寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

両陛下のパレード

最初に私が何故天皇皇后両陛下、ひいては皇室に敬意と尊敬と感謝の言葉を掲げるその理由を軽くラフな口調で述べます。

 

日本という国は、もし天皇陛下が日本に存在しなければ太陽は東から昇らないだろうと思います。日昇る国の天子、つまり陛下がいるからこそ日本なのであり、陛下が存在しなければ日本は存在しないことになりますし、日本という国名が変わります。

 

レヴィ・ストロースは日本とは神話と歴史が唯一つながる国であると著書に記しました。日本の神話は天皇家そのもので、その天皇家が歴史上今なお存在するからそう言えるのです。日本の神話は空想上の作り話ではない。紛れもなく日本の神話は天皇そのものが歩んだ道しるべなのです。日本は神の国というのは失言でもなんでもなく紛れもない事実です。

 

今世界には王はいますが皇帝は日本にしかいません。皇帝は天皇であり諸外国からemperorと呼ばれる唯一の存在です。2600年以上も前に誕生して今に至るまで皇帝を戴いている国が今の地球上にたった一つしかないことに、どれだけ日本という国が尊いかが窺い知れることでしょう。歴史の中に消えゆく存在の皇帝という称号が日本にしかないことは、そんな日本に住んでいる国民はどう思うでしょうか? その存在を永遠につなげていこうとすることが日本国民に課せられた使命ともいえるのではないでしょうか?

 

天皇とは日本国民統合の象徴です。そう憲法にあるのです。ですから天皇を廃するというのであればまず天皇という言葉を日本の憲法に記されている以上、その天皇をなくすのであれば今の憲法もなくすほかありません。憲法に記されている天皇を、それをなくすとはまさしく憲法違反てあり残念ながら国賊になります。平和憲法を願う人間が憲法改正に待ったをかけるならば、天皇制を否定する人間こそ、憲法を変えなければいけないのです。ねぇ、皇室批判している政治屋さん。天皇は日本国民統合の象徴なのだから天皇をなくしたらば日本国民は統合されず無秩序にのさばる国民になるのでは? 天皇というのは国民をまとめてくれる存在であると憲法で記されているだけではなくて、日本国民のいわば「父母」のような存在である。政治を行い日本を支配する政治家は時として我々の支持をあつめることはない場合もあります。しかし天皇だけが普遍的なすべてにおいて支持できる存在たりえるのです。それは日本誕生の歴史と共に歩んでこられた経緯にほかありません。日本の父母として存在なされるからこそ国民は天皇の長い歴史に裏付けられて父母を慕い敬意を示すことができるのです。父母を敬わない子なんて親不孝なだけですから。

 

日本人でありながら日本が嫌いでしたが、どんなに日本という国に嫌気がしても天皇を嫌いになることはできません。今書いてみた内容を見返してもそんな口先だけの理由で天皇を見るのではないのだが・・・。10年前ならばもう少しまともに陛下に対する思いを語ることができたと思いますがここ数年の精神からくる疲れで何もかもが出来なくなってきた。けれども私は日本に生まれてきたからには自分の国を支えてきた人物をこれからも支えるだけです。なんで天皇を支持するかしないかは好きにすればいいですが、私はこれからもこうした考えで生きていくし、死ぬまでその気持ちは変わらないと天に誓います。

パレードをテレビで見るのが悔しくて本当は二重橋から見たかった。私は根がアホだから両陛下を直にみられて万歳するくらいしか生きがいがないから今でも悔やんでいる。皇后さまのティアラがまばゆく輝くのは上品なお顔立ちの雅子様だから。大勲位菊花章のその偉大な勲章が不似合いなくらいになんだか天皇陛下という権威よりもどことなく本当に国民に寄り添ってくれる親しみを感じさせる笑顔の陛下。私はこのパレードについていえる感想はこれぐらいしかないです。あとの感想はくだらないです。あのオープンカーを運転している方はなんておいしい役とか新祝典行進曲はなんて格調高くて気品さと優雅さを感じさせる旋律なんだとか赤坂御所に入る前の直線の道で太陽の光が差し込んで両陛下を乗せたオープンカーが神々しく輝いてこれ以上にない演出だとかそんな感想。沿道の観衆がスマホのカメラを向けるのは不敬だと昔は思っていましたがそれも時代の流れでそのスマホで写すというのが国民が皇室に親しみがあるのであれば時代遅れな物言いでしょう。

この日本はなぜ天皇が存在しているのかその答えが今日の即位の祝賀パレードです。あれだけの人が集まるのだから日本は天皇が存在するのでしょうね。