寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

お金はうんこ?

別に金がなくてふてくされているとか、金持ちに僻んでるのではなく(まぁそれもあるんだけど大王製紙のアレ)、図書館にてフロイト精神分析学なるものを読み返した。そうそう、フロイトが唱えた「リビドーの発達論」なる強烈な考察は最初知ったときに私は「はぁ?」だった。「それあんた(フロイト)の思いこみじゃねーの?」としながらもその丸め込まれるような説得力には今回のブログタイトルでもある「金は糞だった」という意味というのを簡単に説明する。ちなみに「フロイトがそういってるんだよ」として私に疑問を持たないで。
フロイトは貯金とは肛門性格と関連づけて論じ、精神分析学で糞はお金としているのである。肛門期において二歳頃の子供には糞は生産物である。排便が汚いというのは親のしつけによって生じるのでこの時期の子供には糞は財産として捉えるのである。そんな財産である糞が自分の意思に反して(便意により)漏らしてしまうことは財産を失ったというショックが子供の心に生じるのである。
ここからの親としてその子供に接する行動が子供の人格を形成する。
糞(財産)を漏らした子供に親が「汚しちゃったのね」という子供の排便に否定的に捉えると子供は糞という財産を失ったショックと自分の不甲斐なさに今度こそは財産(糞)を出さないぞと心に誓い、排便を頑なに拒むようになる。そして糞を貯め込むことに快感を生じてくる。つまりこれが転じてお金にケチな人は幼少期のそんな糞を貯める肛門期の心理が強く残ったこと推測して大人になっても糞に代わりお金を貯めることに快感を得てケチになるのである。
はたや、親から子供の排便を「糞すると気持ちいいよね」と好意的に捉えてもらえれば、子供はその財産(糞)を親へプレゼントしたことになり、それを喜んでもらえたと感じる。その後糞(財産)の排泄に躊躇せずそれを親へ受け取ってもらえた喜びから糞を出すことに快感を得る。それが転じ大人になってお金を使うことに快感を得る訳であり、お金を使える人や順応ある人の人格形成はこの幼少期の気持ちよく排便できるかどうかにかかってくる。いわば糞すると気持ちいい=お金使うと気持ちいいとなるわけだ。
でっていう。お前さぁ・・・糞糞うるさいと思えるかもしれないが・・・。フロイト自身は大真面目にいってるかもしれないけど、私みたいな凡人からするとこのインパクトがフロイト精神分析を「おもしれー」としてる。そういえば夏目漱石の小説「坊ちゃん」にて、坊ちゃんがもらった金を便所に落として糞まみれにしてしまうのは、アレ夏目漱石が金は糞というフロイト精神分析学を知ってて小説に取り入れたんだと聞いたことあるけど実際どうなの?
お金を使いたくても使えないこんな世の中、お金を貯金に回して将来の安全を図るという行為は賢いと判断する反面、そんな貯金好きを聞くとふとフロイトのリビドーの発達論で片づけてしまうことがある。そんなお金を貯める行為を糞を貯め込む行為だと見るのは大変失礼かと思いますね。しかし、精神分析、心理学とはそれを否定するのは人間の精神の異常と捉えてしまうのであり(だからといってフロイトの理論は普遍的とは言い難いだろう。単に私がフロイト説に賛同しているだけであり、論説自体証明されているわけではない *1 )、感覚的に目に見えない力を持つ大変説得力がある学問ではないかと思います。
要するに私が言いたいのは「ケチケチしてねーで好きなことに金を回していけよ」。
だから私は競馬で金使います。

図解雑学 精神分析 (図解雑学シリーズ)

図解雑学 精神分析 (図解雑学シリーズ)

*1:独特な性的一元論なため