寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

災害で本当に泣いていいのは

被害を受けた方々に対しては大変胸糞わるいことを言うようですが、今回の19号台風の被害を受けた方々、東日本の地震津波で家や土地や家族までも失った方の気持ちが少しでもわかることができて良かったのではないでしょうか? 家が残っただけでも津波で家や土地や命までも失った方たちに比べればたかが床上で家が水浸しになったとしても家も土地も命も失っていないのであれば泣くことはありません。あの時津波で幼いながら車の中にいた母親を失った子供の悲しみに比べれば、私はたかが家が泥だらけになったぐらいで泣いてるような人間はめめしくて見ていて大変腹が立ちます。泣くのであればだれか一人死んでからにしてください。それに人生の中で辛い経験もなく人生を終えるなんてあまりにも身勝手で虫がよすぎます。これくらいの経験、人が死ななければ、人が災害で死んだ辛い気持ちを、少しでもわかることができたならば災害に見舞われたほうがいいです。そうして被災した気持ちが、辛い人の気持ちがわかるようになりこれから被害に遭われた方々に対しても慈悲深くなれるというものです。

自分の相手に失礼な言葉を吐いてしまうのはわざとです。私はあえて人の気持ちを逆なでしたりワザと失礼な言葉を吐いて相手をわからせる手法を取ります。こういわなければ人々がわかってもらえないと思うからです。

災害で人が死んだと聞けばただ可哀想だとしか思わず、その後年末になるとクリスマス大みそかと街中に出てみれば何が楽しいんだかしらないがアホヅラさげて来年はいい年にとか言って神社に初詣ともうその頃には災害で死んだ方のことなど忘れているでしょう。その根底には自分は災害で辛い思いをしていないからそうやって被災者に同情してもすぐに忘れてしまう。そうじゃないでしょ。可哀想と思ったのは刹那に過ぎず、そんな口だけの可哀想ならば最初から可哀想なんて言ってほしくありません。私は東日本でボランティアをしようとして現地で「お前なんか役に立たない、来るなら金でも持って俺に渡してみろ」と言われました。所詮人間の善意というのは本人の自己満足に過ぎません。私は帰れるだけのお金を残してお金を渡しました。

あの時、私は現地の人の言い分がとてもよくわかります。その世の現状を何の狂いもなく確実に射ることができるリアリズムに私の行いは邪魔なだけだったのです。同情するよりも金を渡したほうが同情に勝ります。災害で被害を受けた方に頑張れと口で言うのは間違っていると思います。現地に行って避難所の住民に一万円を渡したほうがいいのです。それかあなたも災害の被害を受けて今までの被災者の気持ちをわかり、二度と軽々しく相手に頑張れという何の価値もない言葉をかけないようにするべきです。同情は口に出さず心の中にしまい死ぬまでその同情の気持ちを忘れないことが大切だと思うのです。

私は今回の被害で泣いていいのは家族が亡くなった方だけではないかと思います。家は国はともかく自治体からはある程度は補助がでますし、家の保険や車も車両保険もあるでしょう。何に使うかわからなくためといた金を使えば一家は再建できます。ただ、人の命はそうもいかない。だから災害で泣いていいのは亡くなった方々のみです。家が壊れた水に浸かったと泣いているのは東日本大震災で亡くなった方を思えばあまりにも失礼すぎると思うのです。