寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

麿のことが書かれている本でおじゃる

「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」という言葉があるのをご存知でしょうか。この言葉は「武士であるからには、たとえ貧しくても武士という身分に誇りを持ち、気高くふるまえ」という意味だそうな(うん・・・そうだ・・・)。おぼっちゃまくんで登場するびんぼっちゃまというキャラは貧乏すぎて涙が出てくるほどの落ちぶれようでも、自分は誇り高き元上流階級と主張してる。貧乏でも元金持ちだから、最初から中流のお前とは違うんだ(びんぼっちゃまの通う学校の生徒達は皆上流階級だけど)。そういうプライドだかどうかは知らないが、人間の出自に誇りを持って生きていくのは私はそれほど鼻につかないし、誇ってもいいことだと思ってる。家系図だの家柄だの自慢する人なんかいると思うが、もしそういう自慢をするならばたとえ「うそくせー」と心で思う時があろうとも、実に面白そうだと。
さて、この武士は食わねど高楊枝という言葉を胸に秘めて苦しい時代を過ごしてきたであろうある家柄の人々が書き記されている書籍は珍しいと、図書館から借りてきた本を紹介してみる。
「逃げる公家、媚びる公家-戦国時代の貧しい貴族たち-」の著者はこう語る。戦国時代の公家については中学、高校で学ぶ日本史の授業で触れていない。奈良、平安時代で貴族というイメージを与えておしまいという教育過程なので、武士について記述が多くなり歴史の主役になっていくのに対して、相対的に公家について学ぶ箇所が消えてしまうのは致し方ないと。これまで政治を握っていた公家が武士に取って代わられたことによりいつの間にか歴史の表舞台から消えてしまった・・・ではなく、武士が世を動かしてた中でも公家たちは陰に隠れながらも、したたかで、それでいて逞しく生きてきたんだ。その公家たちにスポットを当てて当時の公家の営みを知るうえでなかなか興味深い。著書では章ごとに一人の公家の生き様を具体的な人物を介しての説明は実に丁寧に書かれていると思います。「です、ます調」の説明は読者に少しでもわかりやすくしようという著者の工夫でしょうか。私も歴史の本を読んでるとわかりづらいというか、難しい言い回しの文章表現に肩がこることがあったりもするんですが、はっきり言ってこの著書はそれがない。だからちょっと歴史好きの頭いい中学生だったらスラスラだと思っていたら、本章の歴史用語については注釈として説明などがなかったりするのでやっぱ歴史の知識が事前にあればという但し書きかもしれない。
全体の内容としては、公家はイメージからのんびり「ホッホッホッ」みたいなこと言ってニートみたいな生活していたような感がしますが、武士が台頭してきて弱肉強食の戦国時代になるとそんな世知辛い時代を物理的な力で生き抜くバイタリティーのない公家(武力を持ち得ないにしろ、失礼な言い方だが)は公家の生まれながらの特権みたいなのを行使して生きていく術を身につけていた。それは公家という地位や文化的な教養である。公家とは堂上家という身分にあるものは武士たちの身分を圧倒していた。その高い地位を利用して戦国大名に庇護を求め、武家が朝廷から官位を貰う際の斡旋をその公家が行うことで自身の価値というものを武士たちに見せつけた。また有職故実というような公家のお家芸みたいな文化、教養を武士に授ける際に高い影響力を持ち得ていた。戦国大名は武力と教養を備えてこそ自身の存在を世に知らしめるという認識が当時はあった。その教養だけは武士たちではどうにもならなかったから、武士は公家からそれを享受してもらうしかなかった。そこに公家は目をつけて戦国大名にその自分の教養、いわゆる「自分を売る」ことで活路を見出した。
「戦国時代とか公家って何やってたんだ?」というふとした疑問を持っていたならばこの本を読んでみるといいかもしれない。さて、公家と呼ばれる集団の勝るものとは何だと思いますか。私はそれは公家特有の血筋の良さだと思ってます。ことに摂関家清華家という貴族に至っては並みの武家の家柄では太刀打ちできません、官位とかでは。それこそが公家としての世に誇れるステイタスでしょう。堂上家最下位の地位である半家という貴族の身分でもその極官正三位大納言は江戸時代の武家がなれるのは徳川宗家と尾張徳川家紀伊徳川家だけであり(それも藩主が短命な場合はその地位にはありつけない)、加賀百万石前田家以下大大名を切り捨てるのだから、いかに堂上公家の貴貴(あてあて)さが窺えるかと。何の努力も才能の鍛錬もせず、武力を用いるまでもなく、ただ単に生まれながらの家柄の良さ、古の慣習というだけで、武家には及びもしないような地位を保持する公家。武家政権という歴史的大仕事をやり遂げねば武家はその公家たちと対等な身分になれない。堂上家は麿麿やってるだけで大名より上の位。いいじゃないですか〜(笑)。そう世間に納得させるだけの血筋、家柄に憧れます。成金、政治家には気に入らなければ頭下げつつ、内心舌出しますが、もし今、華族令なるものが存在してたらば私は華族に平伏します。それは血筋を尊ぶ私の信条だったりもする。そういう高貴なる人を讃えたりすると憲法14条に反するとか、ルイ16世を殺したフランス政府がムカつくとしている私の耳には響いてこないかもしれません。
貧しくてもその家柄で世を渡ってきた公家たちにその社会的身分、門地が魅力的であり、私も「ホッホッホッ」と笑いながら蹴鞠でもして束帯に身を包みドヤ顔してたかったです。

逃げる公家、媚びる公家―戦国時代の貧しい貴族たち

逃げる公家、媚びる公家―戦国時代の貧しい貴族たち