寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

コミケについて嫌なこと

来週はコミケですね。小生いつからコミケに参加して今日に至るか定かではないが、かれこれ十年以上参加してきた。つまり夏冬どちらか必ず参加してきた。つまり毎年参加してきた。何がそんなに面白いのかは行ってみた本人しかわからない。参加する理由を聞くのが野暮な気がする。ただ、確かに言えることは楽しいからとしか言うほかない。

それにしてもコミケといえば参加している人はすべてが楽しいだろうとお思いかもしれない。今回はそんな楽しいコミケでもこれはコミケで嫌だなというのをちらっと話したくて。好きなものには嫌いなところも言えないとダメな気がする。友人の嫌いな点を10言えればその人とは本当の友人だといわれる。好きだからって盲目になってはいけない。嫌いなところも述べれるくらいにならないと。

コミケが戦場と大げさに語られるのが嫌い

コミケが戦場と称される時代は確かにあった。しかし、今ではその言葉はオーバーに聞こえてくる。ガチオタから今まで一般と(オタク側から)されてきた人がコミケに流れ出してからコミケというものが緩く敷居が低くなったような気がするからだ。昔はコミケに参加してたら周囲から変態呼ばわりされてた気がする(私はされた)。それが今では大衆文化として融合されつつあるのか。以前コミケとマスコミが流せばそのマスコミの本音は「キモオタwww」だったと思う。そのキモオタでさえもそれが消えつつあるから(本当はどうだか知らないが)。「コミケは戦場=オタクの熱意」がオタクかどうかもわからない一般人みたいなのが出てくればもうそこは戦場という大げさなものではないと。一般人が戦場にいることは不自然ですから。だから時代の変化を指示しているのに従来の価値観で語られると変な気分になる。

コミケを商業資本主義的に見なしているのが嫌い

買うことしか頭にない方に対して何がそんなにコミケが楽しいのか。そんなこと言うもんじゃないとしつつもいつも参加するたび思っている。私は私の(こちらの一方的かもしれないが)ささやかなつきあいでコミケに参加する。コミケでお金を出して買うだけならコミケに参加しなくてもいいのではないか。ショップや通販で間に合うかと。それでも参加するのは現地でしか買えない品やコミケのお祭り気分を楽しみたいという理由とか、コミケに参加することこそに意義があるのだろう。しかし、ネットではアレ買ったコレ買ったと言うばかりで、買ったものを言うだけでは寂しいのではと感じてしまう。そんなもん、金出せば買えるのに。数が限られて徹夜しないと買えないから買えたことがすごいと自慢したくなる気持ちもわかるが、私としてはお金を出すことよりも人と人との交流を求めているのがコミケと感じる。そんなことはないというのならば商業資本主義の企業戦略に丸め込まれた儚さを感じずにはいられない。コミケとはそういった商業とは対比していたはずです。せめて頒布を頂くときでも「ありがとうございます」と言えれば交流なのです。交流することが第一ではないのは当然ですが、私はどんな小さくても、その交流がなくなったらコミケには決していかなくなることは腹をくくって宣言します。ただ、それもこれも時代の流れでと片づけられたら何も言えなくなるが…。さっき自分が言った従来の価値観で語るのは変な気分と言っているので見事なブーメランです。

人を人と思わないサークルの態度が嫌い

だいぶ前になるが、ある人気サークルなのだろうか私は並んでいた。私の前に並んでた方はいざ目的の品が手に入るなり、そのサークルにむかって「今日会えて本当にうれしい。これからも応援します。頑張ってください」というそんな言葉を言っていた。私はそれを聞いてなんだか嬉しくなった。が、そう思った私が大バカだった。そのサークルは私が聞こえるように「なに今のアレ? すげーきもちわりーな」。今思い出しても悲しくなる。怒りよりも悲しみ。こんなサークルだったのかと。私は直前に買わないで立ち去るのは感じが悪いから買うようなふりして後で捨てた。ホントこういう態度は一体何なんだと? その他あるサークルが自分と仲がいい人とおしゃべりに夢中になり、別の方が「すみませんいいですか?」声をかけたら邪険に扱う。確かに商売じゃないんだから愛想よくする必要ないといっても、その方あんたのファンかもしれないじゃん? それなのにそういう態度ってどうなの? それともああいう性格してないと創作できないのですか? 愛想悪いのはともかく、人を見下すのは生きている人すべてがしてはいけないことだと私は思うのですが…。

エロばかりで語られるコミケが嫌い

コミケの社会的地位を引っ張るとしたら過激な性描写のたぐいだと思う。これは極めて個人的な感情ゆえ説得力に欠けるので、感情、態度で言明を表明する価値情緒説を使うしかないし、そうした感情が正しいかどうかなど何も言うことができない。しかしそんな道徳的潔癖さと言えるものは、価値観は個人に相対的であり、どの価値観を正しいとするかは定かではないとする価値相対主義の実質倫理として存在する。つまり感情も立派な意見ということ。では語る。私はエロが好きではないです。エロで一番許せないのは女性の人としての自尊心、尊厳を著しく侵害していることである。女性の性を、快楽の、オナニーの道具としてしか見ていなくそこに愛はない。性行描写には女性を男の欲望を満たすだけの物体としか捉えられていない。男がいかに自分勝手な生き物なのかエロ好きからは私は読み取れてしまう。苦しんでいる性描写の女性の絵を、たとえ笑顔でも弄ばれているかのようになすがままにされている性描写の絵を見て喜んでいる他人の痛みを感じたりする能力の欠如がある者に女性を果たして「人」として見ているのか甚だ疑問である。女性がひどい仕打ちをしているさまのエロというものにたとえ絵でとかであっても罪悪感を抱かない人間が果たして本当の愛というものを知っているのだろうか。性癖を差別するのではない。だが私一人の意見は今の日本ならばまかり通るはず。私はエロが嫌い。それでコミケを嫌いと言えば私は異端でありこちらから願い下げだが、エロはコミケの裏の顔として表ででかい面してほしくないというのが私の願いです。以前知り合いのエロ描いてたサークルがだいたいこんなこと言っていた。

「表現の規制だとか言っているけど、はっきり言って描いてる俺を含めてやり過ぎなんだよ。いい加減周りの目を気遣えよ。好きなら好きでひっそりとしてればいいのにネットでエロを喧伝してるから目をつけられたのに、自分から騒ぎ立てておいて何被害者ズラしてるんだ」。

そのサークルの方はもうやめてしまった。

これくらいか。コミケで嫌なところは。あとはお茶の出がらしみたいなもん。

参加者に臭いのがいる

人の身体なんてその時風呂入って綺麗に洗った服着てれば臭くなることはないんです。途中汗かいて汗臭いのはいいのですが、明らかに異常な匂いなのです。どうすればあんな臭いでいられるのか私にはわかりかねます。

あのクソ混んでる会場をカートひいて歩かれる

人の所持品にケチ付けたくないんですけど、カートってコスプレする方が持っているにしても、体に接するリュックとかでいいじゃん。正直足元に当たって痛いのです。女ならまだ舌打ちくらいだけど男がカートひいてると調子こいて気取っているムカついてきます。あの人混みでそんなの持っていると邪魔で迷惑だと思わないのと。周りに迷惑かけないように心がけることも、ことにコミケのような大人数。わかってほしいのですが…。

並んでる列に割り込むクソガキ

割り込んできておいて何が「もっと熱くなれよ!!(修造)」だよ。

小さい子供を連れてコミケに参加する親

自分の趣向に子供を巻き込むのはDQNネームのような自分勝手さが伝わってきます。ちなみに私は幼いころ父に連れていかれてパチンコ屋が大嫌いになりました。私は平気だけどあの環境は子供には酷ですし、事後的な事件の元になります。誰からも子供を預けられなくて仕方なく連れてきたのであれば、もう一度自分の親に土下座して預かってもらいなさい。

コミケスタッフの感じが悪いときがある

あの人を捌く誘導するのにはそれ相当の気の入りようがないとできませんし殺気立っているのもわかる。が、開会待ちの列に並ぼうとした際にどこに並べばいいのか聞いたとき「は? わかるでしょ普通」。わからねーから聞いてんだよ。もう列に並ぶことないけど。あと体ぶつかったときちゃんと謝っているのにオフト後楽園のクソ爺みたいな顔になるのは余裕がないと疲れません?

コミケというものに浮かれているサマ

コミケ開催時、ガン研究所の患者さんは外を見ないらしい。自分勝手に楽しんでいるそのコミケ参加者、その根性が嫌なのである。人は悩んだり病気になったり事故で死んだり自殺したり、なんでそんな人達を尻目にヘラヘラしているのだろうか。不幸な人を見て見ぬふりして自分だけが良ければそれでいい。「いい人ぶって心底冷たい」。そんな日本社会に溶け込もうとするコミケ参加者が嫌だ。患者は「なに一人で好きなことしているんだ」。その社会の辛い出来事を知らないでイベントに費やしていた無関心な薄情さみたいなのを目の当たりにしたくなくて窓の外からその景色を見ないらしい。

文章は私の意訳だが、こんなことを人づてで聞いたことがある。あれは10年も前だろう。言わないでおこうとしたけど…。コミケの熱意が「自分さえ楽しければ周りはどうだっていい(徹夜組、サークルチケット転売、盗撮等)」という性格形成の土壌だとしたらそれでは間違いだ。自己の幸せを噛みしめ、尚且つ他者の気持ちを分かり得る。参加者がそうなれば、そうすればコミケはもっともっと素晴らしいイベントになるでしょう。

以上無理して10のコミケの嫌いなことを挙げました。こうやって水を差すようなことするのが私大好きなんです。開き直っているのではなくて、あまり好き好き言われると腹立つんです。好きだからといって否定的な意見を受け付けない理解力がない人間が好きだと言い続けるからです。そんな人が私は好きではありません。好きならば嫌いなことも言える。そしてそれを理解したうえで好きであり続ける。間違っているかな?…