寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

なんで今頃分裂すんだよ。山口組分裂騒動

今の世の中、こんな事よりももっと語ることがあるだろ。よりによってなんでこんなことに口を出したくなるのか私もよくわからない。どうでもいい政治や、けだるくなる事件について語るよりは、こういうことを少しでも語る(ちょっとでも喋れる、ネタとして話せる)ほうが、珍しくて案外面白かったりするのでは?

私が厨房の頃、ヤクザはかっこいいと思っていた。まぁ、アレだ。俗に言う厨二病。糞つまらない道徳よりも「義理と人情」「筋を通す」といういうヤクザというか侠客としての部分を評価していた。「約束していたことは絶対に守り、なそうとした事は命にかけても人の窮地を救い、千里の涯にいても信義を守る」。それが厨房の私がヤクザに抱いていた尊敬のまなざしだった。この世の正義に背を向けながらも己を貫く・・・。残念ながらそんなヤクザは今の日本に一人でもいないのではないだろうか。幻想も甚だしい。

しかし、メンツを潰されることを嫌うヤクザには確かに私は共感する。それくらいだろうか、ヤクザの好印象としては。別に犯罪者だろうという側面はどうでもいい。表もあれば裏もある。だから、こんな裏のヤクザが存在するだろう。裏をなくせば表も消える。だからだ、ヤクザが日本から消え去らないのは仕方がないことだし、じゃなかったら警察が全員ヤクザしょっぴくだろが、それがいまなおできない。しかしながら、裏が大手を振ってのさばる社会は黙認できるものではなく、裏とは影でありその活動が表に出て表を駆逐するような状況は断じて防がねばならない。

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山口組六代目に今の組長が襲名したことに当時の私は疑問を持った。なぜか? その組長は名古屋の出自であるにもかかわらず、山口組のトップになったからだ。いや、なぜ名古屋のヤクザが神戸のヤクザのトップになったのかといったほうが伝わるだろうか。山口組といったら神戸。神戸から旗揚げした山口組は世界最大のアレ(犯罪組織)になったのだから。神戸はいわば山口組にとって約束の地である。だからだ、山口組の本家本元を継ぐならば、お膝元の神戸か、最低でも大阪あたりの関西にある派閥団体でないと筋が立たないのではないかと。地縁血縁というか、その土地に深い思い入れがある山口組が、名古屋(弘道会)なんぞの、いうなれば外様の土地から来たものを神戸の山口組の組長にすることに、当時の私は「山口組も変わりつつあるのか・・・」としながらも、五代目の突然の引退に不自然さを覚え、やはり腑に落ちなかった(なんでそんなことに疑問を持つのか今でもアホくさいが)。それに、弘道会は昔ながらの山口組とはちょっと雰囲気違うところがあるんだよね。山口組ってヤクザとしての気性はそんなに荒くないんだよね。最大組織という余裕というか、カタギにも警察にもある程度は謙虚で分別ついていたと感じている。それとは反対に弘道会はけっこう武闘派というか血気盛んなんだよね。だからそんなところにいた組長が、はたして山口組に馴染めるのか、あらぬ軋轢を生むのではないかと。水と油と言うほどではないけど。やっぱ神戸という地縁がらみを鑑みるならば、同じく関西地域である大阪の宅見組(いや、わかんないけど)あたりから六代目出したほうがよかったんじゃないかと。

だけど司忍が山口組六代目に襲名したとき、別に誰も不満言ってないんだよね。山一抗争みたいに襲名に不服ならすぐにでも離反とかしてもいいのに、結局は六代目を認めたんだよね、全国の山口組の奴らは。それなのに、六代目襲名から久しくなるのに、なんで今この時期に山建組は文句言いだしたんだろうか。謎だ。

だけどこれは「初めて衰えんと欲する」。家の乱れが始まった今だからこそ、山口組は弱体化していくと私の当てにならない先見から感じることである。司忍がブタ箱に入ってたときは影響力なかったけど、出所してからいろいろやりだしたんだろ、六代目が。それに「独裁的だ」とかで前組長輩出の最大派閥山建組が反発したんだろう。単純なんだよな、ヤクザの闘争の原因は。それとやっぱ、なんていうか、名古屋に頭おさえられてる今の山口組に不満なんだろうな。組長も若頭も弘道会出身じゃ神戸人のプライドが傷ついたんじゃないのかな。それとも、山口組弱体化を狙うアメリカの陰謀だったりするのか。アメリカは日本がヤクザ潰せないなら俺たちが潰してやるとかで議会でも話題になったりしたことがあったし・・・。なぜアメリカがヤクザを嫌うかというのは・・・あーゲフンゲフン・・・うん・・・。

ちなみにどうでもいいことだけど、宅見勝はかっこよかったよな。脳筋というヤクザの概念を打ち破ったインテリヤクザとして画期的な人物だったと。まさに山口組の懐刀。懐刀という慣用句がこれほどに合う人物はそうそういないだろう。して、その後の顛末はテレビでよく覚えている。高校生のときに神戸に旅行行った。銃撃現場の舞台であったホテルに泊まったけど、あの事件のあったラウンジに佇んだときに感慨深げだったよ。

そうです、厨二病は治らず、高二病継続中でしたのであった。