寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

人の夢は人の夢にしておけ

はじめにことわっておきますが、私は野球に関してさほど興味はありません。日常の会話で必要とされる程度といっていいのか野球については深く語ることは無理です。それに巨人や原監督にいたってははっきり言って嫌いです。だから本来ならドラフトで巨人に入ることができなくなった菅野氏のことなんてどうでもいいと本来はそう感じるのだが・・・。以下私のきわめて個人的な意見であり、稚拙な言葉づかいも不快だと大いに感じてもらって構いません。どうか、発言のほどをお許しください。。。
ドラフト会議で巨人が逆指名した東海大の菅野投手はその逆指名が当然だといえるほど巨人を希望していたのは他の球団も知っていた。なぜなら、菅野投手から原監督は伯父にあたり、幼いころから原監督に憧れて巨人に入るという夢を抱いてたからだ。なるほど、どうせあいつは巨人に入るのだから、一位指名の枠を使うくらいなら他の有能な選手を見ておこう。なんとも残念なことだが。そういう空気にあえて逆らってみせたのが日本ハムだった。巨人単独で一位指名との大方の予想に反した日ハムの菅野一位指名はくじの結果日ハムに一位指名が移っていった。私もこのことに至っては「なんだ」としか思わなかった。しかし、それは表面の皮の部分しか見ていなかったことにあとから気づいたつもりだ。
確かに巨人の逆指名的なやり方はドラフトの意義を失わせるものかもしれない。それに日ハムのやり方もなんらドラフト会議の規約に反してはいない。この件で語れば日刊スポーツの張本氏や東スポの星野氏が紙面で語っていたように、巨人の傲慢なやり方、驕りに日ハムが鉄槌を下したという件(くだり)は正鵠を射るものであるとなんら疑問にも思わない。ただ、私をのぞいて・・・。はっきり言って日ハムの今回のやり方は一個人の夢を潰したものとしか思えない。
なにをいうか。あれほどの投手を欲しくはないとは露とも思わない。巨人が欲しけりゃ他でも欲しい。まことに理にかなっているのに、なぜ日ハム以外の球団は菅野を一位指名しなかったのか、あれほどの投手を。それは先に述べたよう当人が巨人に入る鉄板的な動機があったからだ。長野、澤村は巨人にしてやられたし(二人とも巨人単独指名)、今回も巨人のアレは訝しげに思う。だけど巨人と菅野との信頼関係、水魚の交わりに口を出していけるほど、どうせ菅野に好かれていないのだから無理に来いというのも野暮である。・・・菅野を指名しなかった球団はそう考えたのではないだろうか?それでも日ハムにそんな菅野と巨人との事情などお構いなしに欲しいから指名した。
結果はどうであろうか。テレビに映る、紙面に載った菅野の顔は見ていてかわいそうだった。私は当たり前にこう考える。幼いころから伯父原監督に憧れて、一緒に野球していけたらなという青写真がまさか現実になりそうだとしたならば、巨人が野球の礎になっていたことに万感の思い。やっとたどり着いた自分の夢。それが予期せぬうちに崩れ去った。なんで・・・なんで・・・。そんな心中察し余る悲鳴を聞かされたようで心が痛み、日ハムのやり方に腹が立つ。どうも「ドラフトの定義をわきまえてないな」という問いかけよりも感情が動いてしまう。
日ハムは指名するぞ指名するぞと以前から口うるさくいっていたのだろうか?あれだけの相思相愛に割って入るんだから、申し訳ないとしながら早めにくぎを刺しておけばよかったのでは?日刊を読んでみると日ハムは家族には指名しますと挨拶もなかったらしい。普通なら巨人入りを希望している本人になんらその旨伝えておくのが筋であり、これでは闇討ちである。日ハムはそんなに欲しければ本人に嫌われても大々的に本心を公表していれば、巨人とその家族と喧嘩するぞとしてれば私も「なんだ」だけで済んだ。日ハムのやり方はフェアではない。規約に従っていればアンフェアと言われても規約には従っている。
従っているよ。卑怯だけど。
この日本社会には法律として明記されていない不文律やらがあり、それが礼儀だったりする。日ハムはどんなに時間を割いても口説き落とせないとわかるや、何の努力もなしに獲得するのではなく、球団をあげて菅野に掛け合うことがまず礼儀であり、菅野への賞賛であり、それで初めて巨人の単独指定という傲慢に異議を唱えて一位指名ができるというものである。悲しきは今回の日ハム一位指名のような合理的かつ合法ともいえる行為に疑問を抱くような日本的なモラル、美意識がこ・の・大企業にはないのだろうか。選手をただの優良な商品として人の心情を察しえない意思のない商品として扱うような行為。そこまでしないとダメだった。勝つためには仕方がない。そんな半ば正論とも取れる情のない無機質かつ乾燥した空気が私は大嫌いだ。これは以前の巨人にも言えることだった。だけど今回は・・・私は人の夢を理解しない奴が大嫌いだったのだ。
夢に現実を見せつけてやることも社会において大切であるかもしれない。でも、今回のこれは現実を見せつけたのではなく、ただ単に一個人の夢を潰す悲しい出来事であったとする。何故なら、なんてことない。現実を見せつけてやるのは菅野が巨人に入団してからであり、まずそのためにせめて夢だけは叶えさせてやってもいいではないか。幼いころの夢を・・・。
人の夢が企業の夢に負けた。企業のほうが人より強かったのか。企業は人を押さえつけられるものなのか。
私は入るのか入らないのかどっちらけ。巨人は傲慢でも選手との同意があったから世間に顰蹙買うも、選手はそれで満足だった。入りたい球団に本人が入団できれば今回の日ハムみたいなことしても別にかまわないとしている。だけど選手の夢を潰したこと、夢を奪ったことが、今回は巨人以上の傲慢と考える。こんなことした驕り高ぶりを是非打ち砕いて、選手の気持ちを犠牲にしてでも自己の利益に走ろうとする奴たちに分からせてやって欲しいというイヤな感情を抱いていたりする。清原は巨人が自分をフったからその復讐のため巨人を倒すために野球をするという大義名分があった。菅野は巨人ではなく日本ハムに入団しても巨人でプレイできないのなら本人も野球をしたいという気持ちがどこか屈折して十分に才能を発揮できないことを杞憂。野球ができればえりごのみは甘えとバッサリな意見も私は情で語っているのであしからず。
その場だけの感情でいっているのかもしれないし、後になって忘れているだろうからこんなこと言ってもどうかなとか、今ごろ卑怯的に思えてきたことが情けないが。
ただ、抱いていた夢がなくなったようなところを見せられたら腹が立った。単にそれだけかもしれない。