寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

日本馬の凱旋門賞勝利は白人至上主義に対する勝利

幾度となく日本馬は競馬世界最高峰の凱旋門賞に挑戦してきた。最初は夢物語であって、いつの日かと青写真を描いていたが、それも今ではすぐ手の届くところまで来てしまった。これもひとえに過去の偉大なるホースマン達が道を切り開き、後胤にその明かりというものを示してくれたからであろう。その功績は、いまだにはたしていない凱旋門を日本馬で勝つことで報われるもの。偉大なる先人の後を継ぎその志をも継がんとする今回の日本馬による凱旋門賞挑戦にはそういう気骨というものに私はエールを贈り、実にこみ上げてくるものがある。それと同時にある「種」の感情も現れてくる。
そもそも、なぜ日本の凱旋門賞勝利を応援したがるのか?
この問いかけに明確に答えられる人は潜在的意識としてナショナリズムを秘めている人であると私は勝手ながら断言してしまう。そういう私は競馬には興味がなくなり、どうでもいいものだと最近までは感じていた。だから、オルフェやキズナが前哨戦を勝っても大して嬉しくもなかった。それが今ではこんな放置ブログに凱旋門賞のことをグチグチのたまわっているのだから、結局はお前も日本馬が世界最高峰のレースを勝つことはまさに日本の誉れであり、我々日本人を勇気づける最高のシチュエーションについつい期待を躍らせるのだと。
そうじゃないんだな。私は単に、あの白人だけのレースとして有色人種みたいな「動物」の範疇に入る奴らに白人の築く世界最高峰のレースを汚されたくないという冷酷なレイシストぶりを打破するものとして日本馬の凱旋門賞勝利を応援する。
何のことかというと、早い話ヨーロッパ人は日本人に凱旋門賞を勝ってほしくない。ほしくないどころか排斥の対象であり。何故かというと、身もふたもないことを言ってしまえば人種差別である。そう、白人より劣る黄色人種に白人のプライドでもある凱旋門賞をジャップなんかに勝たれるのは耐えがたい屈辱になる。
・・・そんな風に思われたりすればおのずとそれに反骨になる理由も分かるだろ。これはたとえとしてはどうかだが、もし凱旋門賞を日本馬で制したとあれば、有色人種をサル扱いで東アジア一帯を植民地にしていた欧米列強に白人どもに目のもの見せた大東亜戦争のもとの旧日本軍に喝采を送ることと同等の心情となる。スポーツにあらぬ政治的信条を持ち込むのはどうと思われるが、凱旋門賞で日本馬を差別的に排除したがる以上、この気持ちは抑えられない。
ん? ちょっと待て。そんなのお前の過剰な思い込みだろ。そうかもしれない。何せ私は物事を過剰かつ屈折して捉える偏屈さがあるので、私の狂言であってほしいとは・・・。でもいるんだよな。外国人だからってホームラン55本の記録を抜かせたくないという狭量な思想が日本にもあったんだから、欧州にないとも言い切れない。私は「そういう」のが死ぬほど嫌いだから。エルコンドルパサーの時は蛯名騎手をもって「日本なんかに勝たせてやるものか」という空気は絶対にあったと言い切った。マンハッタンカフェの時はどうでもいい馬を使ってレース中に潰しにかかった。ディープインパクトの時はフランスの新聞は差別的な出っ歯な日本人を紙面に描かせて、「サルがバカ騒ぎしている」と風刺した(実際バカ騒ぎだったが…)。メイショウサムソンの時はその惨敗に「我々は上物のトロを望んだ。腐ったネタなどいらない(つまりメイショウサムソンのレースぶりを腐った寿司ネタと揶揄した)」と新聞は蔑んだ(裏を返せば日本馬なんてクソだから白人様のレースに手を突っ込むなという意図がある。これは実際私が現地の新聞を友人から見せてもらい、文章を日本語訳して知った)。ナカヤマフェスタの時は現地の印象はよく知らないが、大して甘く見ていたと思う分、白人は肝を冷やしただろう。オルフェーヴルの時は、あれは騎手のスミヨンがわざと負けたと思うような内容だ。スミヨンは白人である。日本人の勝利に加担する白人の裏切者としてではなく、また彼もレイシスト故にオルフェを変な乗り方して白人のプライドを守ったと私は見ている(あのゴール直線200からの追い方は明らかに異常)。
黄色人種に勝たれたくない。それだって立派なナショナリズムだ。その人種人種の異なる考えがあってもいい。でも、そうやって世界史では暴れまわった白人的思考が今でも抜けないのであれば、私はそんなもんに殴りたくなる衝動に駆られる。
だから凱旋門賞で日本馬の勝利を願う。