそんな権限お前にあるのか? だったら直接彼と対談して来い。何も出来ないくせして偉そうなこと言うんじゃないよ!! 

私はこうしたネットの空気が大嫌いだ。自分と違う意見は決して認めないしその意見を取り消せと脅してくる。こんなのネットで炎上するほどのことでもない。他人の意見を認めないのはともかくその意見を消し去ろうとする独善的な人間性は本当に昔のお人好し日本人なのだろうか? 私もこのブログに対してそれは間違いだとコメント頂いたがとてもじゃないが不快ではあるけどその意見までも消し去りたいとは思えなかった。何故なら人の考えとは尊重されなければならないからである。例えが悪いが死刑囚が罪の愚かさに気づき人殺しはいけないことだと言ったら私はその意見は正しいと断言する。だがこれも「人を殺しておきながら今更戯言ほざくな」と正しい意見をも否定するだろうか? こういう輩がネットでは多すぎる。意見を表面からしか見ようとしない短絡的思考、ステレオで物事を語る意見を紐解くような探究の心を持ち合わせていない不快だからといって人格までも否定するとても人間的思考が及ばない知性が欠けた反応。ここまで他人の意見が許せなくなった背景というものを今本当に知りたい。

人の意見に文句を言うのはいいが人の意見を消し去ろうとするな。朝倉の意見は論外だがこれとは別に、たとえ今は間違いとされていても後から正しいと気づかせてくれるだろう大切な意見を消し去ろうとするな! 人の意見は歴史において学ぶ術を持ち合わせている。もう一度言う。大切な人の意見決して消し去るな! 人が人たらしめるとするならば個人を尊重する。そこには個人の意見というものも含まれるはずだ。