寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

台湾のお宝を拝見しに行く。

世界に類を見ないといわれる台湾国の国宝が東京国立博物館にて展示されるとあっては私も関心ごとだ。
それなのに幸先からミソを塗ったポスター表記問題については大変残念です。あれは普通の感覚からしたらあんなことしない。嫌がらせして日本のプライドを傷つける自傷行為。いったい何がそうしてるのか? 博物館が博物館間違うのは私は故意であり、よからぬ力が働いていたのだろうと邪推します。こんなこと愚痴らせないで欲しい。

・・・さて、台北国立故宮博物院所蔵でひときわ異彩を放つ超一級品が翠玉白菜といわれる翡翠の彫刻品。白菜の形をしているが、細部に施された彫具合は何も知らない私がみたらただ単に息を呑むものだ。白菜なんてそこらへんのスーパーに行けばある。だからそんな白菜の美術品なんて何がすごいんだ、ありふれた野菜をモチーフにしてどこが一級品なんだ。ぜひ見ろ。

・・・

200分待ちってマジすか…。有給消化して今日は平日。平日ならすいてるだろう。ぜっんぜんそんなことない。何あの人。券を買う前にある「待ち時間200分」にはさすがに言葉を失った。

「あーこりゃ無理だ」

そう、翠玉白菜を見るのは諦めました。だって3時間20分も並ぶんだよ。それはないだろおっかさん。元来並ぶことが大嫌いな私には…。そこまでして見たいとは残念ながら熱意は待ち時間で削がれました。見たいといえども、たかがその程度の好奇心でしたのが何とも恥ずかしいかと思います。なぜ年配の人は並ぶことができるのだろうか? 何が私と違うのか? もしかして3時間20分って大した待ち時間じゃないのでしょうか? いや、だからなんで年寄りの癖に並べるんだよ!(暴言)。

本館展示ではなく、別に分けて台湾の品々が展示されている平成館だけを見ることにしました。あちらはエスカレーターに乗る順番の待ち時間だけで実質待ち時間0分ですから。


コミケでさえ並ぶのが大嫌いなのに、この場所に行き着くにはそれなりの覚悟が必要だった。

平成館の展示会場も人が多かったです。そして年配者が多いです。高齢化社会を肌に感じると言えども、もう少し若い方々も来てみてはと思いました。まぁ、並んで待つことができない人に言われたくないでしょうけど、やはり博物館ってのは若い方には面白くも何ともないし、興味もないのでしよう(それを言う前に平日だが…)。私はガキの頃は遊園地、動物園よりもはるかに博物館に行く回数が多かったです。別にそれが偉いわけでもないですが、寂しいんですよね。自分だけしか関心ないことが。

展示品は古代周王朝、宋、元、清の時代の美術品で日本とは違った風土感がよく伝わってくる品々です。ことに関していえば雄大な自然と厳格な気風漂ういかにも大陸の逞しさが感じられます。それと皇帝専用の美術品という雰囲気から民間の素朴さというものがなく、権力をモチーフにした彩色が強く感じられました。中国の一部の特権的な部分からなのか、門外不出的な点から「神品至宝」という展示のキャッチコピーにいわれる所以がよくわかった気がしました。
目を引いたのが「4 南宋宮廷文化のかがやき-永遠の古典」にて展示されていた№114 松蔭図玉山子、№115 鳳柄玉洗という作品です。名称に玉とあるように翡翠を彫った工芸品です。とても美しく翠玉白菜に見劣りしないかと。立ち止まって見ていた方は他の作品よりもぐっと多くて見学者に職員がいちいち声をかけるほどです。俺が言うんだから絶対にすごいからこれは絶対見て来いよ、見逃すなよ、早く行って見てくるべきです。

日本と台湾という友好関係がありながらも、今頃このように台湾国の品々が日本にやってきたことに意外と年月がかかったかと思います。もう少し早くこのような展示会を実現していたのでは。それだけに今回だけはトーハクの特別展を見に行っておきながらブログでスルーしてきた私が簡単にですが紹介して見たくなりました。もちろん台湾だけではありません。中国や韓国の国宝級の品々を通して国民感情が良好になればと思う次第です。政治には影響されずにそれぞれ違う両国間の文化を通してお互いを認め合えればいいわけです。自分の価値観を大切にするのならば他者の価値観も認める。それこそが共存社会として機能し、多種多様な多角的社会形成において重要になってくる。それができるきっかけは芸能だったり芸術だったりするのではないでしょうか。
芸術は友好の源。
列に並ぶのが大嫌いな私が言うのも憚られるかと思いますが今回の展示会を通してそう思いました。