寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

漢詩とは鬱積した心の拠り所

今更こんなこと言うのもなんだけど、このブログなんかつまらねえなあ

いや、割とマジで。

なんていうのかさあ、中身がよくわからないよね。書いてる本人は魅力のない人間だと言いふらしているようなモノ。辛うじてネットの大海原に浮かぶ小枝のような存在だから恥が微々たるもので済んでいるのだろうか。ブログ書くからには何か面白くてためになって興味深くて考えさせられて意表を突くようなことをいわないと。それは日常が変わり映えがないから。だからどうでもいいし趣味のこと書いてる。あまり人の役に立てないのはこれが私の性根だからだろうけど。そう考えるとブログなんて毎日出来るものではない。毎日できるほど充実してないから。それにこんなこと書いていったい誰の役に立つのか。アクセス少ないブログ。誰も聞いてなければ一人で壁に向かってぶつぶつつぶやいているかわいそうな人間を浮かべてしまい、それならばブログなんて毎日書こうとも思わない。やはり、誰かに必要とされてなければ。必要とされてなければ生きていてもつまらないんじゃないの?

この夏暑くて特に出歩きたいとは思いません。専ら休みは自分の部屋で。ついでに墨田区のゴキブリアパートから引っ越しました。どこに住んでいるかは墨田区。なんじゃそりゃ? なんか建て替えるとか言って追い出された。ふざけんなタコ! おかげで高い家賃を払うハメの今のとある場所に住んでいる。なんかたけーんだもん東京の賃貸。墨田区しか手頃な物件なかったんだ。ちなみに足立区とかは住みたくない。何故なのかはフフフ・・・。

漢詩を最近またやりだした。あの学校の古典の授業でやるみたいなこと今頃やってる。「んなことやってなんかの資格取れるの?」とか「そんなこと学んで何の意味があるの?」と正直思う。私は漢詩を自分で作って詠んで自己顕示欲強いからその辺の新聞に投稿している。正直漢詩なんて面白くないと思う方がいるけど私は違うんだな。ちなみに漢詩を知っていても就職で有利になるとかないよね。ここが日本社会のダメなところで教養をある程度知っていてもそんな金にもならない教養と決めつけて否定してしまうのが日本社会です。漢詩だけでなく、哲学、宗教、倫理や芸術音楽とかそんなの知っていても仕事で役に立たないと見てしまうのが日本社会です。金にならないことはとことん嫌う情緒のカケラもない。仕事なんて医者とか免許いる仕事以外は採用するにあたってバカでも誰でも変わりはないです。だったら教養ある人間採れよ会社は。私は面接で杜甫の春望を詠めたらいくらSPIの正解率が0でも面接で悪態突いても絶対にその人を採ります。江南の春を間違いなく詠めたら初任給30万出してもいいです。そんなこと今の人事部はしねーもんなバーカ。

飛 流 直 下 三 千 尺 
疑 是 銀 河 落 九 天 

この句はホント比喩表現が効きすぎてめまいがする。李白の「廬山の瀑布を望む」というまあ中学の古典でも紹介される定番だが、ようは「滝が三千尺に渡ってすごい勢いで真っすぐに落ちている。まるで銀河の天の川の底が抜けて落ちてきたかのようだ」という意味。三千尺とはメートルに換算すると909.09。世界最大の落差を誇るギアナ高地のエンジェルフォールが979メートルらしいから(wikiで見た)それよりも落差がある廬山の滝とは何だコレ。それは白髪三千丈といわれるように誇張した漢詩の表現です。李白とは大ぼら吹きな詩人なんす。こうやって誇張することでしか、それほどその時見た風景の感動がすさまじかったのでしょう。誇張するほどの価値のある滝を見て李白は感動したのです。「そんな自然見てーな」となりこの詩に惹かれてくる。そんで最後の句の「これまさに天の川が地上に向かって落ちてきているかのようだ」と、これだよ、これ。この、滝それ自体を天の川が地上に降り注いでいると比喩的表現を使うその李白の詩の壮大さ。まさに詩仙そのものだよ。日本の和歌にはこんな壮大な例え話は私の知る限りでは思いつかない、いかにも大陸国である中国らしい壮大な詩であると言える。九天とは天の一番高いところを意味しこの九天という言葉自体もかっこいい。天の川は天文学的にはお察しの通り雲上の光の帯のこと。そんな光の帯が地上から落ちて来たらどう思う? すげーそれこそ絵にも描けない美しさじゃないかな。滝を天の川に例えたこと自体が李白の凄まじい感受性と想像力と才能ではないかと思います。美しい滝の光景を己の才能で表現するにあたってこの李白の詩は本当にお気に入りです。七言絶句だの転句となる飛流直下三千尺と詩に勢いをつけてリズムをよくしてるとか詩の体形など正直どうでもいいんです。李白は滝を見たらこうやって表現しましたよ。それが天の川の底が抜けて地上へ真っ逆さまに落ちてきているというその表現自体が素晴らしすぎるのです。私は音楽でも美術でも情景を思い起こさせる作品が好きで、ことにこの李白の詩はホント好きですね。滝を見たら天から天の川が落ちてきた。こんな風に表現する人間今の時代にいるかね? そりゃ李白が天才過ぎるから、でも今の日本人にもこんな風に捉える頭の良さがある人いてもいいのではないだろうか。

私は体調不良で入院してた時、看護士の方に漢詩を詠んで聞かせてた。それが理解されなくて中には「何言ってんだこいつ」みたいな顔された。別に私が漢詩を知っている教養の高さを見せびらかしたくて看護士の方に意味不明に接したわけではない。私が詩を詠む時は心が落ち込んでいる時。其の心の落ち込みを解消することが漢詩を詠むこと。

つまり今漢詩を詠んでいるのは情緒不安定です。

もうこれ以上生きて何になる。事故で死んだり自殺している中、なんでそんな人を尻目に自分は生きてんの? なんか生きていて人の役に立つの? ただモノを消費するだけでそんな人生に何の価値があるの? だったら生きていても死んでしまっても大して変わらないでしょ? 死んでも最初は悲しむけど10年後には大して気にも止められないでしょ?  

つまり私は病気なのです。

その病気を抑えるのが漢詩です。意味不明ですが。