寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

用もないのに出歩くな部屋でアニメでも見ていろ

 

土日だからって、そうやってなんで人が多い? たまには部屋に引きこもってアニメでも見てろ。今日は一日中アベマでアニメ見てました。クソCMに腹が立ち何回もパソコンを殴りつけようとしたことか…しかし、タダで見ている手前我慢しなければなるまい。

鬼滅の刃を1から13まで見ました。昼飯も夜飯も食わなくてもいいほど、特に戦闘シーンは目の瞬きをするのが嫌なくらいに食い入るように見てます。これ程しっかり見たアニメは1期の進撃の巨人以来です。このアニメを評価するというよりは私はこのアニメは正直「白眉最も良し」つまり数ある心に残ったアニメの中で特に輝くものがありました。私はいいアニメは何がよかったかをベラベラと語ることはしません(それもこの長文からは嘘になるが)。「松島やああ松島や松島や」と松尾芭蕉か誰かは知らないが松島の絶景に何も言葉が浮かんでこず松島というだけしかできなかった。言葉に表せないほどの絶景を言葉にできなかったようにこの鬼滅の刃に関しても感想とか言葉にできないのです。ただいえるのは戦いというものが正統派も正統派であり純粋に戦いの良さを知ることができるアニメです。それと戦いの終わった後にも主人公は敵の鬼を最後には改心させている点です。悪い奴は倒して終わりではなくどうしてこんな悪くなって主人公と戦うことになった経緯を記してそれに主人公が同情してあげている点です。悪い鬼のほうにも何らかの暗い過去を背負っていた。そしてそうして戦った鬼も実は被害者だったと。そういう設定は悪人を悪人と決めつけない奥の深さを知ることができて私の感情を刺激します。戦った鬼の手を握ってあげたり倒した鬼の好きだった手毬を近くに置いてあげたり鬼が書いた大切な原稿を踏んだりせず鬼の攻撃を褒めてあげたり事情があって鬼になってしまったものに対しては理解を示してあげる。これはこの今の社会においても大切に振る舞うことであります。ニートだから、引きこもりだからといって悪と決めつけ拒絶してはいけない。事情があってそうなった経緯を知ることで相手を理解してあげて救ってあげようとする心。今の上に立つ人間に主人公のように強いだけでなくそうした優しさを振る舞える人間が要るのだろうか、いやいないだろう(推測として)。だからそんな主人公に空想上でもいいから憧れて好きになるのです。そしてなにより炭治郎のストーリーから発せられる台詞に対してあんな人間性の高い台詞には私やクズな大人は絶対に見習わなければいけませんけど、そんな炭治郎みたいな人間が要れば社会はもう少し生きやすくなるのに実に口惜しいです…。

もう一つアベマで見たアニメは私がとても評価するアニメがありますがそれはゼロから始める異世界生活です。ラノベのほうは残念なことに字を読むのが嫌いなせいかアニメでしか見ていないのですがこのアニメ好きです。異世界転生とか今の若い子が好きなジャンルでファンタジーであり空想的で非現実的な設定はこちらの私たちが暮らす現実世界との全く違うという点からいわば幻想的な桃源郷のような是非ともこんな世界で暮らしてみたいというそんな共感を得て大きくなっていったジャンルだと。現実のつまらない世界よりも非現実的で何が起こるかわからないワクワクした冒険をしてみたいという反面、現実世界からの逃避でこうしたアニメを見たりしましたが。18話で主人公昴がどんなに頑張っても何もできずに失敗ばかりしている。所詮ダメな人間なんだと。何かをするにしても自分は一応努力はしているんだというポーズに過ぎず本当に努力なんてしてない。ただ、何もしないのはバツが悪いから、相手に嫌悪感を持たれるからそんな風に自分を見て欲しくなくて「ほら俺って頑張っているでしょ、努力しているでしょ」としてるだけで本当に何とかしようとしているわけではなくて努力という名の嘘ついてるだけで何も成し遂げられないダメ人間だと、自分が可愛いから人の目を気にしてそのために卑怯なことや小さいことにこだわり続けた最低な人間で俺が俺自身が大嫌いだという台詞(具体的にどういう台詞かはすぐに見ておけ)。

ここまで包み隠さず正直自分の弱さを語るのは、自分の気持ちを正直に語るのは、何故今までこのアニメが出来る前にこうした台詞が登場するアニメがなかったんだと(いやエヴァがあったな)。そして自分がとても大嫌いだという最後の台詞にはようやく自分と同じような気持ちを代弁してくれる主人公に出会えたことに心の底から震えたものです。人間の弱さをこうも惜しげもなくしっかりと伝えられることは中々出来ないものです。私はそれは勇気だと思うのですが中にはそんなネガティブな発言に愛相が尽きて人が離れてしまうでしょう。現に私は精神病が重い時にこの昴とだいたい一緒の台詞を吐いたら相手は逃げていきました、本当です。だから友達がいなくなるのです。けど、現実とは違うのがアニメというものだからなのか、そんな主人公の台詞を決して一語半句も否定せず全面的に肯定してそれで好きになる女の子がいたことがこのアニメのすごいところ。私は何故レムがこれほどまで愛されてバカみたいにフィギュア化されてレミリアじゃなかったエミリアというヒロインを空気にさせるほど(すみません)に猫も杓子もこの作品を語ればレムなのかよくわかりました。レムは主人公の今までの嘘ついていたようなことよりも主人公の優しさの前では本当にどうでも良くて自分にとってとても大切な人だからそれなのに、

昴くんは自分事しか知らない

レムが見ている昴君のことを

昴くんはどれだけ知っているんですか

このレムの台詞は堪えた。1ラウンドでノックダウンされ完全に負ける。アニメキャラの中で唯一純愛を語れるのがレムであると思う。だからこのアニメが好きなんです。100年の恋も醒めるなんて言うバカな女しかいないこの世の中、このセリフはとてつもなく木星の重力よりも遥に重い。正直ね、こんな台詞言われてみたいよ。無理だけど。無理だからこんな台詞のあるアニメから離れられない。無理ならばせめて聞いてみたい。今アベマで見て。この冗長なブログ書き終えたらDVDでまた見る。そして泣きながら布団に入る。人間ダメな部分はある。それで人から嫌われたりして人が離れていく。それが怖いから努力して何とかしようとする。けどダメな時は努力してもダメな時だってある。結局努力不足とされて人から評価されず嫌われて離れていく。頑張ろうと励ましてもやっぱりできなくてそうやって励ました人も愛想つかして離れてしまう。そんな努力してダメだとわかれば見切りをつけられるのが怖い。だから努力しようと必死でもがき苦しむができなかった時のことを考えてしまう。そんな悩みを私はよく抱える。能力もないからせめて人に優しくしようとしている。そして能力よりも人の優しさを評価してくれるような人を今出会いたい。無能な自分をただ人がいいだけが取り柄なそこだけしかない自分を優しく包み込んでくれる人がいてくれたならば…。そんなお前は優しくないだろ、性格悪いだろと自分で自虐してネガティブで鬱陶しくてメンドクサイキチ入っている自分でも優しくしてくれるそんな人がいてくれれば、ある程度はマシになれるだろうけど、レムのあんな台詞はクソな自分と優しい主人公を照らし合わせてみてしまうから泣くしかない。あのアニメが評価されているのはダメな人間でもダメと切り捨てず決して見放さない。優しくしてくれれば好きになってあげるという、そういうレムみたいな子に感動したから評価するのだろうと思う。

ここ数年のうちで鬼滅の刃とゼロから始める異世界生活が特によかったと思えるアニメです。鬼滅はストーリーがわかりやすくてテンポがよく戦闘の演出技法が凄い。大正時代という文明が進んでいく背景に人間が刀で鬼と戦う絶妙な世界観が好き。リゼロは死に戻りという面白い設定でどうすれば死亡を回避できるのかと視聴者に展開を読まさせる演出みたいなのが感じ取れて見ていてワクワクさせます。そしてなにより相手の気持ちをわかってあげられるそんなキャラが登場するこの二つのアニメはかんたんに好きになります。これからはそんなむやみやたらに外に出ないで、私は外に出かけるよりもアニメ見てたほうが楽しいのですが、その楽しさを書いてみたつもりで今度は外出る楽しさを誰かに教えてもらいたいものです。