寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

何故殺す? 市川の事件

人を殺したとかなんだとか、ホントそんなニュース聞かされるこっちの身にもなれよ。できる限りその手の出来事なぞスルーするのだが、いい加減こういった殺人は何とかしてほしい。

恋は盲目という言葉では片づけられないストーカー事件をまた知る羽目になった。三鷹の次は市川。どちらも女が男に刃物で刺された。私は個人的にフェミニスト気取りなので、男が女に暴力的な様は大変腹が立つ。それが殺人となれば怒りから悲しみになる。

昨日市川で若い女性が刺されたと日テレで知ったとき、「またか・・・」と傷懐した。何故女性が刺されたかなどとは、簡単に想像がついた。理由なき通り魔殺人にしては、なぜ若い女性なのか。通り魔は女でも男でも老人でも誰でもいいと刺してくる。なのに、また若い女性が刺された。女々しい。たかが振られたぐらいで殺してしまおうとするその身勝手なストーカー男に反吐が出そうな感情になりながら、しばしテレビの報道を眺めていた。

それにしてもなんなんだろうか。人を殺してなんになる。いや、それ以上にまたしても、事前にストーカー殺害を防げなかった社会の不条理に嘆くほかない。いい加減その他人ズラするの止めろ、クソマッポ。市民の生活環境に国家権力の介入はストーカー被害なら面倒を押し殺して徹底的にストーカーを排除しなければならない。ストーカー野郎に精神的治療を施すくらいをクソマッポは手がけなければ、またいつか殺されるだろう。私は警察もとい、クソマッポが大嫌いだ。「面倒だから」、「本人同士で解決してください」とあしらうくせに、スピード違反で私から1万2千円をふんだくることばかりに躍起になる。

テレビの報道も馬鹿の一つ覚えに犯人逮捕とのたまわる。なんで殺したかという理由よりも、逮捕という事実だけがセンセーショナルなのである。殺した同機はあとでいい。そんなんだから日本のマスコミは尊敬されないのだ。

境界性パーソナリティ障害
この言葉は、もともと精神病と神経症との境界と考えられていた障害であり、相手から見捨てられることをおそれ、それを避けるためになりふり構わない努力をすることを特徴としている。対人関係は不安定で、相手を理想化したりこきおろしたり、両極端に激しく変わることになる。
この障害を持つ人は精神的な不安定さから自殺のそぶりや脅しを繰り返したり、激しい怒りの発作が生じたりする。こうした人々は相手の身になって考えることができず、強引、一方的で、自分の欲望や愛情のままに行動することになる。
このような性格にいたるには両親からのひどく甘やかされて育てられる。さらに学生の頃のいじめや両親の不和によるきわめて不安定な家庭生活などにより深い心の傷を負い、人格が極端にもろく弱くなっていたりすると、無意識のうちに心理障害として形成されるものである。
そのような人物が女性に好意を持つと、相手の愛情を独占しようと懸命になる。その行動は強引、一方的で、相手の迷惑や不快に対して全く気にすることがない。そして相手が自分の過大な期待に負担を感じて離れようとすると、見捨てられまいとして必至の努力を払い、またその企てが結局相手から拒絶されることになると、激しい怒りの発作が生ずることになるのである。

こんなのは口先だけのことで本当のことは本人でないと分からない。だが、「なぜ人を殺すのか」という疑問を持たねば事件もワイドショーのネタになりさがり、その事件からなにも学ぶことなく、また同じ事件を繰り返すだろう。
特にクソマッポ。てめぇは偉そうにしてるくせに刑法なんて学んでねえで、少しは犯罪心理学に精通していたらどうなんだ?
なお、この件の犯人逮捕の手ほどきは見事である。一日で事件解決とは恐れ入る。警察みごとだ。