寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

ああ、わがふるさとを踏みしめ昔話

八月某日は墨田区から(今更カミングアウト)茨城に帰った。そうあの、東京大都市圏にありながらその野暮ったさから(失礼)いまだにカッペ色が色濃く出ている我がふるさと茨城へ。そうやって故郷をバカにしつつも、いい加減イバラキをイバラギというのが今もなお違和感が残る。どんなに最後濁音読んでも嘘も百回言えば真実にはならないのに。訛り訛り注目するくせにそうやって言ってる方も訛ってペよ〜(文末の尾尻を上げるように発音する)。

昔話その壱

緑の電車と言えば東京だと山手線を思い浮かべる。だが私が高校の頃までは緑の電車と言えば常磐線だった。記憶に深い緑色。よくこれを使って都心の大学まで通い詰めたものだ。「詰めた」というほどでもないが、ただ行ってくるだけ。むろん自由気ままに大学なんて行かないで上野の博物館を通ったりもした。学割で若干だが安く入れることに対して大学生の身分に感謝していた。渋谷をフィールドワークしてはチャラ男の自由さに憧れて、海が見たくなったとなれば、コミケでもイベントでもないのに、ただ海を見たくてゆりかもめの運賃を新橋から豊洲まで買って乗ってた。レインボーブリッジあたりからの景色は空と海との青のコントラストが艶やかすぎるくらいに美しくて心を癒していた。大学の帰りに秋葉原によって来る。当時はローゼンメイデンのDVDを今はなきヤマギワソフトで食い入ってみていた。映像の世紀のDVDはあそこしか置いてあるのを見たことない。高い買い物だったが今思えば何処にも見かけないDVDを買えて買えてよかった。大学を午後はサボって出ていけば水道橋に集まるオッサンどもに混じって地方競馬の馬券をかっ食らっていた。あれだ、あそこで私の予想は鍛えられた。勉強が嫌いなのに大学に行ったのはニートを誤魔化せたから。それに行きたくない大学となればなおさらそれを肯定する。

取手駅から常総線にのる。取手駅にはよくそれとわかる取手競輪でデキあがっているおっさんがげらげらしていた。よく恥ずかしくないなと通学中に思ったものだが、私も今までウインズ浅草で仰向けになって寝転がっていたところを緑のJRA職員に叩き起こされたのだから人のこと言える義理ではない。ちなみに取手駅蕎麦屋はうまい。アレ、今は冷やしたぬきをお勧めしたい。常総線は相変わらず高い。なんでそんなに高いのかは、その事情は私は知ってるがあえて言わない。田舎の私鉄はどこも経営は苦しいんだ。常総線から守谷あたりから水海道だろうか。蔭の少ないぼうようとした広い田んぼ。さらにじりじりと照りつける真夏の日差し。なんでこんなに広いんだろう。日本は7割が山地だ。しかし私はその山は見ずしてだだっ広い平野をガキの頃から見てきたから山の国日本とは思えなかった。旅行で栃木とか福島とかそっちのほうを行って来ればその山が珍しげに見たものだ。取手の白山あたりに来たら久留米競輪のトリガミ車券を返還しようと思った。取手競輪場は今は改修工事。そりゃボロっちかったもんな。行ったら相も変わらずオッサン天国。20代なんて私だけで完全アウェー。変換は1000円程度。遊びで競輪買ったらとーぜん当たらない。競輪を予想する材料はわからん。ギアとか?

昔話その弐

高校の頃も勉強はしなかった。勉強してその人間の価値を出そうとはせず、それを軽蔑してたから。ホント勉強はクソみたいにしなかった。悪さをしては謹慎食らったりしたよ。私は外面はいいようにみられるけど意外や意外、DQNでした(笑)。偏差値はそこそこの高校で赤点になるとめんどいからそこそこ英語を50点取って満足しては家に帰ってコーエー三国志ゲームを猿のようにやっていた。高二病にはならなかったが、あの当時私はニヒルだったな。それを高ニ病というってか? 車の免許を取る。あの辺は免許がない人間を素で変質者、キチ○イみたく見るから達が悪い。私は単に車を運転してみたかったから免許を取る。教習所は教官がこんなにも奇人変人だとは思わなかった。今でも私が生きていくうえで出会った人物にアレなのはいたけど、当時の精神未熟な私にとってアイツらは思い出深い。なんだよいきなり「俺死にてーんだよ」と俺らにぶちかますのは(笑)。学科を受けた人たちそれにドン引き(ウソのようですが残念ながら実話です)。仮免で公道走っているときに興が乗ったのか知らんがいきなり演歌歌いだすなよ(笑)、ちゃんと運転見てくれよ・・・。あれが一番のトラップ魔法だったな(ウソのような実話です)。

実家に帰ったらかーちゃん暑さで今にも死ぬとは縁起でもない。ピアノがあったからつい弾きたくなる。これだけは東京に持っていけないから置いとくのは当然。今ではクラシックギターを弾いてる。私の周りは隣の家とはだいぶ離れているからピアノの音は夜まで弾いていた。だから親とかには「うるせークソ(クソって言うんだぞ、クソ(笑)」と怒られた。夜にピアノ弾くと蛇がやってくるって言ってたけど、それ口笛じゃね? それにしても東京よりもここは蒸し暑いですね。田舎だからひんやり避暑地だと思ったら大間違いだ。わたしうみのみえるばしょにうまれたかった。

昔話その参

ピアノは5歳の頃に。ピアノ弾けると格が上がるとかで親はやらせたのだろう。私はあの音が好きだからと親子の利害は一致していた。品がよく見られたのか(あくまで推測なんだけど)、それが同性から煙たがられいじめられた。だからガキの頃は男友達なんてあんまいなくて女の友達が当たり前だ。一緒に女と外出かけて親が作った弁当食いあってた。私がフェミニストの気があるのは幼いころの女とのふれ合いだろう。今でも男性より女性といた方が居心地はいいかと。決して下心とかではなく、男性の男らしさ荒々しさが苦手で例えれば飲み会とかでゲラゲラ騒いだりするの。体育会系が苦手でだから今でもオカマ扱いですよ。チャラ男DQNが女にもてるとすれば見かけによらず女性の感受性を察してあげることのできるつまり優しがあるから。体育会系にはそれがない。無理やり女を口説こうとして相手の意思を押し返してしまう強引さに気づかないといったデリカシーのなさが体育会系が嫌いな理由。

何故茨城に帰ってきたのかはボランティアで子供たちの前で演奏するら。「いいんだよ、好きでやっていることだから」。協力者からお礼を言われたら大体はそんなこと言ってる。この楽譜だとキーボードで弾くとなると音階が掴めない。東京で練習せず、ピアノのある実家で練習が必要になるのでは・・・。帰ってきた早々「ピアノ弾くな暑苦しい」とかーちゃん。何の為自分の息子にコレ習わせたんだよ。御礼に貰った品物の一部が可愛いですし、味のある贈り物ですね。お気遣いありがとうございます。



土浦農協? あの辺レンコン生産日本一なんだな

私は子供が「キャアキャア」してる姿が好きだから、自分が他者から評価されたいからやっているのではない。ちやほやされたいからじゃない。じゃあ何なのかは・・・こんな私でも必要とされているみたいだからやってるだけ。いらなくなったらいつでも捨ててもらってもよいのですよ。女が「好きな人ができたからあなたと別れる」といってきたら私は「いいよ・・・気にかけなくても」というような人間で、実際そうしたものだよ。常に受け身の立場だから、仕事でも私生活でも誰かの指示を仰がないと動けない指示待ち人間だから。そんな人間に相手に対して要求できる芯の強さ、私にはない。それに、一人でコソコソ活動するのを常としてあまり人が来てしまうとわずらわしくなり自ら退いてしまう社交性のなさ。それが私。こんな付き合いもいずれなくなってしまうのではと不安です。って? それはお前次第だろという突っ込みアリ。
このブログも日常の何気ないなにかを書き綴れば続けられるんだけど、それはブログで言うほどの事かとして、書かない。これじゃ何書こうかね・・・。東方? コミケ近いね。暑さで今度こそ倒れそう。そんなのヤダ―。
そうこうしているうちに、地元に帰りましたと言ったのと、自分というものを晒してみました。