寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

もう他人のことに首を突っ込むのはやめてもいいじゃない・・・。

あの禿鼠の会見で何がわかったのか、私にはどうでもいいことだった。せっかく2.2億のわいろをフランスがリークしたんだから東京五輪が消滅してくれることを切に願いながら、それは無理な話だろう。だだ、あの禿鼠が消えた年金問題に尽力していたのは鮮明に覚えている。その功績は消せやしないだろうに。この国最大のヤクザも恐れる創価学会ないし、フリーメイソンロスチャイルドがこんなくだらない、くだらない会見を潰してほしかった。いつまでこんな問題が起きるのか、国民は考えたりしないのか? 田母神に続けと三歩歩けば忘れるようないつものアレな問題に、三歩歩いて忘れていた国民が騒ぎだす。だから何で政治資金の私的流用がいつもいつも起こるのか何で国民は考えたりしないのか。怒って終わり。また不正が発覚したら怒って終わり。これだから不正会計疑惑等がなくならなんだよ。つまり国民が舐められてるんだよ。お前らがやることはネットで叩くことでなくて自分の人生台無しにしてまで、そいつの、政治家の首を切り落とすことなんだよ。それができないから叩くだけなんだろうけど、それじゃ何の解決にもならないよ。だから、私はいつもこの手の話題は無視して漢詩を詠んでる。

何故人は宝くじを買うのか? それは当たるかもしれないと思うから買うのだ。何故政治家は不正会計をするのか? それはバレはしないだろうと思うから不正会計をするのだ。

今日において犯罪がなくならない直接ないし間接的な原因がコレ。これをある有名な刑法学者が「宝くじ理論」と造語にした。人間とは元から罪な生き物で、クソ真面目にはいられない人間がごくわずかにいる。それが今回の禿鼠だっただけにすぎない。それと聞いた話だが、政治の世界とは人格を大いに歪めるという。「あの人は変わられた」と言われてなんぼの世界である。こんな世界に誰が興味を持つのか。18歳からの参政権なんて子供を汚く汚す国策として私は断固反対の立場である。

さて、的を得ないこんな奴が金スマを見たのだが、私はあのキノコ頭がホント羨ましかった。私がベッキーに惹かれるのはあの目である。あんな目をした女性日本でただ二人目に見たことない。ベッキーだけだ、あんな目をしているのは。あの目が好きだ。それにイギリスの血があるのに、日本人特有の幼児体系の骨格もなんとも愛らしい。俺はロリコンだからああいう30にもなった女のくせして、ガキみたいな体がこれまた好きだ。私もベッキーのような恋愛をしてみたいし、キノコ頭のようにもなりたかった・・・。あれだけ人から愛されるのに私はどれほど人から愛されていただろうか。それだけの魅力があるなら何かを失っても死にそうになってもいいだろうに。

不倫ぐらいで騒ぎ過ぎて、私には異様に見えた。よくわからなかった。ほっとけばそのうちなくなると思ったのに、粘着質だったことが今でもわからない。倫理観? 社会への裏切り? 他者を傷つけておいて反省の余地がないサイコパス気質? いや、正論なんて存在しないだろうに・・・。この世は多種多様に満ち溢れているからだ。前回のブログでも言った気がするが、他人のくせに善悪を語るのであればこれほど利己的なものはないと。善悪とは自身の都合のよい生き方を述べているに過ぎず、他者を省みないからだ。ベッキーがなんで不倫して嘘っぱちついたその心の内を批判してもいいが、その心内に至る経緯を知れば、私なら他人のことなどどうでもいいと思う反面、不倫してまで愛されるあのキノコ頭が本当にうらやましくて嫉妬した。残念ながらあの二人は本物の恋であり、実に情熱的である。恋とは障害があるほうが燃える。ベッキーが嘘つきたくなるのもわかる気がするし、恋は盲目。キノコ頭の妻のことなど盲目ゆえにベッキーには眼中にないか、あったとしても盲目ゆえに恋敵にする。倫理観さえも吹き飛ぶからこそ、情熱的な恋だといえる。だいたい不倫に利用されるだろう風俗がある日本に対して姦通罪みたいな戦前の古いしきたりみたいなのを正義とした不倫への嫌悪、その二律背反は何なんだと思う。スポンサーに迷惑かけたとか、妻に迷惑をかけたとかは他者が口出すことではなくその本人が口を出せばいいのに、金目当てに大衆を煽動した週刊文春はサカキバラを顔だししたくらいに、あの頃と何ら変わらず、金のためなら倫理を捨てる最低なアレである。倫理を捨てて不倫に対して倫理を説く。この道理は一体何なんだと・・・。思うに、バカな鬼女、ねらーより、このセンテンスプリンなんたらが今回の一番の諸悪の根源である。ゆえ騒乱罪実刑を食らわせてやりたい。ジャーナリズムとは他人の私生活を暴くものではなく、社会的に重大かつ議論されるべきであろう事柄を探求するものなのだが、バカだからそれができなかったのは幾分同情するも、その情けなさは腹が立つ。人には人権がある。それが不倫くらいで無視されてしまうのは私刑国家の習わしである。社会に不満があるからと言ってベッキースケープゴートにして叩いて憂さを晴らすのは人間が汚いから仕方がない。それに輪をかけて汚いのがそれで金儲けをする理屈には、私の筋というものに対して許しがたい。すこし、黒板で使う三角定規で頭をぶん殴ってやりたいが、論理より感情で言い放つのはあまり見た目が悪いのでやめようかと。

それにしても今日に至るこのベッキー叩き。ルサンチマンを抱くのはかまわないが、本当に国民がベッキーを嫌っているのか?

金スマベッキーが「恋愛はしているけどつき合いはしていない」と言ったかと思えば「好きではない」と言ってみたり、この言動を聞くにあたり、私は思う。いまだに未練があるなと。残念ながらベッキーの言霊にはまやかしが色濃く残る。いうなれば茶番。よってこの謝罪みたいなのは「嘘」であると私は断言する。何の根拠か知らないが、私も臨床心理士の資格みたいなのがある。その根拠だけだから、私の言い分も極めて嘘くさいのだが。けれども私個人に思うことは、あれほどの大恋愛。結婚しなければ収まりがつかないのではないだろうか? いずれまたよからぬことが起きそうで心配だ。それにあまりにもテレビに出るのが早すぎるし、ベッキーは体形も心もガキだから、あの中居に対する回答は謹慎食らってその場で謝る中学生のソレと精神構造が変わらない。私は今後何が起ころうとも許すけど、その言動とこれからの行動の不一致が本当に心配である。キノコ頭からこんどは別の妻子持ちの男に鞍替えするくらいなら、とっととキノコ頭と結婚しろと強く言いたいし、それを切に願う。それでもあの涙が本当ならば、私はもうこんな他人の戯言に一切口を出さないと誓うし、何なら・・・。今回口を出したかったのは、週刊文春をクソ雑誌と罵りたかったからだ。

それにしても中居は優しい。金スマ中居を見て思った。人を批判しなければしないほど人は優しくなれる。才能なんてなくてもよい。優しさがあればそれで充分。

私はあのスマップのリーダーがますます好きになった。