寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

とらドラ!の最終回はどのアニメの最終回よりも好き

ここのところ昔の漫画やアニメを見てばかりいる。
何故だか知らないが、12月に近づくにつれて何故だかとらドラ!を見たくなった。

紅葉に 照らされ秋の 成熟も 終わりをつげるか 雪化粧

淡白で月並下手なうたかもしれないが、数日前に11月としては何十年かぶりに東京に雪が降った。その雪を見て昔のことを思い出したのだが、それがとらドラ!だったのはそれほど私の見てきたアニメの中で印象深いものなのだろうか。アニメとらドラ!の雪がふるシーン、雪が降るというのは寒さの象徴であるが、とらドラ!に至っては孤愁、哀感に置き換わり、愛というものの美しさを伝えているかのようであり…。このアニメがどんなのか説明するのもだるいのだがラブコメアニメの中でも「ラブコメ五常、白眉もっとも良し」というように私の「なか」では大変評価が高いです。この手のアニメは学園日常モノアニメを含めて、ただたんに登場人物が可愛ければストーリーなんてどうでもいいというのが大方で数あるアニメのジャンルの中でもストーリーに関して言えば評価が低いほうですが(ひだまりスケッチに始まり最近(?)はきんモザごちうさとかはキャラが可愛いから好きで内容までは好きになれない)、私のチンケな感想としてはキャラよりもストーリーを重視してる数少ないアニメです。

私がこのとらドラを評価する訳は最終回にある。くどく言うつもりはない(どうせ後からくどくなるけど)。この最終回が

駆け落ちだからだ。

正直舞姫と同等のレベルとガチで私は見ている。あの名作と比べるのはたぶん私ぐらいだろう。昔の純愛文学小説の影響も大概だが、私は駆け落ちというものに も の す ご い あ こ が れ を い だ い て い る 。私が求める恋愛観を形成するプラトニックな恋愛概念の根底とは駆け落ちであると説き、それまでの恋愛を支えてきたであろう社会通念からの解脱する其の様が究極の愛である。意味不明だがなるべくこの説明で察してほしい。あまり言葉を並べるのもこれ以上アホ晒したくないので。駆け落ちは二人の愛が確かなものでないと務まらず、家族、友人をも見捨てて二人だけの世界に浸るその世界観がどれほど私の羨望の的か。私は、私は、この、このような恋愛が、恋愛がしたかった。今死んで生まれ変われるものならば絶対に今度こそ駆け落ちしてみる。ああこの人頭おかしいんだな。キモいのはしょうがない。

とらドラ!の主人公とヒロインが最初は仲があんまよくなくてもふとしたきっかけで距離が縮まり、ある時本当の気持ちになるというストーリーとはラブコメの王道でしょうか。それに目新しさは感じられないが、形式美でもある。終盤の回りくどい感情表現がまどろっこしいと感じるものだが、結局は駆け落ちで終わるのが私が今でも思い出す所以なのでしょう。

余談として私はアニメというものが儚いものであると感じてしまうことがある。あれほど人気だったアニメも時とともにいつかは忘れていってしまう。ハルヒらきすた京アニを筆頭に今でもその威光が過去のものとして語られるとしたならば儚いものです。世代を通じて語り継がれるアニメとそうでないアニメとの差は何なのでしょうか? ドラやクレしん、まるこ、サザエ。このアニメと先にあげたアニメとの違いが何なのかは私でもうっすらわかっているが。それでもとらドラ!なんかは単発的に終わってしまえども「昔の威光今いずこ」として語らずに昔話にできるとしたら、私はその昔話とやらが好きだからこうして語ることで思いを馳せることができて、それはそれで小さな幸せかもしれない。あと説教するが、昔好きだったアニメがあっても今はそのアニメを忘れてしまうようでは寂しすぎるんじゃないかな? 嫌いになったなら別として何で好きだったアニメを今は別なアニメが好きになりどうでもよくなってしまうのであれば、本当にそのアニメが好きだったと言えるのかな、とか。

小説でもドラマでもないアニメごときが私の心を。それも私の憧れの恋愛観というものをとらドラ!は、あの若さで駆け落ちとは。私は心底参りました!!