寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

こうして競馬が大嫌いになる。藤田伸二の騎手引退

競馬が嫌いになった最初の出来事は小島貞博調教師が自殺したことだった。

そして後藤浩輝騎手が自殺した。

そして、佐藤哲三藤田伸二騎手が引退した。

どうして、こうも、競馬を引き留めてくれた人が競馬からいなくなるのだろうか。まるで私に嫌がらせをしているとしか思えない。もはや、競馬という言葉自体がくだらぬ戯言として清算された。これ以上私が競馬に何を求めればいいのだろうか。

私は騎手の中で二番目に好きなのが藤田伸二騎手だった(一番は後藤浩輝騎手)。私は真面目な性格が嫌いだから、性格にクセがある騎手が好きになったりするからだ。藤田伸二騎手は、いうなればDQNである。それは競馬ファンならば知っていることなので説明することもない。しかし、表面しか見なければDQNだが、内面はどうか。私は藤田騎手を「恫喝」だとかで茶化す競馬ファンがいたら殴りたい気持ちだ。そういう人間は、本当に人の気持ちがわからないんだなと憐れむ。藤田騎手ほど古き良き「任侠」という言葉を見事に体現している騎手はいない。仁侠、義侠心、侠気、男気、どの言葉も藤田騎手に当てはまる。私にはない、私のあこがれる性格を藤田騎手は兼ね備えている。だから大好きだし、御大の障害競走騎手をぶん殴ったり、酒場でバーテンダーをぶん殴るというニュースに「いいな、それ」と憧れた(私も人をぶん殴るのが好きだから)。藤田騎手はセミプロ級の格闘術をもっている。何故、そんな格闘術を身につけたのか? 騎手は小さい、小さいから男として舐められる。だけど、拳が強ければ小さい風貌でも男の尊厳は守られる。藤田騎手の人なりとはそういうものである。藤田騎手は騎手が落馬などで怪我した時に支払われる保険に加入しなかった。騎手にとって落馬で怪我は命に係わる重大事項である。それなのに、その、サポートを一切受けようとしない理由には凡人の及ぶものではない。藤田騎手は落馬で怪我してお金をもらうという行為自体が甘えであり、良しとしなかった。所詮、藤田騎手にとって保険なぞ甘え以外の何物でもないのである。怪我してお金をもらうことは弱い自分を周囲に見せる羽目になる。それならば、落馬したらそれまでと腹をくくったほうがかっこいいだろう。本当に藤田騎手のことが書かれている著書を読んだことは、何より幸せだった。「そんな人間今時いるのかよ!!」。

・・・だけど、あれほどの放漫な性格であるのに、藤田騎手が綴った「騎手の一分」を読んだときは衝撃で、藤田騎手のその心は日本競馬を憂いていたことに心痛極まりなかった。「心痛極まりなかった」という理由はネガティブなイメージが藤田騎手には絶対に似合わないし、不細工だからだ。

・・・

とにかく、騎手の一分で日本競馬会を憂いている。それも悲しくなるような。藤田騎手にこれほど繊細な感受性があったことは私は余りにも儚すぎるだろうと身を震わせた。あの、藤田伸二がこんな泣き言を言うことはよほどのことである。正直私はこの本は藤田騎手の弱音であると、一度読んで捨ててしまいたいくらいだった。それと同時に糞RAに鵜飼いの鵜のように金を貢いでいたことに物凄い嫌悪感を抱いた。今まで黙っていたが、オルフェーヴル阪神大賞典のアレで競馬の絆が切れ、その後の競馬嫌い加速の背景には騎手の一分を読んだことが大きく影響していた(藤田騎手の辛い告白を思いだしたくないから私の競馬嫌いの理由に「ソレ」は除いていた)。

藤田騎手は今の日本競馬界に嫌気がさして、下野してしまった。これはもう日本競馬会が腐っているとしか言いようがない、というか事実である。任侠が最も嫌うことは社稷に対する舐め腐った態度として表れたその治世そのものである。藤田伸二は任侠であるとするならば、糞RAが糞であることは自明の理に他ならない。だから、この藤田伸二騎手の引退は競馬界にとってとんでもないことなのである。それなのに、相も変わらず金、金、金・・・。後藤騎手が死んでも競馬がなくなることはない。藤田伸二騎手が引退しても競馬がなくなることがない。別に競馬というギャンブルができればどうだっていい。この舐め腐った糞RAと同じ態度をしている今の競馬ファンがいたら私はそいつが嫌いである。金遊びができれば騎手が死のうが引退しようが調教師が死のうが生産牧場が閉鎖されようが一年後には綺麗さっぱり忘れている。競馬ファンのこれ程薄情な態度は到底許せない。そこまでして競馬ファンは金儲けしたいのか? それとも何か? 嫌なことがあれば直ちにそれが嫌いになり、金を儲けてみたいとは思わなくなる私みたいなのがおかしのだろうか? 組織を嫌うのとギャンブルすることとは別に考えるべきと、「分かっているけどやめられない」。それは浄土真宗親鸞の教えではあるし、競馬をする人の気持ちだってわかっているつもり。だけど・・・だけど、そんな糞みたいな団体に金をつぎ込むほど私はお人よしではない。

私も職場でクソな思いをしたから上司をぶん殴って辞めた。藤田騎手は一本気なだから「こんな環境ふざけるなやめてやる」という気持ちだったはずだ。清流清き水のごとく、澄んだその競馬に対する心意気は濁流の糞RAでは魚も死んでしまう。正直その濁流にもめげない鯉のような魚でいてほしかった。しかし、心あるものは騎手につくことを拒み、「汚れた日本競馬会」より田舎で「清らかに暮らす」ことを選んだとすれば、あながち間違いではないだろうと感じる気はする。その言や良し。競馬を愛する騎手が今年に入って一人死んで一人引退した。私はもう、横山典弘騎手、ルメール騎手、デムーロ騎手が引退したら糞RAに赤い文字で書かれた絶縁状を突きつける。