寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

いばらきなめてっぺ

職場にある新聞が日本経済新聞しかない。前の職場は茨城新聞、常陽ウィークリー他5紙くらいあったのに私日経新聞好きじゃないんだよな。だって字ぎっしりで興味ない経済の事しかないんだもん。ちなみに東スポおいてある職場ってある? 職場で東スポ見つけたら私泣く。
今日捨てずにとってある12月4日の日経新聞みたら茨城面に茨城県のイメージとかあった。私こういうの結構好き。茨城のイメージとしてこう書いてあった。
1田舎
2自然が美しい
3マナーが悪い
4保守的
5停滞している
6発展していない
7イメージが薄い
8方言が親しみやすい
9閉鎖的
10災害や事故からの安全性が高い
ほほー、なると。いろいろと突っ込んでみることにする。
まず、田舎とあるがこのイメージが5割を占めてた。いや、そりゃ他にもいえるんじゃない? 簡単に田舎っていわれてもなぁ。私が思う田舎とは山々が重なり、清流があり、小動物がちらほらなイメージだが私の近所にはそれがない。だから田舎とは思わない。北海道に次いで道路総延長を誇る我が県はやたら車が通るやかましい田舎で、どうもぼくの夏休みみたいな印象を受けないからやっぱり田舎じゃない(偏屈だ)。それとも気質が田舎というわけであろうか?
あーまた文章が長くなる。その後ぐだぐだ語ります。自然が美しいは他にも美しいところあるんじゃない? やっぱ車がやたら通る我が近所が自然が美しいとは思えんのです。いや、大子町袋田の滝は美しいし、そういやガキのころの通学路はブタ臭かったよなぁ。あーやっぱ田舎だ。
マナーが悪いは運転のことですね、わかります。自他とも認める所存です。なんせ他県から来た人の五割の人が茨城の運転が危ないというもんね。でも、公共的なマナーはそれほどでもない気がしますが、それともコレはあの茨城ヤンキーの存在か。なんせ茨城にはまだ時代錯誤のヤンキーだの週末の夜になるとめちゃイケ数取団まんまのがふつーにブンブン走ってるから(最近は落ち着いたが)。これってかなりレアというか国は特別天然記念物に指定せねばならない。今時貴重だよ、サインもらっとけ。・・・冗談はこれくらいにして茨城=ヤンキー=マナーが悪いというイメージではないかと思います。あと、茨城人って短気なとこあるからそれが悪く捉えられてる気がするし。この手のは県民性とか紹介してある本を読んでみると面白いかもしれません。ここで語ると偏見を助長しそうなので(もうしてるか)。
保守的といわれるのはそうそう。だって水戸学が興ったくらいだからね。それに昔は自民王国だったし。伝統やしきたりを重んじる県民性だと同意します。
停滞しているとは保守的がゆえか、県の政治、経済のことか。思想がいつまでも古いと感じることもあります。現状維持が最善である考えだとしたら、ここは私は受け入れたくないです。停滞していると指摘されたら私はよくいってくれたと。何も保守から変われというのではなく、なんていうか頭の固い考え方で柔軟に対応しないそんな感じがうーん。
発展していないとは県の開発とか? それとも地味だということか? 確かに茨城の魅力度はなんと最下位だもんなぁ。なにげにへコむ。何故か茨城は観光産業がいまいちなのはなんでだ? それは関東地方の観光が偉大すぎるから。東京=存在自体が観光地。千葉=夢のテーマパーク。栃木=日光。埼玉=アニメの舞台秩父。神奈川=鎌倉。群馬=温泉。・・・とまぁ。やっぱ黄門様路線でやっていかなきゃ。あっ、そればっかだから発展してないのか。
イメージが薄いとか汚職ならイメージ強いぞ(笑)。やっぱ関東にあるから東京、千葉、埼玉、神奈川になって茨城?ってな感じなんでしょう。東京大都市圏なのに。そのくせヤンキーの故郷とか、まあそれはそれで面白いんだが(笑)。
方言が親しみやすいとはでたー。訛りとかって発すると即座にいなかっぺと扱われるので人によっては恥ずかしいと思う人もいるのに、それを親しみやすいとはU字工事やメディアのおかげか。でも私がいうのも何だが、茨城弁ってなんかまぬけなんだよなぁ。あの文末を伸ばすように上げるイントネーション(笑)。ブログではネタで使っても実際外の世界では喋りません。私以外にも茨城弁が恥ずかしいとする茨城人も実は多い(と思う)。親しみやすいとかいって実は馬鹿にしてるんじゃない? なんて偏屈野郎は考えるのですが、まぁ確かに面白いよ茨城弁。
閉鎖的とは田舎ならあるもの。塀の中だけが自分たちの世界で外は敵。私はそういうのがきらい。停滞してると先にあったが、そのことも含んだイメージだと思う。自分と異なる人を理解しようとせず、そのことになんら疑問を持たない他者感覚の喪失はつまらないからやめろと。とはいうもの、これは田舎という特有の風土であり文化といえるのなら私の考え方は異端なのかもしれません。
最後の災害や事故からの安全性が高いとはなかなか鋭いと思った。確かに茨城県には大きな活断層はなく、大きな地震はセーフみたいです。洪水も江戸時代の治水工事の功績が今にも生きているので利根川や鬼怒川は氾濫はセーフ。茨城は関東平野で結構占められているので、大雨が降っても平な土地ゆえ一極に水が集中しない。雪なんて降ったら大人でも喜ぶ(それは私)。台風は何故か茨城を横断することなくヘタレ化した台風が少し県南をかする程度(記憶が正しければ)。つくば山、八溝山は噴火しません。事故は・・・いや、茨城で車を運転するなら注意した方がいいよってこの事故のことか?
ここまでコレは何も考えず、ただパパーと書いたので誤字脱字以前に思いこみが激しいのです。ホントはもっと詳しくしたかったがめんどいしわからないからやめた。おかげで淡泊な感じ。でも書いてるうちに県民性とか面白いと思う。茨城や県民性についての本を下に紹介してみました。それと私は道州制に反対です。その地方の風土、民俗文化、歴史の自立性、都道府県の色が失われ、県民性のアイデンティティーの喪失につながる。そうなると実質的な地方分権を前にその地域の色を消し去ることはないにしろ、都道府県民のその土地への愛着、気質が薄れさせる感じの地方分権はどうも許せない。そんなのは合理主義というなの地域の否定となり地方分権とは矛盾する。地方の色をだしてこそ地方分権が、特定の地域の人たちだからこそ一体となることができる地方分権ではないだろうか。
茨城だっぺと書こうとしたがいまいぢだっぺよぉ〜(右肩上がりに伸ばす)。



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出身県でわかる人の性格―県民性の研究

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