寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

年号がかわれば世もかわるか? それはないだろう

はっきり言って年号が変わることで世の中が変わるとは思えません

かの織田信長は元亀という年号を嫌った。何故なら元亀とは1570年から1573年の間に織田信長に何が起きたか考えれば自ずとわかるだろう。信長包囲網である。巨大な敵には合従で周辺国は対抗するのが古代兵法の習わし。その策略を用いた足利義昭に苦しめられた経緯は元亀という年号が悪いからだと信長は考え信玄没後の確固たる敵がいなくなった今、朝廷の公卿たちの反対を押し切り改元を断行した。わずか3年での改元は天変地異がおきたとき以外はあり得なかった。それほど信長は元亀という年号を嫌ったわけである。おかげで信長と親しいたかだか半家ほどの家格である土御門家の提唱した元号天正」を信長が用いたことに上級公家たちが元号を決めていた経緯から朝廷は困惑しながらも渋々了承した。その後の天正は信長飛躍の年号となった。1575年長篠で信玄亡き後を継いだ武田勝頼の驕りに鉄槌を下し、1581年能登を平定し上杉景勝を狼狽させ1582年毛利輝元は備中高松が秀吉の水攻めに対し優秀な叔父吉川元春小早川隆景に軍を与えても武士の本懐は今更修復できないだろうが信長との講和でいかに家を存続させることで頭が回らなかった。まさに信長は天正元号はなんて縁起のいいものだったと思っただろう。しかし好事魔多し、幸福の後に不幸が訪れる。本能寺で光秀に焼き殺されるハメになったのは光秀のせいではなく、何を隠そう朝廷が裏で糸を引いていたのである。強引な改元が朝廷が恨みを抱いていたのである。古来年号の改元天皇の親戚である藤原の公家たちが主導して行ってきた国家の聖域であった。有職故実に法った古くからの伝統で決めてきた元号を卑しい身分であるどこの馬の骨かわからない神官の出に千古の掟を踏みにじられたのである。信長が本能寺で死んだのはそうした朝廷の顔に泥を塗った信長を許さなかったために起こったとしたら改元を信長が迫ったことによる朝廷の恨みなのかは果たして真偽は定かではない。しかし朝廷の黒幕ということもことの経緯から察するに大いにあり得る話であろう。

そんなばかな!? と思うのは当たり前。これは私の個人的な歴史に対する思いである。信長の死は朝廷黒幕説でありそれを私は支持する。原因は信長の強引な改元があったからと。だとしたら私が言うべきことは信長は天正という元号で殺されたのである。自分で改元をして天正という年号を決めたから殺されたのである。

くだらない妄想を述べてから結局何が言いたいのかというと権力者の安易な改元は国を滅ぼす災いの元ということである。年号は1977年から政府が決めることになったがその政府が決めた年号「平成」はどうだったであろう? 天災、災害・・・地震が起きて2万以上が死んだ時代は平成だけである。つまり政府が決めた年号平成は失敗したのである。年号とは天皇家が決定権を持つものであり、その天皇とつながりが深い一族が関わっていく。それを止めた途端災害の印象が大きい平成…。その平成という年号の失敗を今また繰り返そうとしている…。

もう一度旧五摂家が年号を提唱し天皇家が年号を最終的に決める。年号とは実は我々国民のものでない、天皇家だけのものでありその天皇家の年号を国民は両手とおでこを地面にこすりつけてありがたるのであり、卑しい身分のくせに都合よく権力を手に入れた政府が年号に口に出すのはたいへん憚られるどころか国賊どころか犬畜生にも劣る。

私はもう一度年号を改元天皇家にお返ししたいだけである。こんな改元に喜ぶ、まして保守層がこのことに疑問を抱かないならばあなた達は何を保守してきたのか神経を疑う。保守とは古来からの伝統を尊従していくことが保守ではないか。年号の字は朝廷が決めてきたことで政府が決めてきたのではないのではないか。

年号は神聖にして犯すべからず。くどく言うが世俗世界の政府が口に出していいものではない。日本の伝統を破壊し天皇家を蔑ろにする現政府に私は西暦を用いることも考えている。年号が変われば世の中も変わるだろうか? 世の中を変えることができる改元とは日本が誕生して世界中類を見ないだろう長い歴史と共に日本民族と共に共存してきた天皇家が行ったときではないだろうか。天皇家の長年にわたる歴史に培われているからこそ天皇家が行う改元こそが秘めたる力を用いて世の中を変えてくれると信じていたものだが…。