寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

相も変わらず夏のコミケに参加した。また今年もだよ

コミケとは捉え方によっては非日常的である。今更説明することもないだろうが、やはりコミケの壮絶さを語ることは事欠かない。

人が集まるということの意味をいかんなく発揮し、それを具現化した究極的結論がコミケというものだ。

だからそれは非日常的なのである。あんなに人が集まるもん、日常の新宿駅の人混みの比ではない。

私は日常生活から脱却したかった。だから非日常的なコミケに向かったわけだ。

今年の夏は特にひどい。もう、暑いというだけでは済まされない。自然現象に愚痴を言うのは何の意味もなさないことなので私は嫌いだが、それなのに天を呪った。コミケとはそんな容赦ない夏の暑さのさなか開催される。果たしてそんな暑さを克服するくらいにコミケとは魅力的なものなのか。

正直、コミケのモノに対する魅力なんてものはない。今までコミケに参加してたのは東方が好きだったから。その東方もついに私の中で興味を失いつつある。今のアニメも私の感性を紐解いてみても何も思わない。だからコミケなんて興味を持たないはずである。それなのに馬鹿の一つ覚えみたいに今年も参加とはこれいかに。繰り返して言うが、だからそれほどコミケという非日常的なイベントというものだけを目的にしたに過ぎない。簡単に言えば祭りを見に行く。別に神輿を担がなくてもいい。ただ遠巻きで見ているだけで祭りは楽しいだろう。それがどんなに暑いさなかでも・・・。

コミケの一日目である14日に参加した。目当てのジャンルは東方。さっき興味なくしたとほざいていたが、興味がないだけで好きでなくなったわけではない。コミケで東方の配置日は大体二日目なのだが、今回は一日目。しかも艦これや刀剣と一緒にされちゃたまったもんじゃない。コミケに参加するといって列が嫌いだから並ばないですむ正午くらいに現地に到着するようにいつもの時間設定。朝起きたら普段食わない牛カルビ弁当みたいなのをコンビニで買って食った。じゃないと体力を失い倒れてしまうから。栄養補助食品を携えてさあ出かけようと。しかし、今回の参加で手にした薬がある。胃薬。初めてだよ。今までのコミケで胃薬なんて持っていたことなんてなかった。これは私がいかに歳をとったかがよくわかる事案。太〇胃散を口にしてそのあまりの苦さにむせながら駅のホームに立つ私の心境は「また、あのイカれたものに参加するのかよ」としながらも、そんなスキモノに参加する行動と心境が一致しない自分自身には自虐と諧謔に浸るのはいつも同じで進歩がない。こんなことでは今後もコミケに参加していくだろう。あーあー。30になったらコミケを卒業するといっていたのにその言葉に嘘つき呼ばわりだ。いったい私はいつになったコミケを卒業できるんだろう。

ゆりかもめ有明駅で降りた。そこから癌研のある通りを歩き、東ホール手前の十字路から横断歩道を渡り、入場解除されたであろう東ホール入口に。中の人は相変わらずだ。もう見慣れた風景なので別に驚くことはないが、初めての方になると、異常光景に見えること相違ない。サークルチェックなんて全くしてない。別に何が欲しいでもない。ただ一つ言うならばあるサークルさんの新刊が欲しかった。だが、この時間では売り切れた。なければ、なくてそれでよい。本当に欲しければ、あの列に並んでいなければならないのだから、それを拒否した結果についてはたかが知れている。所詮朝の列に並ぶほどに欲しいものではなかったと考えるのならば、コミケに並ぶ方の情熱に対して私の軽薄な心構えは心証が悪く映るだろう。とりあえず壁サークルに並んでみた。私もよくわからないが、せっかく来たのだから何か買っていこうとしただけだ。昔の「欲しい」という熱意という深き水も枯れてしまったんだなとしみじみ思う。なにせ、全く知らないサークルさんの列に並んで何が欲しいわけでもなく、ただ単になんとなく新刊セットを買ったのだから。財布に5万くらい。そのうち一万円札が4枚、千円札が8枚、うち100円玉14、5枚。この財布の中身を察してわかる通りお金を崩してもこなかった(本来コミケでは一万円札で500円ぐらいの新刊を買おうとするのはタブー中のタブー。しっかりと頒布価格とおなじお金を出さなければいけないので、つまりサークルさんからお釣りをもらわないように努めることを掲げる。事前にお金を崩して持ち合わせることはコミケでは常識である)。

そうは言っても、そのなかで今回のコミケで買った品で一番気に入ったものです↓

知ってるサークルさんに挨拶したりした。東方の考察を語り合った。東方はやはり今後もつづく。消えることはない。それは私が断言してもいい。ただ、東方は私なんかよりもずっと若い世代に支持されて、それが子供たち、その後の子供たちにその魅力が引き継がれて、永久に東方があり続けてほしい。それに対して私みたいなジジイが東方に執着するとジェネレーションギャップを起こすだろう老害になる。だから東方から興味がなくなったとしても悲しさはないし、むしろそれが都合がいい。東方とは若い人たちのものである。これからの東方の戦略としては感性を若く保ち続ければそれに越したことはない。それと、いい加減東方における紅魔館組が幅を利かせる懐古的趣向の隔たりはなくしてもいいかもしれない。
※詳しく東方の考察をここで述べても壁に向かって喋っている虚しさが辛いから、やめる。

コミケの、その非日常的な部分が魅力に思えるのがコミケ。その羨望のまなざしから今回のコミケに参加した。日常は辛い。だから非日常的なものに逃げたくなる。その自分の救済としてコミケに参加した。コミケが好きではなく、だ。案の定コミケは非日常的であったし、参加してよかった。別に何が欲しいわけでもなく、参加するだけでいいのだからそれはおかしい話であるにしても自分にとっては願ったことだ。

暑さなんかコミケを過ぎれば涼しくなる。8月17日は暑さがなくなった。あの暑さもコミケの風流物と捉えれば、それも趣深い。コミケの終わりは夏の終わり。移り変わる季節の節目コミケというのが存在する。残暑という一方で活動的な、また一方では涼んだ秋風という物静かな秋の訪れとともに、夏にお別れを告げるのがコミケであると感じる。つまりコミケを通じて季節の趣を真に感じるからこそ、四季というものを愛するからこそ、年甲斐もなくコミケに私は参加したがるのだろう。

コミケ帰りの有明に沈む太陽を眺めて「夏よさよなら、秋はもうすぐ」といったところだろう。

最後にコミケの時期は体重が47キロ台だった。168cmでこれでは・・・ガリなのか。こんなんであの過酷なコミケによく参加できたよな。ちなみに私の腕を映した画像があります。素で気持ち悪い(笑)ので回避推奨です。それでも見たい人はどうぞ・・・。



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