寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

イルカ漁に対する感情論を神アニメで考察

メリケンもといアメリカのキャロライン・ケネディ駐日大使が日本のイルカ漁に対し批判的に放った。どうでもいいが、「キャロライン」っていう名前の響きがいいよね、キャロラインリグ(私はブラックバス釣りをしていた)。イルカ漁についてキャロライン駐日大使が批判するのは、イルカとはただの魚と違って知能が高く、人道的に家畜という範疇に入れるのは精神衛生上不快でならないからだろう。これに対してイルカ漁で知られる和歌山県の知事仁坂氏は「各国の食文化ないしイルカ漁は古来日本人が培ってきた伝統でもある。他国の伝統にケチをつけることはない。第一、家畜の命を頂いているくせに残酷という言われはないのではないのか?」と一応自分なりに要約してみた。
この論争みたいなのは仁坂知事のほうが正しい、というかそうだ。さすが死刑廃止という欧米的人道主義のような思考を持つキャロライン氏の意見も人情的で好きだが、論理性に欠けるというか感情論に過ぎない。この場合の感情論というのは小学生の屁理屈だ。国には個々違った文化が存在する。中には古代マヤのような人身供養のような残酷さもその国の文化というならば他国は許容するべきである。そうしないのは、伝統の破壊者と私は認識してしまう。そもそも人道とは実に個人的であり普遍性を欠落している個所も多々ある。ならばお互いに立脚点が違うところから認め合う。例としていえば、靖国の問題だろう。日本の墓参りみたいなものに中韓は戦争被害者の神経を逆なでしているというなら、なぜそれでも日本が靖国参拝なのかまず知ることであり、外交カードとしない思慮の深さを求める限りである。それが意識を媒介にしたインターナショナルな感覚だろう。さて、世界中の人間は自分と同じだという「地球市民(笑)」というお花畑なのが駐日大使。世界において他者の存在を許容しない、個人の観念を日本に押し付けようとしたら大間違いである。

他者の存在を認めず、自分が善人と信じ込む他者感の喪失を私は断固批判したくなる。偉そうであるが。

これからこのイルカ漁について深く考えさせてくれるアニメを紹介したい。実はこれが今回の目的で、出だしの御託は前座に過ぎない。

Loading site please wait...

キャロライン氏の母国アニメだ。もしこのアニメにマジになるようなら、イルカは頭いいから殺すのは残酷というような硬直した思考考察しかできていない証拠となるのではないだろうか? 物事を短絡的に捉えない思考の深さを持ち続けたいものである・・・。