寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

トロッコ問題、まともに考えるほうがおかしい

ロッコ問題とは

 

ある鉄道路線にあなたはたまたま線路のポイント切り替えするところにいた

そこにブレーキのぶっ壊れたトロッコが線路を暴走

線路の先には線路で工事してる5人がいる

5人は暴走したトロッコのことに全く気が付かない

大声で知らせても無駄でこのままではトロッコで5人が轢き殺されてしまう

あなたは線路のポイントを切り替えることができた

ポイントを切り替えてトロッコを別路線へ引き込むことができれば5人は轢き殺されない

しかし、別路線にも工事をしてた1人がいた

ポイントを切り替えれば5人の命は助かるがその代り別路線にいた1人は死ぬ

5人助けるために1人を殺してしまう。はたしてそんなことができるだろうか。また、自分が手を加えず成り行きのまま5人を見殺しにしてしまうか

あなたはどうする

 

 

これはどっかの学者が「人を助けるために人を犠牲にして許されるのか」という人間の思考に問いかけるものであり、ここから人の心理を検証していき倫理という言葉の度合いを試すものである。私はだいぶ昔この問題を精神科の医者に問われた時がある。そして私の答えがこう。

私「人を5人殺してしまおうが1人殺してしまおうが結論から言うと結局その人間が死ぬことで社会的損失が大きいかどうかにかかるわけではないでしょうか?

医者「それは?」

私「つまり、5人の作業員のうち1人だけ優れた才能がいたとします。その優れた才能の人を私は殺すことができません。ゆえにポイントを切り替えて1人の工事している人を殺します。反対に別路線にいる1人の人が優れた才能を持っていれば躊躇なく5人のほうを殺します」

医者「!?・・・では、本線で工事している5人のうちの1人も別路線で工事している1人もどちらも優れていたらどうしますか?」

私「私は功利主義者ではありませんがその場合は人の命の量を救いたいので別路線の1人を殺します。ただ別路線の人がノーベル賞級の天才ならば5人と言わず100人でも1000人でも1万人でもそちらを選ぶでしょう

医者「・・・」

 

実話です(やや脚色あり)。実話だから山口県の小中学校でこのトロッコ問題を授業で生徒に問う出来事は少し興奮した。今はだいぶマシになったと思うが私はガキの頃人の死を天秤ではかることも躊躇しない冷酷なガキだった。いつの頃かはそこまでは忘れたが人が災害で死ねば「医者が死んだのはもったいない、せめてそこら辺のサラリーマンが死ねばよかったのに」と事故ニュースで口走ったら母親にぶん殴られ食べていたハンバーグ(だっけ?)を床に叩きつけられた。

 

mainichi.jp

 

医者「まあ、トロッコ問題で5人と1人がどちらが優れているかなんて最初にそんなことは述べられていないけど。どの人間が優れているかなんてわからないし、だとしたらどうしますか?」

私「人の死は天命、つまり天が決めたことです。その天が決めたことをどうして私ごときが左右できるというのですか? 私は天命の意のままに従うだけ。つまりこの場合は不幸な事故として傍観するだけです。人の命を人が左右するなんておこがましいことじゃないですか?」

医者「ちょっと待って。あなたはさっき優れた人間を生かすためにポイントを変えて殺すようなことを言っていた。そして今度は事故は運命であるからその運命に人間がなにかしらの手を加えるべきではないと言ったではないですか。言葉として矛盾しているのでは?」

私「こんなくだらない問題をクソ真面目に考えるほどお人好しじゃないです。お人好しじゃないから、性格が悪いから精神病なんでしょ? そんな人間の言葉を鵜呑みにするなんてなんて甘いですよ。こんな茶番にはどうしても茶化してみたくなるんです、先生すみませんでした」

 

くっそムカつくなこのメガネ。ブチコロしたくなるわ。それほど腹が立つ質問だったしまともに考えることなんて私は出来なかった。こんなトロッコ問題実際にそういう場面に遭遇してみない限り、人の行動なんてわかるもんではないです。「強盗犯がいたら俺がぶちのめして捕まえてやる」と勇ましく言うものの、実際遭遇してみれば芋を引いて真っ先に逃げ出すことも考えられる。つまり人間なんてその状況下にならなければどう行動するかわからない自分勝手な生き物だということ。それにこんな非現実的な提起なんて実にくだらないし、しなくてもいい。人の心理を弄ぶたいへん悪趣味なものです。まずはこんな縁起でもないものを小中学生に問うこと自体教育に良くない。人を殺してはいけないという小さいころからの教えを見事に覆し、変な理由をつけて人を殺す大人になる可能性が出てくる。人の間接殺人を、人を殺すことを選択させるような点から見ても教育上タブーを犯し過ぎる。まず基本に戻ろう。人を殺してはいけないことを。こんな当たり前のことを知ったうえで殺すならどちらかなんて、どちらもくそもない。人を殺してはいけない。子供に徹底して教えていたことを何故ぶち壊すようなことをするのか? こんな問題を問われて山口の小中学生は不安だっただろう。

子供の思考が追いつかないことも考えず子供をドン引きさせて面白がって心的外傷ストレスまがいなことをしようとする愚かな教育者には大変腹が立つ。トロッコ問題に対しては「人が死ぬなんて嫌だ」と叫ぶ。そう子供が答えるのが正解であると。第一に人間愛を持つことである。間違っても人が死ぬなら少ないほうという損得での考えは決してしてはいけないし、人の命を値踏みするような人間はサイコパス性を疑う。そして誰とは言わないが、災害が起きても損得で考えて支援しても益にもならないし損するだけだからと災害状況をシカトするような大人も出てくる。このトロッコ問題、損得で考えたような答えを出す人間がいたら私はそれはとても恐ろしいことだと感じる。