寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

三冠という重みを感じて

三重の調(しらべ)を奏でるべく
イギリスのマーチ曲に「トリプル・クラウン Triple Crown」という楽曲がある。現英国皇太子であるチャールズにプリンスオブウェールズの称号が叙され、並びにさまざまな称号に叙されたことを機にテレンス・ブライエンという作曲家が「三重の冠」を作曲した。イギリスのマーチとはなんとも味のあるものであり、それはマーチから連想される直裁で力強さはイギリスのマーチではなく、目立つものば民謡゙をベースにしたようなスマートかつ魅力的な牧歌的旋律が特徴なのである。基本的律動の提示という枠に馴染まず、ゆたかなハーモニーはきらびやかさよりも落ち着きある曲調とそれが格調高く気品あふれるかにきこえたのならばイギリスという国民性がイギリスのマーチを形成したのだろう。
そんなトリプルクラウンという曲。曲名の通り三つの旋律が見事に調和された様が「三冠」という曲名に恥じない。
どうも前置きが長くなりそう。日本競馬三冠とは今では廃れてしまっているイギリスの三冠競馬体系を模しているのは周知の通り。ここでイギリスの競馬三冠についてだが、1マイルから3000メートルをこなせる距離適正が問われるレース体系こそが先に「廃れた」といったように今のイギリスを含め欧州近代競馬において重要視されなくなった。マイルの馬はマイル路線へ、クラシックディスタンスの馬は3000メートルの英国セントレジャーより格において凱旋門賞へ向かう。これは英国二冠を制したナシュワンが三冠最後のセントレジャーでなく凱旋門賞への出走表明で決定的になり、ここ最近ではシーザスターズが英国二冠となり凱旋門賞へ出走してもあちらではもはや疑問に思わなくなってしまっている。それは1600を制して3000を制する馬など距離体系が整備されていなかった昔の考えであり、今それを行おうとすれば時代錯誤だと。大方イギリスのクラシック体系が崩れだしたのはコレだろう。
さて、コレなのだが、それもそうだ。選択肢を広く取り、距離に合ったローテを歩ませることが自明の理なのだから。ただ、なんだろうか、本心では・・・。競馬と王室がつながるイギリスでさえ、キングオブスポーツとしての競馬発祥の国イギリスでさえ、競馬において歴史、伝統、格式で他をリードする立場のイギリスが、その確固たる権威である三冠をイギリスでは廃れた文化としたことが私はなんだか寂しい気がする(むろん2006年カルティエ賞最優秀2歳牡馬テオフィロの陣営のように三冠を意識させる発言はあったが・・・)。
日本はいまだかつて競馬三冠という権威を感じるのに。この場合、日本と同じ土俵で語ることはナンセンスだろうが、形骸化しただけで消滅はしてないにしろ・・・イギリスで三重の調を奏でることが1970年ニジンスキーで止まってしまっている実状に、その点日本はイギリスから模した競馬伝統を奏でることは重みがあるとされていることが、これからも私を含めて競馬ファンは三冠の伝統を守っていって欲しいと切に願う。競馬に限らず、伝統とは後世に残して行くべき人間の歴史において普遍的な価値を持つものであり、古色蒼然に構えないことだ。
競馬を語る上で三冠というその言葉に誇りを抱いている。だからオルフェーヴルを応援するのは三冠という言葉の重みを自分なりに解釈してそれに自己陶酔しているのだから。オルフェーヴルが奏でる三重の調はどのような音色だろうか。気取った口調が鼻につくのがご愛敬。