寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

今年を振り返ってもあんま楽しくなかったなぁw

夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。
而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。
古人燭を秉りて夜遊ぶ、良に以有るなり。
況んや陽春我を召くに煙景を以てし、大塊の我に仮すに文章を以てするをや。

 

李白の春夜桃李の園に宴するの序詩。時の流れというのはいつまでも目的地に着かない旅人のようなもの。そしてそんな時の流れとともに過ごし行く人の人生何ぞ短くその短い人生の中でどれ程の楽しめるひと時があるだろうか。昔の人はロウソクに火をともして夜中まで遊んだというがもっともなことです。春の日差しが降り注ぐ中、春の景色は私に文を書く才をお与えになられたのですからその才を短い人生のうちに存分に楽しめばよいではないか。

芭蕉の「月日は百代の過客にして」は聞き覚えがあるが私は李白のほうを思い出す。人生は短いのだから今楽しんでおかなければ死んだ後に後悔するだけだというその問いかけは、社会の中で働く現代人にどう映るのだろうか。生活のためにとは言え、本当にそれで今の人生満足しいるのだろうかという人としての生き方に私ならば疑問を持つ。そもそも仕事がこんな生活が嫌だから楽しい方向へ走ってもよいではないか。そうやって今年の一年は生きていこうとした。しかしそれもやはり難しいものだ。ブログのトップに私の詩を載せているが、その詩の意味は今なお「それ」であり、楽しいと思ったことは一年を通してみても一瞬でありそのうち楽しいとは思わなくなる。この国で生きていくことに何をしようとしても李白のように楽しめないのが今年一年を振り返るすべでもある。

年号が変わり新しい時代になっていても社会問題は山積みと思える。具体的に何がソレなのかは個々の判断に任せるがまさか今の日本社会何も問題はないと言い切れば私はそれは恐ろしい人物だとして避けて通る。それよりも今年も天は人を殺した。台風の被害は直接被害を受けない私にも天を恨む気持ちにはなる。災害だからと片づけるのではなく災害自体が憎らしくて仕方がない。もうこんな地震や台風が洪水がおこる日本という国に嫌気がさした。

それでも来年はオリンピックの年である。実は私はひそかな楽しみでもある。ラグビーが日本を活気立たせたのだからオリンピックの年は間違いなく華やいだ日本、楽しい日本になるんだと信じている。どこかのニヒリストはオリンピックは日本の葬式だと吐き捨てたらしいが私はそうは思わない。確かに来年の8月あたりは疎開するといっていたが、こうも365日辛気臭い性格だと疲れるので無理やり盛り上がり私の性格をオリンピックは変えて欲しい。オリンピックで私を楽しませてほしい。純粋にそう思うから来年は実はちょっとは期待している。ちなみに私は🐀年である。オリンピックの年が私の干支とは何が因果か知らないが、やはり何かを感じずにはいられない。

今年は仕事は正直悪かったのであまり語りたくありません。私生活では特に去年と変わらない。ドールというものに少し熱くなったくらい。コミケも何だかんだ夏冬と参加してきたがもう頃合いだろう。先ずは李白のように酒を飲んでその時だけ楽しめるような、辛いことは考えず、ただ楽しんでいければと来年はそんな年でありたい。

最後にこのブログを読んで頂けている方に対して面倒な文面ではあるのですが、読んで頂けることは大変ありがたいことです。感謝いたす次第です。