寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

もう、周りと合わせるのはやめようよ。精神病の私からの主張

自分の価値観が本当に正しいのか。正しいと証明することなんて私には難しすぎる。だから、様々な問題*1が起こるたびに、的確に物事を諭することは、並大抵の苦労ではないと思ってしまう。それなのに、よく解ったように相手を批判できるんだなと。そういう方は、凄まじい教養をお持ちなのだろうか? だとしたら、そう簡単に相手を批判できてしまうほどの見識の高さが本当にうらやましい。なぜ、そんなに偉そうに人のことを批判できるのかという疑問を除いては・・・。



精神病で通院してる人にしかわからないこと。

受付窓口や診断室の壁にさすまたが置いてある。

精神科以外の病棟にさすまたなんて普通は、ない。精神病棟だけソレがある。なぜかという説明は、流石にそこは想像してもらいたい。しかしながら、自分で言っときながら偏見を助長する文言だと。所詮精神病の社会的イメージはネガティブすぎで昔から進歩がない。それは、大体が人足らんとする人間風情が精神病のことを何も知らないから。知らないから無知さゆえに差別的意識を持つ。私は精神病とは「人の個性の一部に過ぎない」と明言してやまない。だから、精神病なんていうのは容易にジョークとして笑い飛ばせるくらいの軽い気持ちとして周囲は受け止めてほしいものなのだが。残念ながら、日本社会というものは昔も今も、異質排除の法則から断ち切れないままである。相手が自分と違うとなると、「違う」と結論を出して相手に突きつける。

いわゆる、同調社会なのである。人と違うものは集団の敵としてあらゆる力が働いて外に追いやられる。間庭充幸氏の著書「犯罪と日本社会の病理」のなかで、日本の犯罪とは、同調社会からうまく融合、溶け込めなかった人間が自分の居場所を失ったがために、その、自分を受け入れてくれなかった社会に対してルサンチマンを抱き、最後には自殺するか爆発する、と記している。そもそも、社会がそういった人々を受け入れてこなかったから起こり得るもので、それこそが社会の病理であるという氏の考え方は「社会が悪い」という外罰的な態度として若干懐疑的だが心情的には物凄く伝わる。

私は日本人でありながら、日本が嫌いな理由の一つに、多種多様な価値観を社会が許容しない、その排斥的な心の狭量さである。北朝鮮、中国という社会主義国ならいざ知らず、仮にも日本は自由主義社会を謳っている。にも関わらず、体制へ従順することを強制してる中世史観の遅れた精神構造を思うとすれば、愚痴も言いたくなる。しかし、無情にもこれこそが長い歴史を築いてきた日本国という特色であり、おいそれと治るものではない。同調を嫌って独裁を行った人物に平清盛足利義満織田信長井伊直弼大久保利通を挙げる。それらの人物はろくな死に方をしていない。織田、井伊、大久保は殺され、清盛は高熱でのたうち回り、源氏にその遺産を潰され、足利は暗殺されたという説も。皆、同調圧力から反発したゆえの報いである。日本人の感性として、「和をもって貴しとなすべき」は絶対である。それの理想を歴史が悪用改竄していったのが同調社会という言葉であり、それを正すこともしてこない、曲学阿世と化した権力支持者が日本固有の習わしを作り上げた。これはもうどうしようもない。同調社会というものをいくら批判しても長い歴史の中、育まれた「文化」には死んでも打ち負かせない。せめて、それに逆らうことが関の山である。

これからも精神病といえば、周囲から心の底で嫌悪されていくんだなと。異質なものへ排斥、同調社会であるがゆえに・・・。私はそれがとても悔しい。悲しい。虚しい。キチガイと言われても我慢する。事実、精神病はキチガイという側面も否定はできないから。

精神病が異質だと言うならば、いじめられて逃げることも社会的には否定される。夏休みが終わり学校が始まることに対して辛く思える子供たちに、図書館は「こっちにおいで」と優しくしてくれた*2。それなのに、「義務教育である学校へ行かずに図書館へ逃げ込むなんて甘えている。そんなことで社会に出てやっていけるか。我慢して乗り越えて見せろ」。いじめられて逃げることは周囲の社会秩序のソレから逸脱した行為であることは確かだ。だからそれがなんだろうか。「図書館に逃げ込むな」は子供の未来を案じているがゆえの一見正論と思えるものは、所詮同調社会という社会の規則を破ることへの嫌悪感から語るのであって、真に子供の心を理解しようとしていない。それに、そんなのは苦労を乗り越えた大人だから言えるだけのことであって、並の子供はそれができないことだってあるし、大人と子供とでは感性が大きく違ってくる。子供の目線まで背を下にして、もう一度、子供の目を見て語ってほしい。その時に決してやってはいけないことがある。もし、そのとき子供が勇気を振り絞って悩みを口にして、その返答が「甘えるな」では子供を死に向かわれることになるだろう。自殺幇助という立派な人殺し犯の出来上がりだ。

私は精神病だけど、感受性は人一倍強いと自負する。その感受性を頼りに、子供の気持ちは大体は分かりたいと真に心がけている。ことに、いじめに対しては損所そこらの人間の浅はかな考えなんて瞬時に見抜いて、相手の面目を失うくらいに苛烈な言葉を浴びせてやるだろう。私はその子を学校に行かせないで、社会的に地位を失い、将来はニート、引きこもりになって子の人生を台無しにするかもしれないことを確かに文章からすすめている。その子供をダメ人間にした責任はどうとるんだ。我慢して学校に通わせたら、悩みを克服して、「あの時逃げなくてよかった」ということだってあり得るだろうに、最初から「逃げろ」では軽率ではないか。

それでも自殺することよりはマシ

自殺しなければ大人になっても社会復帰できなくてもよい。なぜなら、子どもの自殺こそが最大の悲劇だからだ。大人のニートなんて悲劇でもなんでもない。将来犯罪者になっても構わない。だから、せめて子供のうちだけはとにかく生きることに執念を燃やしてほしい。新聞に子供が自殺したと書かれていたら、おもいっきし新聞を破り怒号を発する。テレビで放送されたらリモコンをおもいっきりテレビに投げつけて画面を壊すのは俺のことだ。

おそらく一人で解決する脳みそを持ち合わせず、周囲の同調により、なんとなく今まで生きながらえてきた居丈高に人を批判できてしまう馬鹿にでもよく伝わるように簡素に締めくくろう。いい加減、学校行けという同調社会を何とかしろ。行きたくないのに行けとは何て日本人とは薄情なんだろう。そんな馬鹿殺されてしまえ。
私の未熟だろうという価値観からなる軽忽。是認してもらいたいなんて一つも思っていないから。


犯罪と日本社会の病理―破壊と生の深層社会学

犯罪と日本社会の病理―破壊と生の深層社会学

*1:最近では五輪エンブレム盗用問題

*2:8月26日、鎌倉市図書館が学校がつらい子に対して図書館においでとTwitterでのつぶやきが話題となる