寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

新元号

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新しい元号令和(れいわ)

新しい元号に対する感想としては最初知ったときは慎み深い落ち着いた雰囲気を漂わせ、それていて新たな時代の幕開けにこの字が使われたことに期待を抱いた。その後考えてみたら「和を令する」つまり「和を乱すな命令する」という時代を統制して政府の秩序の為なら不平分子を排除していくというこの国の自由を蝕む全体主義の訪れを感じさせては「さすが安倍博陸(私はあの首相を関白の唐名で呼ぶことにしている)、あくまでも政府に国民は従えと言いたいのか」と狂った深読みをしていた。そして今こうしてパソコンの前に座ってみたらこの新元号の何がいいのかいまいちわからない。なぜこの元号なのか? 万葉集からの由来だがこれまでは中国の四書五経から年号を提唱してきた経緯からなぜ我が国古来の歌集から採用したのか? 日本の年号は日本の出典こそが日本にふさわしい年号になるということだろう。私はそこが腑に落ちない。年号は中国の書簡から導き出してほしかった。そもそも年号の漢字こそ中国が発祥だろうに。日本のファンダメンタリズムがそうさせたとあれば今の政府の強固な自愛精神を感じる。だからこの年号はあまり好きではない。中国が好きだから中国の引用を避けた年号というが好きになれない理由かもしれない。万葉集の古来日本人の感性を年号に取り入れた先祖崇拝は支持されるべきであるとは思うのだが、いかんせんどこか心の奥底で納得しがたい。

それとこんなこというとお前はあれだなと思われるが「安」の文字が入らなくて本当によかった。恣意的な意味合いであるがやはりあの安倍博陸の文字を入れるのは腹に据えかねる。それよりも私はこの文字を年号に使ってほしかった。

仁治

じんちと呼ぶ。この文字から何が思い浮かべられるか。漢検3級落ちた私が考えたにしてもこれからの日本社会に望んでもらいたいという思いがこの文字である。そんな個人的な考えは言うだけ無駄である。けれども私が望むこの文字から私がこの世に何を望むのかは是非わかっていただけたい。。。。

私にとってどこか腑に落ちない新元号の令和。だがそうは言ってはいられない。決まってしまった以上これからこの文字がこれからの日本を表す文字になる。その文字がよかったかわるかったかはこれからの私たちを含めた日本国民の行動に託されているだろう。新元号の元に私たち国民は何を感じて何を思い何を望み何を行動していくか。令和の年号も素晴らしい年号になることは私たちの働き次第ではないだろうか。いま日本人が抱える問題をみんなで解決していこう。そうすればこの今決まった元号、大好きになるかもしれない。