寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

精神を病んでいる人の気持ちを知ろうとするのは難しいことなのか

サッカーよりAKB総選挙のほうが関心の度合いが高い私ってもしかしてアホ? 

いやー去年は結婚するとか言われて冷や水ぶっかけられて半ギレからガチギレしてたもんな。いやーまじバカだ、そんなことで怒り出して、今はどうでもいいならその程度の怒りだったのだろう。本当の怒りというのはいつまでも根に持つもんだよ。韓信のように「恥は一瞬、罪は一生」と察したようにDQNに絡まれても刺し殺せずに股をくぐった時のように堪えていればよかった。人生において怒りというものは時が過ぎるとなんてくだらないものだったと我に返るものです。だから、怒りっぽい人はなんてくだらない人間だと思います。

でも、中には怒りでしかその自分を見出せない人もいるんだなと。

新幹線で人をナタで殺したあの人は、いつもああやって捨て鉢になっていたんだね。あれは常に業腹、切歯扼腕から終始離れられない人生だったのだろう。怒りが自分の人生だったのは、結論から言えばあれは親の教育が悪すぎる。人間生まれた時から人を殺せと本能を宿して生まれてくるのではない。作田明の本に「人は人を殺す動機を不遇な家庭環境にある」として、その犯罪者の人生の歩みに何らかの欠陥が生じたとき犯罪者が生まれるとしている(世論時報社「犯罪心理研究の独自の視点」から)。つまり、犯罪ならいざ知らず人を殺すような人間はボウフラのように湧いて出てくるのではなく、親の教育、家庭環境に責任があるとまず私は唱える。そう、育てが悪いから人を殺す人間なんて生まれてくるのである。残念ながらどの犯罪心理精神なんたらの著書にも結局は教育の不備が不幸な人間を産んでいると記されている(反論あればお答えするが…)。話を逸らすが、だから学校の教職員は勉強を教えるのではなくまずは人を育てなければけない。勉強は塾で足りる。人の精神や心を育てるのはまず親と学校の先生だとこの精神病野郎はいつまでも言い続ける。先天性のサイコパスも実は教育で矯正できると私は信じている。それなのにああいう常に苛立ち、最後にはナタで人を殺して言葉通り人生と自己の精神を「自殺」させた本当の責任はあの他人事のようにほざく親にあると・・・。

常に何かに怒り続けたあの若者、一度知能指数調べたほうがいいよ。高次自閉症の疑いがあるにせよ異常数値を出すと思う。あれじゃ誰も話が合わないわけだよ。あの年で岩波文庫なんて読むかふつう。私が最近読んだ本なんて「からかい上手の高木さん」だよ。あんな難しい本を理解したりできりゃ、周りの人間なんてバカにしか見えないもん。私が思うに知能指数が高すぎで社会生活に馴染めなかったんだと思う。だからといって人を殺すなよ。自分の考えが似ている人なんてこの世のどこかにいるかもしれない。SNSは私は嫌いだがそれで仲間を見つければよい。

この事件は親の教育、それと己の価値観が合わない世間のバカらしさに嫌気がさして人を傷つける他殺という自殺の代用としてまず自分の人生を台無しにした破滅願望。自殺は何も肉体的に自殺する者だけではない。あの場合は精神的な自殺である。もう人生に取り返しがつかない。そういう意味では自殺も殺人も結局は同じではないか。自分の人生を終わらせるためだったら自殺でも殺人でもどちらでもよかったのだろう。

以上何が言いたいかというと教育何とかしろと言いたい。それにしても人生を投げてしまう人はどうにかならないものだろうか。22の女子大学生が電車で自殺とか今日も聞いたし、人生って人によってはものすごくつまらないモノなんだなと。休日都心の中心街当たり歩くとどいつもこいつも悩みがなさそうにバカ面下げて歩いている。ああいう人と今回の殺人者は分かり合えないだろう。分かり合えないから、周囲がそういう人間を理解しないから殺人や自殺が出てくるのです。ジブンが幸せならばどうでもいい。そういう冷たい日本人が増えたと私は思います。少しでも不幸な人間の気持ちを分かりたいのならば一度図書館とかに行って精神病とかの本を読んでみてそんなかわいそうな人の気持ちも理解してあげてください。えっ!? メンドクサイとか自分の有益にならないとか思うなら、そんなんだからそうやって人が死ぬことろを見てしまうのです。頭がおかしい人とは付き合わないほうがいいのはわかりますが、少しでもかわいそうと心の中で思いなさい。私は博愛主義者だから、たとえ人を殺した人でもかわいそうだなと思いました。死んだ被害者に対しては刃物を振り回す人の気持ちがわからないから殺されたのです。あの人がどんな人かもわからない。その無知さ加減があの人を怒らせたのです。私だったら優しく犯人に語りかけて説得してみる。掴みかかろうとすることは相手に対して攻撃の意思表示になるからさらに怒り出し尚更収まりがつかなくなるから。それでもだめなら殺されてもいい、私もオリンピックまで生きていく自信がないからね。いつも怒っている人を土壇場でまた怒らせた被害者に私は同情したくない。さっさと逃げればよかったのに・・・。

正義とか言う正しい行いも、自分が正しいと思い込んでいたのに、それを人生で否定され続けた人には通用しない。どうせ分かり合えないんだからそんな奴とは関わろうとするな。今まで誰からも近寄られたことがなかったのに、ナタを振り回すこんなことしないと相手にされないほど自分の人生はくだらないモノだったのかと犯人が絶望した。だからあの人はナタを振るったのです。今まで誰からも理解されなかった悔しさをあの時晴らしたのです。

 

 

犯罪心理研究の独自の視点―「凶悪さ」と「増加」で揺れる現代の罪と罰を検証する。

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