寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

平成最後の日、街の様子を見てみる

私は昭和59年10月3日(水)に茨城県取手市戸頭の病院で生まれた。その頃生まれた当時の記憶は流石にないだろっ、なんか不気味なくらいおとなしくて夜泣きとかしない系だったという。しかしなんと3歳になっても私は言葉を喋らなかった。「あっ、あっぷ、ぷー、・・・」みたく自分の親「ぱぱ、まま」も言えなかった。心配になった母は埼玉の施設に連れて行った。そしたら一日したら言葉を喋るようになったという。私も当時の記憶が全然ないっ、が、何か黒魔術みたいなのをかけられたお蔭だろう。おかげで今では意味不明なことも喋るようになった。そんなオツムがアレな子供の私が満5歳の時昭和天皇がご崩御なされ大喪の礼をテレビで見ていた時に涙を流した。それを母はとても驚いた。私も涙を流した当時の記憶、これは確かにあった。黒い束帯の恰好をした何人もの人がとても立派な輿を担いで雅楽の曲と号砲の中、輿が動く。そこが私が涙した場面である。その後春になるまで何となく暗い気分でいて楽しみにしていたクリスマスプレゼントさえも喜ばず母は何故プレゼントしても喜ばないのと殴られた…うん…そう…。昭和天皇がいなくなった今の天皇陛下はいるけどだけどあんなこういってはなんだが陰鬱な暗い葬式を見た私はトラウマだったのだろう。そんな私の気持ちが晴れたのが秋篠宮文仁親王のご成婚の時。大喪の礼とは打って変わって晴れやかな空気だった。立派な車から若い秋篠宮文仁親王紀子さまの晴れやかな笑顔をテレビで見た時、私は気持ちが戻ったのである。その後の1993年の皇太子殿下と雅子様の結婚パレードは体の芯から震えた。特に雅子様ロイヤルウエディング姿は「これ程きれいな女性は今まで見たことない。なんていう美しさなんだと」ガラにもなく当時の私は惚れたものだった。

昭和天皇のご崩御から秋篠宮文殿下と皇太子殿下の結婚、私が平成で最も印象的な、平成と聞いたら何を振り返る? 私はこの出来事を真っ先に挙げる。

今いい年して平成の思い出を語るよりも幼いころからの感受性を伝って目や耳から入ってくる情報のほうがいつまでも一番であるといい続ける。災害の時代といわれた平成、でも私は平成という時代を災害であったと認めることは災害で亡くなった方たちを思うと大変悔しいのです。それは平成だから災害で死んだんだなということになり平成の時代という犠牲者になるということなのか? そんなのは死んだ方に対して大変失礼ですし、昭和の戦争のときだけでもうたくさんです。そうじゃないでしょ? 平成に楽しかったことや嬉しかったことがあったでしょ? 平成が災害だらけだからといってあんな晴れやかな結婚パレードまでも災害でかき消してしまうのでしょうか? 私の大切な思い出「平成」をそんな災害という言葉で締めくくらないでほしい。

前置きは本当のところどうでもいいが、今日平成最後の日街はどんな様子なのか見てこようかと外に出かけました。あんなにバカに車で轢き殺されるといいながら、まうそんな考えメンドクサイ。

 

秋葉原

なんでこんな日なのに曇り雨なんだよ空気読めよと天気を恨んだ。ここ秋葉原は天気が悪くても人が多い。いつものゴールデンウィークとは違い平成最後の日が関係しているのだろう。あいもかわらず北京語広東語が行き交う、ここは中国の租借地かと思うくらい秋葉原です。ラジオ会館は混んでいた。あまりここにいることは平成という時代を偲んでいるようではなくただたんにフィギュアやプラモに心躍らせているように見える。私も最初は冷めた態度だがフィギュアを見ると素に戻る。私も同じ穴の狢か。そんでこのドールが欲しかった。

 

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 ほんとなんの反省もしとらんな私。

 

水道橋

巨人対中日の試合が東京ドームで行われるのか人がにぎわっていた。私は別にドームの試合を見に来たのではない。平成最後だから平成最後に馬券を買ってみただけだ。はぁ…こんな日になってまで博打かよとあきれますね。一応競馬も趣味の一つとしていたから、帝室御賞典はJRAが嫌いだから買わなかったけど地方の競馬だったらと買うことにした。相も変わらずここにいるオフト後楽園の爺どもは節操もなく新しい時代を待ちわびてる雰囲気は感じられない。感じるのは金のことばかり。浅ましいな。ここにいると人間だめになってしまう気がするので最終レースだけ買ってとっといなくなった。買ったレースは「ありがとう平成特別B3三」。ありがとう平成という、まあこのレース買えば平成の私の競馬人生に区切りを打てる。

 

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7から人気馬に流す。当たってんのバーカ(一万以上の配当)。ちなみに7の馬の名前はトーホウビースト。私は東方が好きだから買ったんだよ。それ以外理由もない。あと最終八百長すんな。

 

新宿

うかれぽんちが多い印象。特になんかを求めるのではなく駅周辺を歩いただけ。なんか教養がなさそうな会話がちらほら聞かれる。マッポがなんか多い。変な事件があったからね。新宿の駿河屋にでも行こうかとしたけど、どうせ何もねえと思いやめた。とある天然石売ってる店いったり歌舞伎町見て回ったり、なんだよ平成最後の〇〇って(倫理上よろしくないので割愛)。あーあとなんか集会してたね。反天連? その辺はサイトで詳細を調べてね。私そういうの興味ないから。

中野

中央線でブーン。ここのサブカル臭は今日もいつも通り。やたらベラベラ喋る香ばしい爺が多い。あとかわいい子が多い。中野ブロードウェイまんだらけでいかにも昭和な本を見て回った。ここは新しい年号になっても昔懐かしのレトロな空間、風情は残してほしい。フィギュアぼったくりじゃねえかよ(某店)。

池袋

ここは都内で一番かわいい子が多い(ホント多いよ!?)。天気が暗くても街中は華やいでいる。まさに太田裕美の歌詞に出てくる都会の絵の具のよう。私が入りずらい店上位の池袋アニメイトに潜入。うーんピンとくるのはないなー。腐男子じゃないからか? 

渋谷

スクランブル交差点はいつもテンション高いよね。すまして都会では馴れているというような歩き方している人でも今日はなにやら意識が働いているような気が。ハチ公広場は外人の並んでの記念撮影。皇居をバックに記念撮影もいいんじゃない? 渋谷センター街を歩くと不謹慎なチャラい恰好の方は見かけなかった。空気読んでんのか? まんだらけに行ったらエレベーターがなかなか降りてこない。てかさっきからそんな店ばっか行ったりしてそれじゃいつもの休日となんらかわらないじゃないか…。

上野

桜を見に行ったら案の定散っていた。当たり前だボケ。トーハクもう閉館じゃん。7月9日の三国志展が楽しみ。なんか曇り空がこの上野公園は似合わない。この時期の上野公園はもっと、太陽の日差しが降り注いで暑いくらいで噴水が涼しげに感じられないと。マジ天気空気読めねえな使えねえな。

浅草

変な刃物振り回すのがいるから行かなかった。

品川

旅行客が間違ったテンションでいる。ゴールデンウィークだからといって浮かれすぎ。もっとなんていうか、仕方ないか。私は変わり者だから(たまにですよ)鈴ヶ森刑場跡のほうへ行くけど今日はもう日が暮れたのでスルー。デパ地下のパン買って帰った。令和饅頭みたいなのある? ないって。なんだつまんねーな、ちぇっ、。

 

東京駅降りて皇居でも眺めてみようとしたけどもう寒いし暗いしやめた。なんか平成最後の街めぐりはたんにオタクショップ巡りになりました。まさに最後の最後まで進歩がない、こんなんで次の時代を歩んでいけるのか? 否、ただ機に臨じ変に応じるのみです。何もしなくても時代は進んでいくのだからそれに従えばいいのです。そのほうが気楽ですからね。口では日本は変われ変われといってきましたが、どうも陛下が変わるからと自分までもなかなか変えられないんですね。今日街巡りして思いました。新しい時代が来るけれど、街はいつも通りの休日とその人の流れも仕草も言動も行動もなんらいつもの休日でした。陛下退位の時間を皆が共有していたとは正直思えません。それは決して悪いことではないと思います。今こうしてこれから平成最後の食事は野菜をいためてチルドのラーメンにぶっかけるタンメンを作ろうとしていますが、そうやって平成に思いをはせるのは心の中でやっとけばいいのです。

けれどもやっぱり本音を言うとこう変わっていってほしいという思いがあります。これからの日本は人々が優しくて寛容で器の大きい人たちが活躍して、たとえ平凡な能力であっても人柄の良さを最大限に尊重してそれを社会がこれまた最大限に評価してそれが人々の幸せにつながればなという思いです。それとあまり周りの目を気にせずに好き勝手やっていってもなんら口うるさく言わないような自由な社会がいいです。みんながみんな違うのにそれを統制していく社会はまず私は望みません。主体性を重んじ多様性を認め価値観を分かり合える。そんな社会を令和という年号に託していきたいと思うのです。