カリオストロの城は私が死ぬまでいい映画と言い続けることができる
則闕 ラピュタ
一位 カリオストロの城
二位 オトナ帝国の野望(クレしん)
三位 ナウシカ
四位 鉄人兵団(ドラえもん)
五位 時をかける少女
六位 新訳紅桜篇(銀魂)
私が劇場アニメに順位をつけるとしたらこう。順位とか序列で語るのはあまり好きではないのですが、それに嘘をついてしまうほどに宮崎駿は天才であると断言する。というか確定してるのか。上に挙げた七つのうちの三つが宮崎駿の作品。俗人がおのおのの作品に順位をつけるのは不敬罪かつ身の程知らずと言われてしまってもいいが、そうでもしないとどうこの映画を伝えるのか、過去の名作と比べての相対主義を使い、それでいて絶対主義をもって素晴らしいと結論つける。これしか私はカリオストロの城になんていえばいいのかわからん。
ちなみに君の名は。を順位でつけるとしたら十何位後半でしょうか。私はあの映画の若さに一目ぼれしただけで、ストーリーというかシナリオまでは評価してません。37年に経とうとしてもラピュタは別として、いまだにカリオストロの城を超える作品に出合えていないのです。カリオストロの城は一貫してストーリーが和氏の璧なのです。どこがそんなにいいのかは、私は心打たれるものを見てしまうとアホになり(もとからアホだが)なにも言えなくなるのです。ただ一つ言えるのは言葉に言い表せないというのは素晴らしいものを見てしまったときにのみ発生すると。
わからん、なんでこのカリオストロの城はこれほどのものなのか。昔ブログでこんなことかいてた。
ルパン三世「カリオストロの城」は各界(?)では不動の人気を持ちましょうか。宮崎駿監督が若かりし頃の作品ですが、ホント「なんて気持ちのいい劇場アニメ」ですね。なぜか? それはルパンが、がんばっているからです。がんばっているルパンの姿をみているから見終わった後に気持ちいいのです。あまり大作にどこが好きかと聞かれてもうまく答えない、もしくは答えるのが野暮。いい作品は単純に「いい作品」と思うのです。ただ、中にはこんな意見もあります。「あれは宮崎監督のルパンで本来のルパンとは違う。ルパンはあんな義賊風上でない」。この意見にはもっともである。ルパンはもっと悪い奴というか、ルパンの優しすぎる面が乳臭い。「俺みたいに薄汚れちゃいけないんだよ」と終盤でルパンがクラリスに語るシーン。あれはたしかにルパンらしくない。話の流れとはいえ、自分の行いをプライドとして生きているソレを、自分を否定するような自虐はハードボイルドなイメージが崩れちゃう。・・・とはいうもの、あれは宮崎監督が生み出したルパンだといえば、それはそれで面白いから私は原理主義ではない。お宝が古代ローマの遺跡なんて壮大でロマンチックであるし、いろいろな仕掛けや部屋などが西欧の城郭として注意深く見ていくと、日本にはない珍しい建築物として見られて、そこが実に面白い。西欧色がよく出て、それでいて、地下深くの骸骨いっぱいはグリム童話的で怖ろしさがありこれも西洋チックで異国情緒あふれてる(?)。そういった描写が素敵です。それよりもこの作品が面白いのはルパンががんばっているからですよ。うんうん。
大したこと言えないのは今も昔も変わらない。もう少しオタ臭くてもいいからごちゃごちゃと語れればいいんだけど、私にはそれほどの頭がない。口惜しや。
私がカリオストロの城のシーンの中で最も好きなのが、ルパンがクラリスを助けようとした際に機関銃で撃たれてとっつぁんと不二子に助けられて次元五右衛門庭師の老人に介抱されてドカ食いして気持ち悪くなって寝てたらルパンが起きだして語りだす回想。ルパンが若いときに偽金ゴート札の謎を知ろうとしてコテンパにやられて命からがら岸に上がって気絶したところを幼きクラリスに助けられるシーン。
あの時のルパンに水を飲ませるクラリス。そのシーンは確かに情緒的で切なくてメランコリックであるが、肝心なのがその次。
哀愁を放つ挿入曲「炎のたららもの」に奏でられつつ、水をルパンに飲ませるクラリスとの庭園をバックに背景色がセピア色に反転するあの瞬間。あそこが実に身に応える。何時もあそこで胸が苦しくなるというか胸の違和感を感じる。32年生きてきたけど、あのシーン以外に胸がおかしくなることは残念ながら、ない。本当にない。私がカリオストロの城を見るのはあのシーンを見たいからがおおよそだろう。
セピア色による懐古を印象づけるだけではない。あのシーンの幼い少女クラリスというのは深層心理学的には、少女の弱さが前面に出されているわけで、傷つけられたルパンを少女が守ってあげたという優しさに保護欲や庇護欲を伴った疑似恋愛的な好意や愛着、もしくは純粋な好意や愛着、フェティシズムや属性に関わる嗜好や傾倒が垣間見える。その面からのか弱い少女の少女愛の存在を享受するものであり、美的かつロマンティックな見解を示しすためにもセピア色に反転するそのシーンはあまりにも優れ過ぎている優れ過ぎてこちらがまいってしまう。少女愛を何らかの意味で肯定的にとらえようとするならば、クラリスのいと愛らしさを引き出すためにセピア色の反転を宮崎駿氏は思いついたのではと。実に主観の域から決して脱すことはないかってな見解を私は綴る。
私のこのシーンが好きなのをお前がロリコンだからじゃね?w それは否定できないし、現にそうであると認める。ただ、この場合は性的興奮のニュアンスを含むものではない。ただ、ただ、純粋に少女の優しさに胸がときめくのみである。それがロリコンなんだよという突っ込みも心が揺れ動かされるあのシーンにロリコンと茶々入れるのは、あのシーン自体がロリーターコンプレックスであるのだから当たり前なのである。
ちなみに最も名言とされるとっつぁんの「ルパンはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」っていうあれは悔しいながらガキの頃に見たとき何が何だかわからなかった。これじゃ人の心なんて分かりっこないなと。だから私は今でも人の心がわからないのかもしれない。その心配りのかけ違いでいざこざが起こる私の感想なのでどうか適当に聞き流してください。