寄らば大樹の・・・どこか2

その日その日感じたことを書いていくみたいな。たまに変なこと書くときもあると思いますが馬鹿だなと思ってスルーして下さい。

法然と親鸞の説いた教えの世界

鎌倉時代の「希望」を、いま
「いま」という言葉にどれほど深い意味があるのかは察しあまる。震災後、日本の実情はいまだかつて多くの不安を我々にあたえている。それでも人々はそれに立ち向かっていける術を持ち得ていたことに日本人のたくましさと、私自身そんな風になれないことに芯の弱さを痛感した。おそらく私みたいなのは被災地で絶望に暮れてマジで病気になっていたかもしれない。
鎌倉時代を遡れば、末法思想のなかに戦乱、天災が世をかけまわし、人々は社会の不安から絶望に暮れていたという。そんな時代だからこそ民衆に救いの手を差し伸べるべく奔走した僧侶の教えは、現代を生きる私にもこんな世を思うならば、いつの間にかどんな教えなのか縋りたくなる・・・といったところだが。実は私も震災の心の傷からだいぶ立ち直ったと感じる。自分の好きなことをして、それでいて世の動きに疎くなったのだから、以前のような世情に神経質だった時と比べれば成長(?)したなと。だから、今の日本の状況を鎌倉時代仏教の教えに慰めてもらい、心に安らぎを得ようとしてこの「法然親鸞-ゆかりの名宝」に出向いたわけでもない。ならばこの展示に出向いた理由はうちの母に「見に行って来い」となかば命令されたかようにそれに従ったからだ。
うちの宗派は浄土真宗大谷派。母は私もよくわからないけどやたら親鸞とその浄土真宗の宗教観に惹かれている。この展示会が開催されたら真っ先に母は父と二人で上野に行ってしまった。うちは先祖代々門徒を束ねるような役職についてるらしいが、父は浄土真宗に対してさほどではない。まぁ、人の家のことをここでいうのもなんだが、要は母にこの展示を勧められたのと「国宝、早来迎」を見てみたかったから13日に上野に出かけにいった。
この法然親鸞展には前期展示と後期展示があり、13日は前期展示の最終日だった。それだからだろうか。中に入ると人がたくさん。展示物が見れないよー。展示品の中で阿弥陀仏二十五菩薩来迎図はどこに展示されているのだろうと思ってたら、最後のほうに展示してあった。そこにはさすが国宝という枠を超えた画から伝わるものがありました。来場者が最後の最後で足を止めて食い入るように見つめていましたから。余談ながら平成狸合戦ぽんぽこにおいて、妖怪大作戦の総指揮者である隠神刑部が術で力を使い切り命を落とすシーンに阿弥陀仏二十五菩薩来迎図と思わせる描写がありますが(個人的になんだか切ないシーン)。画中の往生者を阿弥陀二十五菩薩が来迎する様子には見る方からはスピード感を与えることから、「早来迎」と呼ばれています。雲の描き方や急角度に描かれた山々がそのようなスピード感をだしており、金色であしらう諸尊の表現に息を呑む。肉眼で見ることができて本当によかった。その他展示物は豊富であったし、ボリュームあるものだったけど、人が多くて見るのに大変だった。
仏教のおいて法然の浄土宗、親鸞浄土真宗とはどのような教えなのか。ここで簡単に説明すると「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けるという、言ってしまうならばシンプルなものです。それゆえその教えのわかりやすさから民衆にも広まりました。法然の浄土宗は南無阿弥陀仏と唱えればそれはできるだけたくさん唱えよとしていますが、親鸞浄土真宗南無阿弥陀仏と何回も唱えるのはかえって阿弥陀如来の力を信じないで疑いをもつものであり、阿弥陀如来の大いなる力を考えればただの一回だけでも南無阿弥陀仏と唱えればよいとしています。一回だけ唱えれば阿弥陀如来もそれを分かってくれて極楽浄土につれて行ってくれるから、くどくどと唱えるのは冒涜であるとしたのです。また数よりも信仰する「信」の心を大切にもてということでもあります。そんな念仏を唱えれば誰もが救われるという浄土宗、浄土真宗の敷居の広さになんて懐が大きいんだろうと感心するとともに、そんなに簡単でいいのだろうかとも思っていましたが、当時鎌倉の世で民衆の心の不を解放するにはその簡単な教えこそが何よりだったかもしれません。苦しい世の中、念仏を唱えれば救われるのですから、それでいて、心の安らぎとなれたでしょう。
その後、東京国立博物館を出た後馬券を買いました。なんという煩悩野郎ですが、そんな「悪人」でも救いが享けられるのです。でも、南無阿弥陀仏と唱えればエリザベス女王杯を外さずにすんだかもしれないとか、こればかりはさすがに虫が良いと言わざるを得ないかもしれませんね。